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インド旅行記2ガンジス川にて〜冥き河のカロン〜

ガンジス川。今回の旅の最大の目的。それは他者の死を通して自らの生に価値を見出すこと。 

そこで私は覚悟していた『死』よりも恐ろしい何かに行き遭ってしまったわけなのだが詳しくはレポ漫画を読んで欲しい。

◆いくつもの人生が最期に辿り着く聖地

ガンジス川には夜明け前に着いた。朝日が昇る前のガンジスは薄暗く。冥い。既に何百人もの人間が集まり、祈りを捧げる準備と沐浴の準備をしていた。

この場所には人々の生活が根付いており、ここで洗濯や洗髪を済ませる。その横を亡骸が流れて行く。インド市街が獣と人が同じ空間に存在しているのと同じで、バラナシでは生者と死者が同じ空間に存在している。この無秩序で混沌とした暮らしこそがインドの魅力なのだと思う。

火葬場。薪が積まれている。日本の火葬のように灰になるまで焼き尽くす事はあまり無いようだ。人の形を保ったまま、河に亡骸は流される。岸に流れ着いた亡骸を貪る犬や鳥におぞましさを感じはするが本来は人間もこうして自然に還るべきであり、今現在私達が行なっている丁寧な埋葬は、進化の過程で情緒や感情を手に入れた人間だけの驕りにも似た文化なのだろう。

◆冥き河を渡る

船に乗ってガンジス河を渡る。三途の河、ステュクス河、現世と冥界の間には河が流れているという伝説が世界各地に存在するが、それを最も肌で感じられる河がガンジスだろう。何せこれから黄泉へと渡る死者がすぐそばを流れて行くのだから。あと太った全裸のおっさんが泳いでいた。なんだここは。多種多様な地獄のオンパレードかよ。

祈りとともに火を灯した蝋燭を流す。何を祈ったかは秘密だ。ちなみに全て叶わなかった。そもそも黄泉を渡る河だ。祈りではなくあの世送りにしたい悩み事だとかうんざりするものを流す蝋燭だったのかもしれない。

焼け残った人間の手足、屍肉を貪る犬、河岸に流れ着く亡骸、地獄の様な凄惨な光景の溢れる河に登った朝日はこの世のものとは思えない美しさだった。

たとえ自分が死のうが世界は終わらない。また朝日は昇るし昨日と全く同じどこまでも続いて行く明日が始まるだけだ。過程がどうであれ、苦しくても悲しくても楽しくても結局自分の命に価値を見出しているのは他ならない自分だけなのである。自分の命に価値を見出しているからこそこれ以上の悲しみや苦しみを味わいたくない、生きているだけ無駄だと悲観してしまうだけで、本当にそこにあるのは諦めではなく自らの命への期待だったはずだ。

自分の命に価値を見出せるのは自分しかいない。人間など死んだら河岸に流れ着くゴミであり野良犬の漁る腐肉だ。悲惨な結末を急ぐ必要は無い。いつか冥い河を渡る時、その時までに自分の人生に納得し、満足する事こそが人間に与えられた命の意味なのだと思う。だからこそ最期まで懸命に足掻いて自らの生を全うするべきだ。少なくとも自分はそうでありたい。 


そんな昇る朝日に命の価値とは何か、人は何故生まれ何故死んで行くのか、そんな哲学的な思考を巡らせていると突如船体に衝撃が走った。

パイレーツオブ中年男性の登場である

インド人の押し売りのアグレッシブさと執拗さには度々疲弊していた私だが、まさか船に乗っている時でさえ勝手に船を叩きつけ船上に上がり込んで得体の知れない物品と引き換えに金銭を要求するとは思わなかった。

黄泉の河を渡る時、船の漕ぎ手に金銭を受け渡さないとあの世へ行けず河岸を彷徨う事になるという。そう。彼らこそが黄泉の河の渡し守、冥き河のカロンなのだ。

気づけば船の周りをヒゲ面肥満体型のテンプレインド人中年男性達に包囲されていた。人に物を売るとは思えない信じられないくらい無愛想な顔で仏像を握り締めて値段を呟く中年男性。負けじと安くしろと値切る私。お互いの生存を賭けた生者達の死闘の火蓋が今切って落とされた。

ここはガンジス。死と中年男性の支配する現世と冥界の挟間。今日も彼の地に昇る朝日は凄惨な亡骸とヒゲ面肥満体型中年男性を照らしていることだろう。

私は遊園地にあるパンダの乗り物と同じなので、お金を入れると動きます。さ、お金を入れてぴんくチャンを動かしてみよう!今度はどんなえげつない動きをするかな??