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至高の現代文/解法探究29〈対比・類比②〉

【至高の現代文/記述解法の探究・肉】

ここでは、本書に収録した全200題(記述小問)の解法を、汎用性のある形に分類して提示する。あわせて、各解法ごとに本書収録の参照問題を挙げる。略称は以下の通り。東→東京大学、京→京都大学、東北→東北大学、九→九州大学、北→北海道大学、阪→大阪大学、名→名古屋大学、橋→一橋大学、神→神戸大学、筑→筑波大学、広→広島大学。例えば「19東一.一」は、2019年東京大学の大問一の小問一をあらわす。


14.類比の形式と設定

類比の場合も、対比と同じく、一括型「XもYもZ(Z1,Z2…)である」か、分離型「Xは(X1,X2…)であり、Yは(Y1,Y2…)である」のどちらかで答えるが、 類比の場合は共通性の程度や制限字数により、一括型と分離型を慎重に使い分けなければならない。また、これも対比と同じく、直接的に類比が問われなくても、実質は類比の問題だと見抜き、解答構成の中心に据えなければならないことも多い。

→19東北一.三、19名一.三、19神一.四、19神一.五、18東一.四、14東一.一(一括型の典型)、14東一.五(分離型の典型)、16東四.二、18広一.六、17神一.三、16京二.五

(例題) 傍線部(1)について、地域通貨の中に「「贈与の霊」の精神」が確認できると筆者が考えるのはなぜか、本文に即して100字前後で説明せよ。〈19名大一.三〉

理由説明問題(類比)。「地域通貨(A)は/C(A∩B)という点で/「贈与の霊」の精神(B)に通じているから」という解答構文に定める。Bについては、⑨段落末文「「贈与の霊」が動き、流れていく時、世界は物質的にも豊かになり、人々の心は生き生きとしてくる」(B+)を根拠にする。Aについては、⑩段落の傍線の前文「貨幣を循環させ、人と人のつながりを生みだし、社会に活気を取り戻す」(A+)を根拠にする。上の構文のCの位置にA+を、Bの位置にB+を圧縮して繰りこめば解答の大筋ができる。
ただ注意しなければならないのは、ここでの「地域通貨」は「貨幣一般」とは真逆に機能するということだ。「貨幣一般」が、本文末文に「貨幣を介して、持ちものやお金をためこもうとたくらんで外部から滲入してくる資本主義」とあるように、資本主義/グローバル化の尖兵として「資本が一ヶ所に集められ、事業に投下される」(スケールメリット)(⑩冒頭)傾向を促すのに対し、まさにその破局としての世界恐慌から生まれた「地域通貨」のアイデアは、資本の独占による経済の停滞を避けようとするものであった(←⑩)。「地域通貨」が問いの主題である以上、この内容の指摘は必須であろう。

<GV解答例>
地域のみで循環する地域通貨は、資本の独占による経済の停滞を避け、貨幣を媒介に人々の繋がりを生み社会を活性化させる点で、贈り物を「霊」と共に動かしていくマオリやインディアンの伝統的精神と通じているから。(100)

<参考 S台解答例>
貨幣を循環させ、人と人とのつながりを生みだし社会に活気を取り戻す地域通貨の導入は、「贈与の霊」の精神同様、ものを滞らせることなく循環させ、人びとの心を生き生きとし、世界を物質的にも豊かにする取り組みだから。(104)

<参考 K塾解答例>
貨幣を循環させ、人と人とをつなぎ、社会に活気を取り戻す地域通貨の働きには、贈り物をすぐに他人に与えてものを循環させることで、世界を豊かにし、人の心を生き生きとさせる「贈与の霊」の精神と同様の精神を見出すことができるから。(110)


15.相似性の利用

相似である関係性をいかして、記述が不十分な解答ポイントを説明する手法である。傍線の箇所と別個に設けられているエピソード(具体例)を適用する場合もここに含む。注意点は、意味内容と本文構成において、二つの項が相似関係にあるのかどうかを十分に検討した上で、採用することである。

→19東北一.二、18東一.一、15東一.四、14東一.三、02東一.四、16東四.三

(例題) 「『われわれ』が『私』を造りあげていた」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)〈02東大一.四〉

内容説明問題。「われわれ」(A)と「私」(B)に加え「A→B」の関係性を説明する。傍線一文は、「このとき」と前文までの「蹴上がり」の具体例を承けるが、次⑬段落冒頭「このような状況は、幼児においてもっとはっきりしている」とあり、⑬段落締め「主体の集合体としての「われわれ」(←蹴上がり)は、前個我的「われわれ」状況(←幼児の状況)のある変型として考えるべきではないか」とあるので、⑬段落の「幼児の事例」を参照するのが一般妥当であろう。
そこで「幼児は…前個我的な状況から、反射の光によって、「僕」を僕として捉えるようになり、それと反射的に母親を第二人称的他者として捉える(=第一人称と第二人称の他者の分極化)」を参照する。つまり「自他が融合した「われわれ」状況(=母子一体感)での/行為の交換により/他者と分離した「私」が現れる」(A→B)ということだろう。これは「蹴上がり」にも当てはまる。
あとはAとBの言い換えだが、Aについては「前個我的「われわれ」状況」をさらに「個分立以前の自他混融状況」と自力で言い換えたが、無理せず「前個我的「われわれ」状況」でもよい。Bについては⑫段落「人間は自己によって自らの身体を支配・制御しているかのように錯覚」を利用した。⑩段落に出てくるデカルトの、いわゆる「心身(物心)二元論」における人間観である。筆者に従えば「われわれ」こそ「本質」であり、身体を統御する個的に分節された「私」は「現象(=本質の発現)」にすぎないのである。

<GV解答例>
個分立以前の自他混融状況における相互行為の反射を通して、近しい関係にある他者と分離された、身体を統御する自己が現象するということ。(65字)

<参考 S台解答例>
人は知性により人間の孤絶性を理解したつもりでいるが、実は他者との身体性を伴った関わりの中にあるのだということ。(55字)


16.両面性への配慮

物事の片面を説明したときに、言葉の用法や本文構成の観点から、裏面の説明も必然的に求められる場合がある。二者の関係を説明する問題で「X→Y」を説明した場合に、その折り返し「Y→X」が想定されていないかに留意することが肝要である。

→19名一.五、13東一.四、15東四.三、18広一.七

(例題) 「翻訳という対話は、ある新しい言葉づかい、新しい文体や書き方へと開かれている」(傍線部エ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)〈13東大一.四〉

理由説明問題。「翻訳という対話」を始点(S)、「新しい言葉づかい…へと開かれている」を着地点(G)に定め、その間の論理的飛躍を埋める(R)。Sについては、問三で説明したものなので簡潔に「翻訳における原語と母語の緊密な往復」とした。それがG(新しい言葉づかい…)に繋がる要素として「母語の規範の変換」→「母語における表現可能性の拡大」では、安易すぎなのではないか。第一、これでは問三と設問を分けた意味がないではないか。
問三が⑧⑨段落で答えたのならば、問四はあくまで⑩段落を中心に答える設問のはずだ。そして⑨段落の終わりで「無限の対話のうちに…翻訳の喜びと苦悩が表裏一体で存している」としているが、問三の無限ループに「苦悩」が見られるとしたら「もしかしたら」で始まる傍線部、さらに⑩段落は「喜び(その可能性)」を反映したものではなかろうか。
その理解で、傍線部の直後が「だからある意味で原文=原作に新たな生命を吹き込み…」となっているところに注目したい(細かいところだが⑧段落で「原文=原語」だったのが、ここでは「原文=原作」になっている)。つまり「新しい言葉づかい…」は母語のみならず、原語にも跳ね返るのではないか(ここでも「対話/双方向」を踏まえる)。そうでなければ「だから…原文=原作に…」とはならないだろう。
もう一つ、この方向性の正しさを傍証するのが⑦段落で「書き手の(というより…テクストの)独特さ、特異な単独性」としている部分だ。テクストと言い換えている点から、独特さは、書き手に「帰属」するものではなくて、読み手に「開かれている」ということだろう。以上より翻訳という対話は、母語と原語双方の表現可能性を開きうるのである。

<GV解答例>
翻訳における原語と母語の緊密な往復は、母語の規範の変換に伴う、母語と原語双方の新たな表現の発見の可能性をはらみながら展開するから。(65字)

<参考 S台解答例>
母語と衝突する原語の表現形態を取り込むことで、既成の枠組みや規範を破る新たな言語表現を創造する可能性が生まれてくるから。(60字)

<参考 K塾解答例>
原語の表現をできるだけ忠実に母語に反映させようとすると、母語の既成の枠組みにはおさまりきらない表現を生み出す可能性がもたらされるから。(67字)

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