川中島八兵衛とは一体、誰だろう?

藤枝市の私の実家から70mほどの川のほとりに「川中島八兵衛」と書いてある
石塔があります。

川中島八兵衛

僕が子供の頃はありませんでした。
 
いつごろ建てられたものか、わかりません。
 

調べてみると、ここだけでなく、藤枝市の至る所、さらには
焼津市にも島田市にもこの「謎の石碑」があることがわかりました。

そのほとんどは旧志田郡と呼ばれる地域にあることが判明しました。


うちのばあちゃんに聞いたのですが「なんだかね」というばかりで
知らない様子。

さらに調べていくとお寺や墓地の片隅で、
お地蔵さんや馬頭観音さんのとなりに、
「紀伊国川中島小長谷八兵衛」と刻んだ墓石のようなものが建っているのです。



「八兵衛さん」と言われているそうです。

八兵衛さんは疫病や水害を除けてくれる存在と信じられていて
村とか町内会程度のご近所同士の集団で祀っている場合が多く、
祀る方法としては八兵衛碑と呼ばれる石碑をそれぞれの地元に建てるのだそうです。

確かにうちの近くの八兵衛さんも川のほとりです。

八兵衛碑は、現在確認されているかぎりでは90基以上存在するそうで、
なんと「八兵衛マップ」まで出来ていました。

川中島八兵衛マップ

この八兵衛マップにはうちの近所のは載っていませんでしたから
新たな発見となります。


大半の碑が明治時代から昭和初期にかけてに建立されています。
 

信仰しているのはほぼ志太郡内のみで、
戦前にはブームでもあったかのようにとても盛んに信仰されていたようすが伺えます。

八兵衛さんとは一体どんな人物なのか。
 
どういうわけで人々に信仰されるようになったのか。

実は、これが全くわかりません。
 

人物に関する記録はなにも残っていないし
信仰する人々のあいだにも統一見解はないのです。

また、信仰発祥の地や、どうやって広まったのかも全くわからないのです。

過去には何人かの研究者が八兵衛さんの正体を探り、それぞれに仮説を立てています。
 

しかし、いまだにはっきりしたことはわかっていません。
謎の「八兵衛さん」ちょっと気にかかります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?