見出し画像

夢に生きて現実を生きる

2023年も終わり目前。
1年を振り返って一人反省会をする。
(ウチの場合は爆食いしかしてないけどw)

2024年2月いっぱいで
8年続けてきたボイトレを卒業する。
悩んだ。いっぱい悩んだ。
辞めどきもずっと考えてきた。
「今やな」って思ったのが「現在」やなって。

小さい頃から音楽が好き。
これはいとこの兄の影響で聴いた
X JAPANがきっかけ。
そこから音楽を聴くことが好きになって
そのうちに安室ちゃんやSPEEDで
歌って踊るアーティストがかっこいいって
憧れを抱いて地元のダンス教室に通った。
ダンスといっても実際はエアロビクスやけど。

それから浜崎あゆみが好きになり
自分の思いや考えを文字にする作詞を始めた。

いろんな音楽を聴いて、影響されて
いつしか表現したいと思うようになって。
20代前半の頃に見つけたボーカルスクールが
今通っているスクール。
当時は仕事もパートで通える余裕がなくて
転職して少し安定した時に通えるって
思った頃には20代も後半になってた。
でも歌うことを学びたいと思って飛び込んだ。

体験レッスンを受けるために
一人で博多行きの電車に乗って
初めて一人で博多に行った。
(後にこれがソロ活をするきっかけにもなる)
体験レッスンでは発声練習をやった。
その日に通う手続きをして、
月3回のレッスンにして毎月3回博多に通った。
(今思えば3回行かんでもひとまとめにして
月一で通えば良かったと後悔…)

いろんなお店に行って
美味しいものを食べることも
楽しみの一つになった。

スタジオに入る度に、
先生の前で歌う度にずっと緊張してた。
今もそう。めっちゃあがり症。
校内主催のライブとかあったけど
出たことない。
一度だけ「カラオケ大会」みたいなのには
出たけどボロボロだった。
それからかな、人前で歌うのが
こんなに怖いんやって痛感した。

でもせっかく通ってるなら何かやらなきゃ。
そう思ってネットで音楽仲間を探すサイトに
登録してみた。
一人の男の人とデュエットみたいなのを
やろうとしたけど思ってたのと違って
やるのを辞めた。
それからしばらくしてゴスペルの募集を見て
体験を希望して見学した。
人生初のオーディションを受けて合格して
レッスンの前後にゴスペルの練習も行った。

初めて立ったステージが駅前で毎年やってる
ゴスペルのフェス。
でかいモニターにも
私が映っていたのだ(ハズい)
あとは地域のお祭りかな。
ライブは2度しか出てなかったけど
いい経験になった。

だんだん年齢を重ねていくにつれて
「自分はいつまでここに通うんやろ」
という思いが芽生えてきた。
担当の先生は同い年で、
結婚して出産して…というのを見て
こんなことでいいのかなって。

でも何か形を残したくてオリジナルを制作
するところまではやりたいと思って
コードを作ってもらったりして
産休の代替の先生にも協力してもらって
あらかたの曲が仕上がった。
ただ、代替の先生も辞めるという話が
飛び込んできた。
そこからかもしれん、
気持ちが辞める方に
どんどん傾いていったのが。

もう年齢的に歌い手になるには厳しい。
でも、今の時代を利用して、
SNSに歌ってみた的な動画を作って
アップしていってもいいんじゃないかって。

ボイトレも今はYouTubeで
ボイトレのトレーナーが
動画で教えてくれる時代。(ありがたき)
だったらもう通わんくてもいいなって。

基礎が体に染み付いてるかと言われたら
全然まだまだで。
でも、明らかに喉声ではなくなった、はず。
音楽的なことをたくさん教えてもらった。

これからは趣味として、でも夢は捨てずに
学んできたことを活かして歌っていきたいって
気持ちがシフトチェンジした。
それが卒業しようと思ったきっかけなのだ。
交通費も月謝も大変だしね、今の給料じゃ。

"夢を実現する"って簡単なようで
なかなか難しい。
でも挫折や困難に直面しても
諦めずにやり続けてきた者が
夢を現実にできるんだなと思う。

まあ、音楽業界の厳しさも先生から聞いて、
大変なんやなぁ、
趣味で歌った方が幸せかもしれんって
思うような話も聞いたしね 汗

今教えてもらってる先生も
現役の方で、国内外でライブをしてる
すごい人なんやけど。
その先生から得られることも
大きいと感じてる。

念願だったボイトレスクールに通えて
学んだことは自分の財産だと思う。
ずっと大事にしていきたい。

来年はちゃんと歌を発信したいと思う。
学びを活かすために。
残り少しのレッスン、
たくさんのことを吸収するぞ!

.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?