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2021東京大学/国語/第四問/解答解説

【2021東大国語/第四問/解答解説】

〈本文理解〉
出典は夏目漱石「子規の画」。
前書きに「この文章は、夏目漱石が正岡子規を偲んで記したものである。子規は闘病のかたわら「写生」を唱えて短歌・俳句の革新運動を行い、三十代半ばで逝去した」とある。
①段落。余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまって置いた。…渋紙の袋を引き出して塵をはたいて中を検べると、画は元のまま湿っぽく四つ折りに畳んであった。画のほかに、無いと思った子規の手紙も幾通か出て来た。余はその中から子規が余に宛てて寄こした最後のものと、それから年月の分からない短いものとを選び出して、その中間に例の画を挟んで、三つを一まとめに表装させた。
②段落。画は一輪ざしに挿した東菊で、図柄としては極めて単簡なものである。傍に「これは萎みかけた所と思いたまえ。「下手いのは病気の所為だと思いたまえ」(傍線部ア)。嘘だと思わば肘をついて描いて見たまえ」という註釈が加えてある所を以て見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう。…彼はこの画に、東菊活けて置きけり火の国に住みける君が帰り来るかなという一首の歌を添えて、熊本まで送って来たのである。
③段落。壁にかけて眺めて見ると「いかにも淋しい感じがする」(傍線部イ)。色は花と茎と葉と硝子の瓶を合わせてわずかに三色しか使ってない。花は開いたのが一輪に蕾が二つだけである。葉の数を勘定して見たら、すべてでやっと九枚あった。それに周囲が白いのと、表装の絹地が寒い藍なので、どう眺めても冷たい心持ちが襲って来てならない。
④段落。子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎の花に、少なくとも五六時間の手間をかけて、どこまでも丹念に塗り上げている。これほどの骨折りは、いかにも無雑作に俳句や歌を作り上げる彼の性情からいっても、明らかな矛盾である。…
⑤段落。東菊によって代表された子規の画は、拙くてかつ真面目である。才を呵して直ちに章をなす彼の文章が、絵の具皿に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとりと竦んでしまったのかと思うと、「余は微笑を禁じ得ないのである」(傍線部ウ)。…馬鹿律儀なものに厭味も利いた風もありようはない。そこに重厚な好所があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直なものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、咄嗟に弁ずる手際がないために、やむを得ず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免れ難い。
⑥段落。子規は人間として、また文学者として、もっとも「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉え得たためしがない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊のなかに、確かにこの一拙字を認めることのできたのは、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。できうるならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、「淋しさの償いとしたかった」(傍線部エ)。


〈設問解説〉
問一「下手いのは病気の所為だと思いたまえ」(傍線部ア)にあらわれた子規の心情について説明せよ。(2行)

心情説明問題。子規が筆者に送った画、その画に加えられた註釈の意図について問うていると考えればよい。「意図」を問う問題は文脈的な説明に拘泥せず、メタレベルに立って説明する必要がある。一般に註釈を加えるということは、本作がダイレクトに与える印象だけでは不足すると考えるからである。傍線部の後で筆者漱石が「…という註釈が加えてある所を以て見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう」と推測するように、子規も自らの画が上手いとは思っていないし、漱石にも下手に見られると予測している。その上で、「病気の所為」と予めエクスキューズ(言い訳)を入れておくことは、自らの画の拙さへの照れ隠しであり、一種の予防線を張ったということだろう。つまり、漱石が見た時の失望感を和らげようと考えて、注釈をつけておいたのである。

〈GV解答例〉
予め注釈で言い訳し強がることで、自らも自覚している画の拙さからくる照れを隠すとともに、漱石が見た時の失望感を和らげようとする心情。(65)

〈参考 S台N師解答例〉
自分の描いた絵が拙劣であるのは自認していると記すことで、寝たきりの病状や漱石への友情を明るく伝えたいという心情。(56)

〈参考 S台解答例〉
遠く離れた友人に贈るため懸命に描いた自らの画の拙さに気恥ずかしさを覚え、自身の病にことよせてそれを取り繕おうとしている。(60)

〈参考  K塾解答例〉
自分の画の拙さを自覚し、それを病身のつらい姿勢によるものだと言い訳しつつ、友である漱石に懸命に描いたことをわかってもらおうとする心情。(62)

〈参考 Yゼミ解答例〉
自分でも拙さを隠せない絵を贈るに際して、慣れない絵の不出来を自らの病気のせいと釈明することで、漱石の寛大さを頼もうとしている。(63)

〈参考 T進解答例〉
遠地の友に贈るために懸命に描いた画の拙さを自覚しつつも、それが病苦を押して描いた困難さゆえであることを、言い訳めいても伝えておきたいという心情。(72)


問二「いかにも淋しい感じがする」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。(2行)

理由説明問題。もちろん一義的には、図柄や色使いの短調さ(a)、背景や表装の色調の冷たさ(b)、から来る「淋しさ」である(③段落)。ただ、これだけでは皮層に過ぎる。今、漱石は「亡友の記念(かたみ)」(①)としての画を表装させ、「壁にかけて見」ているところである(傍線直前)。ここでの「淋しい」は、本文結部「ただ画がいかにも淋しい。できうるならば子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、「淋しさの償いとしたかった」(傍線部エ)」と響き合っている。ここには2つの「淋しさ」がある(→問四)。画の淋しさと子規のいない淋しさ(喪失感)である。仮に画が「雄大」ならば漱石の喪失感も少しは紛れた(←償い)かもしれない。画自体の淋しさ(a+b)が漱石の喪失感をまた強めるのである。以上を踏まえ「淋しさ」の理由として、「(a+b)に加えて、その画が亡友を思い出す際のよすがでもあるから」とまとめた。

〈GV解答例〉
子規の画の図柄と色使いの単調さ、背景と表装の色調の冷たさからくるもの哀しさに加えて、その画が亡友を思い出す際のよすがでもあるから。(65)

〈参考 S台N師解答例〉
極めて簡単な図柄で、用いた色は三色のみ、花と蕾は三つ、葉は九枚で、周囲は白く表装は寒色と、全体に殺風景な印象であるから。(60)

〈参考 S台解答例〉
子規の画は色彩に乏しく素朴で淡白なものであり、そこに死が迫り友の帰郷を願う子規の孤独と哀しみが重なるように思われたから。(59)

〈参考  K塾解答例〉
亡き友の送ってくれた画は、一輪ざしの東菊を白地に少ない色数で生真面目に描いたものであり、寒々しい藍色の表装とも相まって物悲しさを感じさせたから。(72)

〈参考 Yゼミ解答例〉
三色しか使われておらず、花一輪、蕾が二つ、葉が九枚という簡素な図が白を背景に描かれ、その上、寒色である藍色で表装されていたから。(64)

〈参考 T進解答例〉
画中の色の数の少なさや表装の藍色の冷たい印象のせいもあるが、愚直に、根気強く描いたはずの花や葉は僅かで、病でそれ以上描けなかったように思われたから。(74)


問三「余は微笑を禁じ得ないのである」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。(2行)

理由説明問題。直接的には「彼の文筆が、絵の具に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと(→傍線部)」が根拠となるが、比喩的表現で使いにくい。そこで、次⑥段落冒頭「子規は人間として(a)、また文学者として(b)、もっとも「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉え得たためしがない」を参照する。その「拙」の欠乏した男である子規が、漱石に贈った画に「隠しきれない拙(c)」(⑤)を見せたのだから、漱石は微笑を禁じ得なかったのである(ギャップ萌え)。
cについては傍線直前に加えて「あれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのぐらい時間と労力を費やさなければならなかった」(⑤)を参考に(④の内容でもよい)具体化する。bについては「才を呵して直ちに章をなす(=才能のおもむくままに作品ができあがる ※本文注)」(⑤)を参考に具体化する。以上より「優れた句を容易く生み出す俳人としての才は勿論(b)/人間としても非のつけ所がない子規が(a)/意外にも一枚の画に苦闘している痕跡を認めたから(c)」とまとめた。

〈GV解答例〉
優れた句を容易く生み出す俳人としての才は勿論、人間としても非のつけ所がない子規が、意外にも一枚の画に苦闘している痕跡を認めたから。(65)

〈参考 S台N師解答例〉
才能の赴くままに写生の詩歌を作る子規が、写生画は拙く、時間と労力を要したと思うと、その矛盾がどうにも好ましいから。(57)

〈参考 S台解答例〉
写生を唱え文学には鋭敏な才覚を見せた子規が、画ではそうはいかず、愚直なまでに苦闘する姿がその画面から偲ばれたから。(57)

〈参考 K塾解答例〉
何事も器用にこなし、見事な句や歌を無造作に作った子規が、手慣れぬ画に関しては根気よく愚直に描くしかなかったところに、むしろ好ましさを感じたから。(72)

〈参考 Yゼミ解答例〉
俳句では軽々と自在に作品を作り上げる才能をもった子規が、こと画作に関してはその才能を発揮できなかったことをむしろ好ましく思ったから。(66)

〈参考 T進解答例〉
俳句や歌なら溢れる才能に任せて無造作に創作をなしえた子規が、慣れない画では筆が自在には動かず、愚直に、根気強く描くしかなかったことが可笑しかったから。(75)


問四「淋しさの償いとしたかった」(傍線部エ)にあらわれた「余」の心情について説明せよ。(2行)

心情説明問題。傍線部を伸ばすと「ただ画がいかにも淋しい。できうるならば子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、「淋しさの償いにしたかった」(傍線部エ)」となる。傍線部の「淋しさ」は画のそれとは別個のものである。仮に拙な所が雄大に発揮されると後者は解消されるが、前者は「償い(埋め合わせ)」がなされてもそれ自体としては残るものである。もちろん、それは子規の不在からくる喪失感である。そして実際は子規の画の淋しさは喪失感を強めるものとして作用する。以上より、ここでの心情の中核は「償う(埋め合わせる)ことのできない淋しさ」である。
どうしてそれを強く感じているかというと、この結部に至る経緯を踏むと明確になる。つまり、人間として文学者として「拙」の欠乏した子規の、漱石に贈った東菊の画の中に、漱石は初めて子規の「拙」を見てとることができた(⑥段落)。そのことに漱石は微笑を禁じ得ないが(⑤)、そうして歿後十年になろうとする子規の、人間味のある側面を発見し近くに感じたからこそ、余計に子規の不在を痛感し淋しさを強めているのではなかろうか。解答は「子規の残した画に人間味を見出して可笑しみを感じた→逆に子規の不在を印象づける→尽きることない淋しさを感じている(心情)」とまとめた。

〈GV解答例〉
子規の残した画に意外な人間味を見出して可笑しみを感じたことが、逆に子規の不在を強く印象づけ、尽きることない淋しさを感じている心情。(65)

〈参考 S台N師解答例〉
万事に無欠な子規が、画は拙く、愚直な旨さを表した点は興味深いが、より雄大な画を描けるまで生きてほしかったという心情。(58)

〈参考 S台解答例〉
病のために大胆に発揮されることのなかった子規の愚直さをいとおしみ、多くの才能を示しながら若くして世を去った友を悼んでいる。(61)

〈参考  K塾解答例〉
子規が病床で描いた寒々しい印象の画に図らずも表れた「拙」という新たな可能性を切り開き、それを様々な面で開花してほしかったと、亡き友を哀惜する心情。(73)

〈参考 Yゼミ解答例〉
生前には俳句の才に溢れ、およそ拙とは無縁だった彼の形見の絵がいっそもっと拙ければと述べることで、亡き子規への追慕の思いを込めている。(66)

〈参考 T進解答例〉
何でも上手くこなす才能を持ち、初めて画において拙なる一面を見せたが、その新たな魅力を存分に発揮する前に病のために若くして世を去った友を哀悼する心情。(74)

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