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2011京都大学/国語/第一問/解答解説

【2011京都大学/国語/第一問/解答解説】

〈本文理解〉
出典は長田弘『失われた時代』。筆者は詩人。
①段落。「おまえはじぶんが生きなければならないように生きるがいい」という言葉が、好きだ。ロシア革命直前のモスクワの貧民街に生きる人びとの真実を生き生きとえがきだしたロシアの作家レオニード・レオーノフの最初の長篇『穴熊』の第一部にでてくる、名もない老帽子屋がポツンと呟く印象的な言葉だ。
②段落。この帽子屋は、生涯一日に一個の帽子をつくりつづけてきた。「俺はもうおいぼれだ、どこへゆくところがあろう? 慈恵院へも入れちゃくれねえ‥‥おら血も流さなきゃ、祖国を救いもしなかったからなあ。しかも目の奴あ──畜生め──針を手にとりあげてみても、針もみえねえ、糸もみえねえ。だからさ、な、若えの、おら役にもたたぬところをいつも無駄に縫ってるんだ。‥‥ただこの手、手だけがおれを欺さねえんだ(傍線部(1))‥‥」
③段落。そして帽子屋は、レーニンの軍隊がクレムリン砲撃をはじめる前日のきびしく冷めたい真夜中に「ふるくなった帽子のように」誰にも知られず、石造の粗末なアパートの隅でひっそりと死んでゆく。
④段落。ポーランドの小さな町オシフィエンツムからはじめた、失われた時代の、失われた人びとの、失われた言葉へのひとり旅をつづけるあいだ、いつもわたしの胸の底にあったのは、若いレオーノフが感傷をまじえずに書きこんだ、その無名のロシアの帽子屋の生きかたの肖像だった。この帽子屋の生死には、「生きることをじぶんに引きうけた人間に特有の自恃と孤独」(傍線部(2))が、分かちがたくまざっていた。その「じぶんが生きなければならないように生きる」一個の生きかたこそ、わたしたちがいま、ここに荷担すべき「生きる」という行為の母型なのだと、わたしにはおもえる。
⑤段落。生きることをじぶんにとっての〈生きるという手仕事〉として引きうけること──帽子屋の手は、かれがどんなに老いぼれて目がみえなくなってしまっていても、その仕事をいっしんに果たしつづけた。それは、かれの仕事が、ほんとうは日に一個ずつ帽子を完成することそれ自体にではなく、日に一個ずつ帽子をつくるというしかたで、その手をとおしておのれの〈生きるという手仕事〉をしとげてゆく、ということにあったからだった。生きるとは、そのようにして、日々のいとなみのうちにみずからの〈生きるという手仕事〉の意味を開いてゆくという、わたしの行為なのだ。
⑥段落。それがどんなにいかなる政治体制のもとに圧されて果たされる生であるようにみえ、また「血も流さなきゃ、祖国を救いもしない」生にみえようと、ひとがみずからの生を〈生きるという手仕事〉として引きうけ、果たしてゆくかぎり、そこには決して支配の論理よって組織され、正統化され、補完されえないわたしたちの〈生きるという手仕事〉の自由の根拠がある、というかんがえにわたしはたちたい。〈生きるという手仕事〉は、それがどんなにひっそりと実現されるものであろうと、権力の支配のしたにじっとかがむようにみえ、しかもどんな瞬間にもどこまでも権力の支配のうえをゆこうとするのだ。
⑦段落。1930年代の日本をもっともよく生きた詩人のひとりだった伊藤静雄は、敗戦後、復員してすぐ軍服のままたずねてきた若い作家が、戦争中右翼的なことを強く主張し指導者面をしていた連中が早くもアメリカ仕込みの民主主義の指導者面をしていることにたいする不快感を述べると、人間はそれでいいのですよ、共産主義がさかんな時は共産主義化し、右翼がさかんな時は右翼化し、民主主義が栄えてくれば民主主義になるのが本当の庶民というもので、それだからいいのですと、その軍服姿を戦争中のいやな軍部の亡霊をみたように不快がって、若い作家をおどろかせた、といわれる。
⑧段落。その挿話はわたしにはとても印象的な記憶としてのこっているが、しかしこの伊東静雄のような「庶民」のとらえかたは、わたしにはまさに「本当の庶民」像の倒錯にすぎないようにおもわれた。わたしのかんがえは、ちがう。「本当の庶民」ということをいうならば、共産主義の時代がこようと右翼がさかんな時世がこようと民主主義の世の中がこようと、人びとはけっして「共産主義化」も「右翼化」も「民主主義化」もせず、みずからの人生を、いま、ここに〈生きるという手仕事〉として果たしてゆくほかならないだろうからだ。
⑨段落。〈生きるという手仕事〉を果たすという生きかたは、だから、「そのときそのときの支配の言葉を販いで生きのびてゆく生きかた」(傍線部(3))を、みずから阻んで生きるわたしの生きかたなのだ。
⑩段落。生きることをみずからの〈生きるという手仕事〉としてとらえかえすということは、ひとりのわたしを他の人びとのあいだで自律的につかみなおすこと、そうしてみずからの生きかたを、日々の布地に刺し子として、不断に刺縫いしてゆくということだ。『穴熊』の帽子屋のように一日一個ずつ帽子をつくってゆく行為でさえ、それが〈生きるという手仕事〉のいとなみを手離さなかったかぎりにおいて、その行為は意識的にせよ無意識にせよ、「社会の支配をささえるようにみえながら同時に社会の支配をみかえす無名の行為」(傍線部(4))のひとつとして、社会の支配のついにおよばない自由を生きる本質をふかくそなえていたはずだ。
⑪段落。ある詩人が正確に書いたように、人の生は I was born という受け身にはじまる。すなわち、ひとは偶然に生まれて、ほんとうに死ぬ存在である。こうした生のありようを、わたしたちは正しくうけいれるべきだ。なぜなら、それがわたしたちの歴史だからだ。
⑫段落。…「おまえはじぶんが生きなければならないように生きるがいい」という言葉が、好きだ。生きてゆくというのは、生のもつあいまいさ、貧しさ、複雑さを、つまりわたしたちの世界にはなにかしら欠けたものがあるという酸っぱいおもいを切りかえし、切りかえしして生きてゆくということであり、それは、一見どんな怯懦に、また迂遠にみえようと、支配することをせずに、しかも支配の思想をこえる途をつつみもつひとりのわたしの生きかたをみずからの〈生きるという手仕事〉のうちにつらぬいてゆくことだ。
⑬段落。失われた時代の、失われた人びとの、失われた言葉への旅をとおして、わたしがじぶんの目とじぶんの足で確かめたかったのは、〈生きるという手仕事〉を自覚してじぶんに引きうけた人たちの生きかたが、わたしたちのいま、ここに遺した未来だ。遺されたその未来にむけて、わたしは、「おまえはじぶんが生きなければならないように生きるがいい」というロシアの老帽子屋の言葉を、「おまえは希望としての倫理によってではなく、事実を倫理として生きるすべをわがものとして、生きるようにせよ」(傍線部(5))というふうに、あらためていま、ここに読みかえることで、その言葉を、さらに今後に記憶しつづけてゆきたいのである。


〈設問解説〉
問一「ただこの手、手だけがおれを欺さねえんだ」(傍線部(1))はどういうことをいっているのか、わかりやすく説明せよ。(三行)

内容説明問題。注意すべきなのは、傍線部が老帽子屋のセリフの中に引かれていて、そこでの直接的な意味を問うていることだ。決してそれに「ついて」の筆者の見解ではない。ポイントは「だけ」と「手だけが欺さねえ」という比喩表現。老帽子屋のセリフと⑤段落「帽子屋の手」についての記述を参照する。「だけ」を「目が見えなくなっても、国家の保護(←慈恵院)を頼れなくても、自らの手だけは」と表現し、「欺さねえ」を「確実に〜支えてくれる」と表現した。

〈GV解答例〉
どんなに老いぼれて目が見えなくなっても、国家の保護を頼れなくても、自らの手だけが確実に一日一個の帽子を縫い続けるという生き方を支えてくれるということ。(75)

〈参考 S台N師解答例〉
生涯一日に一個の帽子を作りつづけてきた帽子屋は、老いても国家に頼れず、視力も失ったが、今でも手で縫うという作業だけは確実に果たし続けることができるということ。(79)

〈参考 S台解答例〉
自ら受け入れた生きかたを日々の営みを通して不断に遂行する行為だけが、自己の生をいかなる支配の論理からも自由なものにするということ。(65)

〈参考 T進解答例〉
老いて視力も衰えながらも、生きなければならぬように生きると言う仕事を、日々の労働を通じて果たし続けた手だけはその働きを失わず、真の自由の下に、生の確かな実感を与え続けるということ。(85)


問二「生きることをじぶんに引きうけた人間に特有の自恃と孤独」(傍線部(2))を、帽子屋のいとなみに即してわかりやすく説明せよ。(三行)

内容説明問題。「生きることをじぶんに引きうけた」帽子屋のいとなみの「自恃(→自らを頼みとすること)」と「孤独」を説明する。傍線部が名詞で終わる場合、説明が硬直するので、傍線部一文で捉え、「〜(帽子屋の)いとなみは孤独だが、〜自恃を感じさせるということ」という構文でまとめるとよい。帽子屋の「孤独」については、ロシア革命直前の社会の動きと無関係に一日一個の帽子を作り続けたこと(a)、そして「クレムリン砲撃」の前日に誰にも知られずひっそり死んだこと(b)を踏まえ(①〜③)、解答の前半に配するとよい。これは同時に「自恃」の根拠にもなるものである。
次に「引きうけた」と「自恃」については、⑥段落「ひとがみずからの生を〈生きるという手仕事〉として引きうけ、果たしてゆくかぎり(c)/そこにはけっして支配の論理によって組織され、正統化され、補完されえない(d)/わたしたちの〈生きるという手仕事〉の自由の根拠がある(e)」を参照した。以上を簡潔にまとめて、「外の世界と無関係に(a)/日に一個ずつの帽子を作ることを使命とし(c)/それを死ぬまで続けたいとなみは孤独だが(b)/何物にも動じない(d)/自由な境地を感じさせるということ(e)」とした。

〈GV解答例〉
外の世界と無関係に、日に一個ずつの帽子を作ることを使命とし、それを死ぬまで続けたいとなみは孤独だが、何物にも動じない自由な境地を感じさせるということ。(75)

〈参考 S台N師解答例〉
手だけを頼りに毎日帽子を作りつづける仕事を、自ら生きるべき一個の生き方とした者にふさわしく、帽子屋は、権力から自由に生き、無名のまま密かに死んだということ。(78)

〈参考 S台解答例〉
帽子屋が老いて目が見えなくなっても、自らの手だけを頼りに一日一個の帽子を作る仕事を人知れず果たし続け、ひっそりと死んでいったということ。(68)

〈参考 T進解答例〉
日に一個の帽子を作るという仕方で生きねばならぬように生きた帽子屋は、老いても仕事を果たし続ける自らの腕への自負を保持しつつも、保護も受けられずに誰にも知られることなく死んでいったということ。(95)


問三「そのときそのときの支配の言葉を販いで生きのびてゆく生きかた」(傍線部(3))をわかりやすく説明せよ。(三行)

内容説明問題。主題と対比される「対視点の作問」である。参照すべきは「この伊藤静雄のような「庶民」のとらえかた」が承ける⑦段落「共産主義がさかんな時は共産主義化し、右翼がさかんな時は右翼化し、民主主義が栄えてくれば民主主義になるのが本当の庶民」。これに加え、「販いで生きのびる」という比喩のニュアンスを出し、傍線部が名詞で終わる場合、説明が硬直するので「庶民が〜生きのびること」という構文でまとめる。以上より、「権力を持たない庶民が/各時代が求める支配的なあり方に自らを同調させ/その変化にも柔軟に対応することで/権力と衝突することなくしたたかに生きのびること」と解答できる。

〈GV解答例〉
権力を持たない庶民が、各時代が求める支配的なあり方に自らを同調させ、その変化にも柔軟に対応することで、権力と衝突することなくしたたかに生きのびること。(75)

〈参考 S台N師解答例〉
庶民は、各時世の政治体制における、それぞれの支配の論理によって組織され、正統化され、補完されることを受けいれることで自己の利益を図り、保身的に生きるということ。(80)

〈参考 S台解答例〉
自己の個人的な生きかたを堅持せず、時代ごとの権力の支配的な価値観に迎合して変節することにより、わが身の安定を図って生きる姿勢。(63)

〈参考 T進解答例〉
自律的に生を構築しようとはせずに、その時代の政治体制におもねって権力の支配を受け入れ、世に支配的な考え方に雷同しながら、世が変わればためらいなく自らも変節を重ねて保身を図る生き方のこと。(93)


問四「社会の支配をささえるようにみえながら同時に社会の支配をみかえす無名の行為」(傍線部(4))のように帽子屋のいとなみをとらえることができるのはなぜか、その理由を述べよ。(五行)

理由説明問題。帽子屋のいとなみが「社会の支配をささえるようにみえ」る点(A)と、それが実は「社会の支配をみかえす」行為である点(B)を指摘するとよい。文系の付加問題で、問二と概ね論点がかぶるので、上手く言葉を振り分けて解答を作りたい。まずAについては、ロシア革命直前の動きと呼応しない点(①〜③)、自分の生まれ落ちた貧しい境遇を甘受し帽子を作り続ける点(④〜⑥⑪)、これらは一見「権力の支配にじっとかがむようにみえ」る(⑥)。しかしそのいとなみは、傍線部に続く述部にあるように「社会の支配のついにおよばない自由を生きる本質をふかくそなえていたはずだ(⑩)」と筆者は見なすのである(→B)。これを具体化する記述として、同じ⑩段落の「自律」と「けっして支配の論理によって、組織され、正統化され、補完されない(⑥)」を用い、以下のように解答する。「ロシア革命前夜の社会の動きと関係なく/自分の生まれ落ちた貧しい境遇を甘受し/ただ日に一個の帽子を作り続けるいとなみは/時の権力に屈服しているように見えるが//実は決して支配の論理に組織され、正統化され、補完されない/自律的で自由なあり方を示しているから」。

〈GV解答例〉
ロシア革命前夜の社会の動きと関係なく、自分の生まれ落ちた貧しい境遇を甘受し、ただ日に一個の帽子を作り続けるいとなみは、時の権力に屈服しているように見えるが、実は決して支配の論理に組織され、正統化され、補完されない自律的で自由なあり方を示しているから。(125)

〈参考 S台N師解答例〉
一日一個ずつ帽子を作ってゆく孤独な帽子屋の行為は、政治体制の下に圧されて果たされる生に見えるが、自ら引き受けた一個の生き方を手離さないかぎりで、自己を他の人々の間で自律的につかみなおす自由を備えているから。(103)

〈参考 S台解答例〉
名もない帽子屋が帽子を作り続ける行為は、それが日常において手仕事を行い、必然的に生きることであるかぎり、社会的抑圧を受けてただ果たされる生に見えても、社会的支配に従う生き方を阻み、社会の中の自己を自律的に把握し直すことであるから。(115)

〈参考 T進解答例〉
政治体制の変革を図り、あるいは祖国のために戦うこともなく、日に一つの帽子を作り続ける名なき帽子屋の行為は、権力の試合に黙従するように見えながら同時に、自らを自律的に把握して、生きなければならないように生きるという生の母型に則したものであり、世の風潮への安易な妥協を拒み、権力の支配も及ばぬ生を実現しているから。(155)


問五「おまえは希望としての倫理によってではなく、事実を倫理として生きるすべをわがものとして、生きるようにせよ」(傍線部(5))の「希望としての倫理によって」生きることと「事実を倫理として生きる」ことの違いをわかりやすく説明せよ。(六行)

内容説明問題。まず、傍線部は「じぶんが生きなければならないように生きるがいい」という老帽子屋の言葉の筆者による読み替えである、ということに注意したい。ならば「事実を倫理として生きる」と「じぶんが生きなければならないように生きるがいい」が直接対応するとして、その前で否定される「希望としての倫理によって(生きる)」と対応する言葉があるのではないか? そもそも「じぶんが生きなければならないように→生きるがいい」という言い方は、よく考えるとチグハグなものだ。というのも前半に当為を課しながら、後半に好きにやってええよーと言ってるようなものだからである。これは「じぶんが生きたい(希望)ように→生きるがいい」とするのが普通の言い方ではないのか? つまり「事実を倫理として生きる」(後者)と「じぶんが生きなければならないように生きるがいい」が対応するように、「希望としての倫理によって」生きる(前者)は「じぶんが生きたいように生きるがいい」と対応するのである。
ここから、前者は希望によって生き方(倫理)を選ぶことを認めるが、後者は「事実」に基づいて生きる(倫理)ことを課す、という対比が見えてくる。ここで言う「事実」とは何か? 一つは⑪段落「ひとは偶然に生まれて、ほんとうに死ぬ存在である。こうした生のありようを、わたしたちは正しくうけいれるべきだ(a)」。もう一つは傍線部直前の⑬段落「わたしがじぶんの目とじぶんの足で確かめたかったのは、〈生きるという手仕事〉を自覚してじぶんに引きうけた人たちの生きかたが、わたしたちのいま、ここに遺した未来だ(b)」。以上を踏まえ、「前者は〜という一般的な言い方と対応し/自らの希望によって生き方を選ぶことを意味する//後者は〜という帽子屋の言葉と対応し/自らの生まれ落ちた境遇と(a)先人の残した歴史(b)を運命として引きうけ/それに準じて生きることを意味する」と解答できる。

〈GV解答例〉
前者は「じぶんが生きたいように生きるがいい」という一般的な言い方と対応し、自らの希望によって生き方を選ぶことを意味する。後者は「じぶんが生きなければならないように生きるがいい」という帽子屋の言葉と対応し、自らの生まれ落ちた境遇と先人の残した歴史を運命として引き受け、それに準じて生きることを意味する。(150)

〈参考 S台N師解答例〉
前者は、権力による支配の論理によって組織され、正統化され、補完される生を、自らの理想として追求する生き方である。これに対して、後者は、支配の思想を超え、現在の自己の生死のありようを正しく自覚して受容し、一個の自己として必然的で自律的な生を続ける自由な生き方である。(132)

〈参考 S台解答例〉
世界が不完全であるという辛い思いを抱いて生きる人間が、前者は、事実としての受動的な生と死を拒み、支配の思想を抱いてより良い生を求めるのに対して、後者は、自己の生と死の事実を正しく受容し、支配を越え、自己を他者の間で自律的に把握し直し、必然的な生きかたを不断に続けることである。(139)

〈参考 T進解答例〉
世界には欠けたものがあって人はやり切れなさを抱くが、前者はそうした現実を受容せず、理想を求めて支配を志向する生き方である。一方後者は、矛盾に満ちた現実への思いをのみこみ日常をひたむきに生きるという仕方で、生きなければならないように生きるという、我々も加担すべき生の母型に則り、他者の中での自己を自律的に把握し直して、どんな権力の支配も及ばぬ自由を獲得するという違いがある。(186)

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