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2017筑波大学/倫理/第三問

問三 市民社会に関するヘーゲルの思想を参考にして、「働くこと」の意味について自由に論ぜよ。(400字内)

〈GV解答例〉
ヘーゲルは、市民社会を「欲望の体系」と述べ「人倫の喪失状態」と見なした。彼において人倫とは、主観的な行動規範である道徳と客観的な行動規範である法を弁証法的に止揚したものである。つまり、前者のみでは一般的な規範たりえないが、後者のみでも自発的な行動を促さない、それゆえ両者を備えた人倫においてこそカントの言う自由=自律が実現する。その人倫の萌芽は家族にあり、市民社会の段階を経て、両者を止揚した国家において最高形態に達する、とヘーゲルは考えたのである。私たち学生が自らの将来を展望するとき、生計を成り立たせるのは前提として、自分のやりたいことの延長上に「働くこと」を置くのが自然であろう。一方、それは同時に社会にとって意義深いことであればよいとも思う。「働くこと」の主観的意義と社会的意義のせめぎ合いの中でよりよい働き方を追求ていくことが、自己を真に自由な存在として飛躍させる契機となるのではないか。(400)

〈ChatGPTくんの答え〉
ヘーゲルの市民社会論は、個人の欲望や利害を追求する場としての市民社会を考察し、ここでの「働くこと」は自己実現と社会的連帯の手段とされる。ヘーゲルによれば、働くことは単なる生計手段にとどまらず、個人が他者と関わり、自己の能力を発展させる過程である。市民社会において、労働は自己の欲望を満たしつつ、他者の欲望をも満たすことで社会的秩序を形成する。したがって、働くことは自己と社会の両方に対する責任を果たす行為であり、自由と連帯の基盤となる。労働を通じて、個人は自己の価値を社会に示し、同時に他者と協調しつつ共通善を追求する。このようにヘーゲルは、働くことを自己と社会の統合を図る重要な行為として位置づけている。

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