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2023大阪公立大学/国語/第二問/解答解説

【2023大阪公立大学/国語/第二問/解答解説】

〈本文理解〉
出典は井田良『死刑制度と刑罰理論ー死刑はなぜ問題なのか』。前書きに「次の文章は、死刑制度について論じた本の一節である。筆者は、少し前の部分で、「応報刑論」とは、犯罪を行った者に対して、その犯罪の重さに見合った刑罰を科すことを原則とする考え方であると説明する。そして、犯罪がもたらした具体的な「実害」と「犯罪ゆえに犯人に加えられる害」(刑罰)とは均衡させるべきだとする一般的な「応報刑論」の理解を、「実害対応型の応報刑論」と呼んでいる」とある。
①段落。ここで、右のような実害対応型の応報刑論を前提として、それにより死刑制度を合理化・正当化できると考えたとしよう。しかし、そのときでも、犯人がおよそ他人を死亡させる限りただちに死刑に処すべきである、ということにはならない。…すなわち、「刑の重さは、現に生じた実害の重さだけで決まるものではない」(傍線部(1))。生命侵害という実害の発生にもかかわらず、ただちには極刑に処せられないブレーキが存在しているのである。
②段落。そのブレーキとは何か。それは、行為者の負う責任の程度(分量)であり、それは最初から応報刑論に備わっているブレーキである。…このようにして、実害対応型の応報刑論を前提とするとしても、それが応報型論である限りは、刑罰を限定するブレーキはそこに備わっている。このことは、刑罰の本質に関わることであり、応報刑論を理解するに当たっても、まさに決定的なことであるので、詳しく論じることとしたい。

③段落。第二次世界大戦後の日本の刑事法学に対して多大の影響を与えた団藤重光の刑法の教科書の中に、刑罰の定義がある。それによれば、刑罰とは「犯罪ゆえにその行為者に加えられる国家的非難の形式」(傍線部(2))である。…刑罰を現象面、すなわち、目に見えるその外形的側面は、生命・自由・財産という法益の剥奪であるが、それは「形式」にすぎない。…「刑罰の内実ないしその本質は何かといえば、それは犯罪を理由とする「国家的非難」なのである」(傍線部(3))。
④段落。受けるものにとり同じ苦痛をともなうものでありながらも、罰金を科されることが税金を課されることと区別され、懲役刑を受けることが感染症患者が入院を強制されることと区別されるのは、罰金や懲役が非難としてそのものに科されるからである。これに対し、税金の賦課や感染症患者の強制入院に、非難の要素はまったく含まれない。

⑤段落。現行法の下における刑罰が非難として加えられる苦痛であり、非難として苦痛が受け止められることを本質的内容とする法的制裁であるとすれば、形を科すことは、科される者への非難のメッセージの伝達にほかならない。…まさにそこに応報刑としての刑罰の本質があると考えられる。外形的に加えられる生命・自由・財産の剥奪は、それ自体として重要なのではない。それは非難を体現する手段ないし方法にすぎない。まさに重要なのは、そこで伝達される「意味」そのものなのである。…
⑥段落。そのような非難の告知は、犯罪が行われた後、有罪判決の言渡しの時点ではじめて行われる。有罪判決を下され、そこにおいて過去の違法行為を非難された犯人は、将来それを回避するであろうことが期待されるから、そうした非難の告知は将来の犯人の行動のコントロールのためにも役立つ。そして「このような非難という意味の直接の受取り手(意味の伝達の宛先)は、犯人自身であるとしても、犯人以外の一般市民もそれをメッセージとして受け取る」(傍線部(4))であろう。非難の告知や行動のコントロールは、単に行為者本人のみならず、同様の罪を犯す状況に陥りかねない多くの潜在的行為者(すなわち、われわれ皆)を対象としている。…

⑦段落。注意すべきことは、非難としての刑罰の機能は、決して犯罪後の有罪判決の時点になってはじめて急に作用するというものではありえないことである。刑法が、一定の行為を犯罪とし、それに対して一定の重さの刑を条文に定めることそれ自体が、一般市民に対する刑の賦課の警告として役立つものであり、そのような形で一般予防機能を営むことが期待できる。…
⑧段落。そしてそればかりではないだろう。刑法による非難の警告は、まさに違法行為が行われるその時点でも当該のその犯人にその行為を思い止まらせるように作用するものである。そしてまさに当該の行為者の犯罪を抑止しようとする点に刑法の一つの本質的な機能があると考えられる。…

⑨段落。以上のように、実害対応型の応報刑論は、実害への反動をいわばエンジン(駆動力)とするのであるが、兄の本質は責任非難であるからには、行為者が負いうる責任非難の程度がブレーキとなり、刑の重さが定まることになる。
⑩段落。こうした基本的な考え方に立脚して現行の刑罰制度を理解しようとするとき、刑罰制度の基礎には、相互に対立する方向に作用する二つのベクトルが存在し、科せられるべき刑の重さは、それらの兼ね合いにより決まることとなろう。これを死刑について見れば、実害の大きさとそれに見合った被害者(遺族)の処罰感情が重視されればされるほど、それだけ死刑の存在は不可欠なものと意識され、死刑の言い渡しもまた増加することになろう。これに対し、犯人の責任に注目し、犯罪現象に対し行為者個人にはいかんともなしえないことが多く、生命をもって償わなければならないほど、負うべき責任は極限的に大きいものではありえない、と考えるときには、死刑の言い渡しは限定的なものでなければならないことになり、さらには死刑制度そのものへの懐疑も生じてくるであろう。

⑪段落。こうした、正反対の方向に働く二つのベクトルの力関係は、「マクロの視点」(傍線部(5))で見たとき、第二次世界大戦後の日本の刑罰制度の運用を規定し続けてきたように思われる。すなわち、一方における被害者(およびその遺族)への共感と、他方における犯人の犯罪に対する責任の重さの評価とが、死刑を含む刑罰制度のあり方を決定する重要なファクターであったと理解することができる。
⑫段落。戦後の流れを鳥瞰すると、1980年代までは、不幸な条件の重なりの下で犯罪を犯すに至った犯人に対する、一定程度の理解と同情が共有されていたことが、犯罪に対する比較的軽い処分と量刑全般の寛刑化の傾向の根底にあったと考えることができよう。これに対し、平成時代に入り、1990年代以降、いわゆる重罰化・厳罰化の傾向が強く生じたことの背景には、この頃から自己責任の思想が広がるとともに、被害者の立場にも目を向ける動きが活発化したことがあると見られる。

⑬段落。刑罰制度の根底にある、正反対の方向に働く二つのベクトルの力関係は、「ミクロの視点」(傍線部(6))で見ると、日々の刑罰制度の運用において、被害者とその遺族の立場に思いを致すか、それとも犯人の立場に思いを致すかという、二者択一の対立関係として現れている。…(映画『デッドマン・ウォーキング』より。死刑確定者マシューのサポートを引き受けたヘレンは、被害者遺族の話を聞こうとするが、被害者の両親はヘレンがマシューをサポートする側であることを知ると怒りを爆発させ、ヘレンを家から追い出す。愛娘を失った中年夫婦は、真に遺族の心情を理解するのであれば死刑確定者の側に立つことはできない、とヘレンをなじる…)。
⑭段落。実害対応型の応報刑論に立脚する限り、われわれの刑事裁判制度は、右の被害者遺族の言葉に集約されているような、第三の立場から調停することのおよそ不可能な二元的対立に規定されたものであり続けるほかはないであろう。「はたしてそれでよいのかがいま問われなければならない」(傍線部(7))。

⑮段落。ここでようやく、本書がその全体で訴えたいと思う主張の中核部分の概要を明らかにすることができる。本書は、右に見たような、現在において支配的な、二元的な刑罰の理解、すなわち、実害への反動をエンジン(駆動力)とし、行為者への責任非難をブレーキとする刑罰の理解、言い換えれば、その本質において、被害者(およびその遺族)の立場に思いを致すか、それとも犯人の立場に思いを致すかという(調停不可能な)対立関係に規定された刑罰の理解に対し、理論的な反省を加え、これを克服することを目ざそうとする一つの試みである。


〈設問解説〉
問一 (漢字の書き取り)
(a)代替 (b)抑止 (c)弁明


問二「刑の重さは、現に生じた実害の重さだけで決まるものではない」(傍線部(1))とあるが、それはなぜか、具体例や比喩的表現を用いずに、簡潔に説明せよ。(35字程度)

理由説明問題。「Aではない」という形式の理由は、Aと対立的なBを把握し、「Bであるから」という形式で答えればよい(ないある変換)。そこで「刑の重さ」を決める「実害の重さ」(=A)に対応するBについては、一度「ブレーキが存在している」と比喩により示唆した上で、「行為者の負う責任の程度」とされる。これで解答の基本はできるのだが、注意点として、Bの要素に「ブレーキ」のニュアンスを加えること、またここでは「応報刑論」が話題の前提になっていること、を見逃してはならない。以上より解答は「応報刑論において刑の重さは/行為者の負う責任の程度により/限定されるから」となる。

〈GV解答例〉
応報刑論において刑の重さは行為者の負う責任の程度により限定されるから。(35)

〈参考 K塾解答例〉
量刑は、法益の損失分だけでなく、現行法の規定により犯罪行為者個人が負う責任の重さの程度も考慮されるものだから。(55)

〈大阪公立大学 出題意図〉
「実害対応型の応報刑論」であっても、単純に「実害の重さ」だけで「刑の重さ」が決まるわけではないことの理由を問う。傍線部以前の具体例や、「ブレーキ」という比喩的表現を用いずに解答する必要がある。


問三「犯罪ゆえにその行為者に加えられる国家的非難の形式」(傍線部(2))について、筆者はこの「刑罰」の定義について傍線部以降の部分で説明し、「形式」という語を七字でわかりやすく言い換えている。その箇所を抜き出せ。

〈答〉手段ないし方法


問四「刑罰の内実ないしその本質は何かといえば、それは犯罪を理由とする「国家的非難」なのである」(傍線部(3))について、「刑罰の内実ないしその本質」は「犯罪を理由とする「国家的非難」」であるとはどういうことか、「内実」「本質」という語を用いずに、わかりやすく説明せよ。(70字程度)

内容説明問題。「内実/本質」と「国家的非難」を具体的に説明するとよい。後者については、傍線部(③段末文)直後の具体例(④)を挟んだ後の⑤段落冒頭文より「刑を科すことは、科される者への非難のメッセージにほかならない」が根拠となる。前者を単なる言葉の置き換えではない形で具体的に説明するのは難しいが、④段落の具体例に着目するとよい。すなわち、④段落は「刑罰を科すこと」と「税金を課すこと」あるいは「感染症患者を強制入院させること」との「区別」されるポイント(=非難)について述べ、「刑罰」の「内実/本質」を明らかにしようとしている箇所に当たる。
以上を踏まえ、解答は「いかなる手段を講じるかを問わず/刑罰を他の行為と分ける目的となるものは//国家による刑を科す者に対しての非難のメッセージの伝達であるということ」となる。ここで「手段ー目的」という言葉を用いたのは、問三で解答したように、傍線直前で「(刑罰の)内実/本質」と対比的に用いられている「(刑罰の)形式」が⑤段落で「手段ないし方法」と換言されており、それを利用して「形式=手段」ー「内実/本質=目的」と見なしたことによる。

〈GV解答例〉
いかなる手段を講じるかを問わず刑罰を他の行為と分ける目的となるものは、国家による刑を科す者に対しての非難のメッセージの伝達であるということ。(70)

〈参考 K塾解答例〉
刑罰の意義は、国家の定める現行法の下で犯罪行為者に非難が科され、行為者もその意味を受け止めて将来の違法行為を回避することが望まれる点にこそ見出されるということ。(80)

〈大阪公立大学 出題意図〉
「刑罰」の「本質」(根本的性質)について説明している文章をわかりやすく言い換えさせる設問。傍線部の少し後に詳しい説明がある。


問五「このような非難という意味の直接の受取り手(意味の伝達の宛先)は犯人自身であるとしても、犯人以外の一般市民もこれをメッセージとして受け取る」(傍線部(4))について、「犯人以外の一般市民もこれをメッセージとして受け取る」とはどういうことか、「これ」が指す内容や、「メッセージ」の具体的内容を明らかにしつつ、わかりやすく説明せよ。(70字程度)

内容説明問題。まず主部にあたる「犯人以外の一般市民」は傍線部次文より「同様の罪を犯す状況に陥りかねない潜在的行為者」を参照するとよい。「これ」「メッセージ」「受け取る」については、傍線部前文で「違法行為された犯人」について述べており、「一般市民」も「これ」を「メッセージ」として「受け取る」としているわけだから、「犯人」について述べられた内容をトレースして述べればよい。要するに「これ=非難の告知」「メッセージ=自分にも当てはまる」「受け取る=行動をコントロールする」となる。以上を核として、⑥段落全体の内容を踏まえさらに分かりやすく説明し、以下のように解答した。「犯人と同様の罪を犯しうる潜在的行為者は/刑罰を通しての国家による非難の告知を/自らにも適用されうるものとして/理解し行動を抑制するということ」。

〈GV解答例〉
犯人と同様の罪を犯しうる潜在的行為者は、刑罰を通しての国家による非難の告知を、自らにも適用されうるものとして理解し行動を抑制するということ。(70)

〈参考 K塾解答例〉
犯罪行為者に対する非難の告知を、潜在的に罪を犯しかねない不特定多数の市民が自身への戒めの意味として受け止めることで、犯罪行為が未然に防止される効果が生まれるということ。(84)

〈大阪公立大学 出題意図〉
問四を受け、国からの非難の告知が持つ、犯罪の「一般予防効果」について、その内容が正しく理解できているかを試す設問。「メッセージ」の具体的内容を自身で補う必要がある。


問六「マクロの視点」(傍線部(5))・「ミクロの視点」(傍線部(6))について、筆者はそれぞれどのような視点をこのように表現しているのか、わかりやすく説明せよ。(100字程度)

内容説明問題。まず前提として押さえなければならないのは、「マクロの視点」「ミクロの視点」双方とも、「正反対の方向に働く二つのベクトルの力関係」についての視点である。本文冒頭から述べられてきた「応報刑論」における「実害への反動」と「行為者が負いうる責任非難」である(⑨)。刑の重さを定めるにあたって、前者は「エンジン」として働き「被害者(遺族)の処罰感情」に寄り添い、後者は「ブレーキ」として働き「犯人の責任」能力の程度を吟味する、のであった(⑩)。
これを踏まえた上で、「マクロの視点」については⑪⑫段落を、「ミクロの視点」については⑬段落を参照するとよい。つまり、前者については「第二次世界大戦後の日本の刑罰制度の運用」において1980年代までは「犯人に対する、一定程度の理解と同情」により「量刑全般の寛刑化」に向かい、一転1990年代からは「被害者の立場に目を向ける動きが活発化」し「重罰化・厳罰化」の傾向が強まった、ということである。一方、後者については「日々の刑罰制度の運用」において「被害者とその遺族の立場に思いを致すか(→重罰)」、それとも「犯人の立場に思いを致すか(→寛刑)」という二者択一の対立関係が現れるということである。
以上の内容を的確にまとめ、以下のように解答した。「戦後日本の刑罰制度の運用において/量刑全般が寛刑化の傾向から重罰化の傾向へと転じたという/通時的な視点と(←マクロ)//日々の裁判の運用において/被害者側から重罰を求めるか、犯人の責任の軽減を求めるかという/共時的な視点(←ミクロ)」。

〈GV解答例〉
戦後日本の刑罰制度の運用において量刑全般が寛刑化の傾向から重罰化の傾向へと転じたという通時的な視点と、日々の裁判の運用において被害者側から重罰を求めるか、犯人の責任の軽減を求めるかという共時的な視点。(100)

〈参考 K塾解答例〉
マクロの視点は、戦後以降の刑罰制度の運用における犯罪の被害者への共感と、犯人の犯罪に対する責任の重さの評価とのバランスの推移を俯瞰する視点だが、ミクロな視点は、個別的な刑罰制度の運用における被害者と犯人の立場とのせめぎ合いに焦点をあてる視点である。(124)

〈大阪公立大学 出題意図〉
日本の刑罰制度の運用について、筆者が対比的にいう「マクロの視点」「ミクロの視点」とは、それぞれ具体的にどのような視点をいうのかを問う。


問七「はたしてそれでよいのかがいま問われなければならない」(傍線部(7))について、筆者は何をどのような理由で問題視しているのか、本文全体の内容を踏まえてわかりやすく説明せよ。(100字程度)

理由説明問題。直接の根拠となるのは、傍線部前文「実害対応型応報刑論に立脚する限り、われわれの刑事裁判制度は…第三の立場から調停することのおよそ不可能な二元的な対立に規定されたものであり続けるほかはないであろう」。ここから解答の形式は「実害対応型の応報刑論に立つ日本の刑事裁判制度を/Aの立場と/Bの立場との/対立を本質的に調停不可能だという理由で問題視している」となる。あとは「二元的な対立」、すなわち全文を通して述べられてきたA「実害への対応/エンジン」とB「行為者への責任非難/ブレーキ」とを、対比が明確になるようにそれぞれ説明するとよい。すなわちA「犯罪による具体的な実害に見合う刑罰を要求する(←エンジン)立場」、B「行為者の責任に見合うように刑罰を限定する(←ブレーキ)立場」として、先の解答フォームに埋め込み、最終解答とした。

〈GV解答例〉
実害対応型の応報刑論に立つ日本の刑事裁判制度を、犯罪による具体的な実害に見合う刑罰を要求する立場と、行為者の責任に見合うように刑罰を限定する立場との対立を本質的に調停不能だという理由で問題視している。(100)

〈参考 K塾解答例〉
犯罪の実害と刑罰の均衡を唱える応報刑論の下、被害者と犯人を対立的に捉える理解が支配し、自己責任と、被害者重視の考えに基づいて重罰・厳罰化傾向を強めている現状を、第三者の立場から調停することで犯行の責任に見合う刑罰を科すありうべき応報刑論に基づいていないという理由で問題視している。(140)

〈大阪公立大学 出題意図〉
この文章全体で筆者が何を問題提起しているのかを問うまとめの設問。傍線部前後の説明を参考にしてまとめる。

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