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私的:ドミニク・ミラー考察 ⑥『ドミニク・ミラー、その後』

ドイツでドミニク・ミラーとバンドメンバー達と会ってもう早くも4週間が過ぎました。その後の話になります。少し長くなります。
言えない内容も多々ありますが、ありがたいことに彼らとの交流はあれをキッカケに細々とですが続いております。

ドミニクからも私が彼に渡した手紙の内容に関する事でメッセージを貰いました。

簡単に言うと「あなたがくれた全ての資料はとても刺激的で興味深かった。自分はそういう空間の概念がとても好きだし心を打たれました。またあなたの言葉にも大変感激しました。」という光栄すぎるお言葉でした。

私が彼に渡した手紙は一般的なミュージシャンに送るファンレターの内容からはかなり逸脱したものだったと思います。

それはアートや音楽における空間論的な内容を、西洋と日本との捉え方や考え方・表現方法の違いなどから比較したものです。そしてその観点から彼の音楽の中にある重要なファクターである「Space」に関しての話を展開しました。とてもとても抽象的な話で、特に日本の部分を西洋文化圏の人に説明するのは相当工夫して説明しないと概念的に理解されにくい部分がありました。

私は一応建築の意匠を仕事にしているので、その辺の話はある程度体系的に理解をしているので、それに関する事で彼にどうしても伝えたい事がありました。この「Space=空間」に対するこだわりは彼の音楽の一番重要な部分なので。

しかしそれを英語できちんと説明するのはなかなか困難な作業で、結局彼への手紙は書き出してから1ヶ月くらいかかりました。その前に下準備で3冊くらい美術書や比較文化論(洋書含む)を読んだりしたので、思えば結構自分でも「頑張ったよな!」って感じではありました。

そういう「通常のファンレターにはあまりないような話」だったので、長いのもありましたが、さわりを読んだだけで「なんだか読んで理解するのが面倒くさそうな内容だな!」と感じて読まれない可能性も高いと思っていました。普通の人であれば。

ただ私はなんとなくですが、ドミニクは私の話は読んでさえくれれば理解し気に入ってくれるのではないかという、もう全く根拠のない自信が少しだけありました。

強いてその自信の根拠をあげるなら、今まで彼が応じたインタビューや彼自身が自分で書いた文章、そういうものを一応私はかなり見てきましたが、ドミニク・ミラーという人はミュージシャンとしてのポリシーは昔からかなり一貫している「ブレない人」であり、それに基づいてずっと活動をしてきた人なので、そのポリシーを考えれば、「これはおそらく彼が興味を感じる、知りたい内容だろう」という予測はありました。だから私は彼の過去のそういう発言をベースに手紙の内容を展開・提示をしたので、ひょっとしたらわかりやすかったのかもしれません。

とにかくありがたい事にこの私の分析は正しかったようで、彼は私の手紙をちゃんと最後まで読み、伝えたかった内容も意図もしっかりちゃんと理解して受け止め、興味を持ってくれたようだ、という事です。

あとこれは本当に推測ですが、彼は音楽の話をする時に時々建築を例えに持ち出して説明したりする事がありました。やはり彼はアートや建築はとても好きなのでしょう。
私は彼に自分は建築意匠設計者だと身分を明かしました。なので、彼としては設計者として「空間」を常に意識してその意味を考えてきた人間が、音楽に限らず世界中のアート全般の視点から、彼の音楽と、一番大事にしている部分に深い理解と賛辞を示してくれた、というのは全くそういう事を日常では意識せずに生活をしている一般の人から賛辞を贈られたよりも、少し嬉しい部分があったのかも知れないな、とは思いました。

そしてこういう事をこの世界的なギタリストに向かっていうのはおこがましいのですが、私は彼が大事にしている音楽的な価値観の話が、他のどのミュージシャンが言うそういう内容よりも非常に理解しやすい時があります。
実は私の母はもう80過ぎですが、クラシックのピアノを学び、その教師を長くやっていました。あの時代にしては結構本格的に勉強していたと思います。その母から私が物心つかぬうちから、音楽への考え方で一番重要だ、と教えられた価値観が、彼が大事にしている価値観とかなり似ていると感じるからです。ですからそういう面で彼に話が通じやすかったのかな、とは思いました。

最後に、彼のメッセージの言葉の内容から他に私が感じた事ですが、ドミニク・ミラーという人は一見とても優しそうな穏やかな印象の人ですが、こちらが考えているよりもずっと「豪胆で度胸のある人」だという事です。とても決断が早い人だと思いました。

50歳ごろ。曲をどのようにまとめて短くするか、と言う話にいきなり英国式の下ネタをぶち込んで共演者を困惑させてとても嬉しそうです。彼はどちらかというとこういうお茶目な人だと私は思います。会った時も年はとってはいますがこんな笑顔でした。最近の写真は別人のように感じます。

やっぱり彼は基本的に時間が無いんです。自分のために使う時間が本当に無いんです。もう今年も自分の音楽のために使えそうな時間はほとんどありません。家庭での時間も勿論無い、と彼のメッセージにもありました。とても忙しいので自分で決められる事に関してはとても判断が早い感じがしましたし、肝が座っているというか、非常に度胸のある人だと思いました。

まあドミニクの過去のエピソードを考えたら「確かにそうかもね」と納得できる感じもします。あの90年代初めの活気があったイギリスのロックやポップシーンの中で、様々な有名アーティストの間をギター1本で仕事を勝ち取り渡り歩き、今日まで活躍している人ですからそれはもう色んな私たちでは想像できないような経験をしている筈で、肝が据わっているのは当然なんですけどね。

彼は若い時にブラジルのギターの名手セバスチャン・タパジョスに師事しましたが、その時はタパジョスが今この辺に住んでるらしい、という話を聞いて、父親から貰った200ドルほどを持っていきなり会いに行きます。当然、タパジョスには「弟子なんか取らない」と最初は断られるんですが、結局押し切ってしばらく彼の周りにいる事になります。

また、決定的なのはフィル・コリンズのヒット・アルバムである「Bad Seriously」への参加の経緯です。ドミニクは、一緒にしたプロデューサーのヒュー・パジャムからフィルが新しいアルバムを制作すると聴くと、ヒューに「僕をそのアルバムに参加させてほしい」と言います。しかしそのアルバムは既にギタリストが決まっていたので断られます。

しかしドミニクは諦めず食い下がり、「僕が参加するべきだ」と主張して、結局その仕事を奪い取ります。そしてそのアルバムで一番最初に録音したのが、ヒット曲「Another Day in  Paradise 」であり、ドミニクの評価はそこで一気に高まり、このアルバムへの参加によって彼のその後の輝かしい音楽キャリアがスタートします。(当時のことを振り返り、ドミニクはチャンスを掴むことの重要性を話しながらも「若かったし、少し傲慢だったかもね」と述懐しています)

また、前にも書きましたがECMに移籍した時のエピソードも同じです。

2015年8月、ドミニクはバカンスに入っていて、緊急な事以外はマネージャーにも連絡はしないように伝えていました。しかしある日マネージャーから「マンフレート・アイヒャーが”君は今何をやっているのか”と聞いている。君に会いたがっているようだ」と連絡が来ました。ドミニク自身は勿論アイヒャーを知ってましたが「別の世界の人」であり、自分を知ってるとは思っていなかったそうです。しかし会いたいと言われ、慌ててバカンスを切り上げてミュンヘンに飛びました。

アイヒャーとドミニクは会って直ぐに「まるで何十年来の友人かのように」意気投合し、ほぼそのまま移籍が決まります。それからの事はみなさんご存知の通りです。(ドミニクはアイヒャーの事を「一番偉い司祭様」のようだ、と言ってます。)

マンフレート・アイヒャーとドミニク。
2016.3.18-23、オスロRainbowスタジオでの『Silent Light』の録音の時

こういう彼の思い切った即断即決ですが、彼は今までもハッキリこう言ってます。
”I like and admire anyone who takes a chance knowing the potential cost or risk. Actually I prefer it. ”「自分は潜在的なコストやリスクを承知でチャンスをつかむ人が好きだし、尊敬している。実際、私はそれを好む。」と。まあ自分自身がそうやって行動してきた訳ですからね。

ですから恐らく彼は私がいきなりドイツに来て、自分にあれやこれやしてきた事に対して当然とても驚いたには違いないんですが、しかしそういう少し無謀とも思えるチャレンジを、一人で外国に来てまでしてきた人間に対して(しかも英語もあまり流暢でもなく女一人で乗り込んできた)冷たくあしらうような考え方は基本的にしない人だと思いました。

今、あの彼と会った時をよく思い出してみました。彼らは実はものすごく急いでいました。しかしまず彼は私が東京から来た事と、「○○についての内容を書いた手紙を書いてきました」と言ったらとても驚き、なかなか次の言葉が出なかった私の言葉を長い間待ってくれました。その時はすぐ横で私の顔の真横くらいまで屈みこんで(結構身長差ある)、私のメモ自体、本人も少し読んでいました。そして話ながらと最後別れる時と、合計3回くらい結構ガッチリとハグしてくれました。(ちょっとドミニク、タバコの匂いが・・・😅)
そして別れる時には「手紙に詳細があるんだね?絶対に必ず読みます。約束します。(私が「プレゼントは”Fragileです”」と言ったら)自分はそういうものを粗雑に扱ったりはしない」とわざわざ言ってくれました。その時の彼の様子からも私は彼はきちんと反応を返してくれるのではないかと思っていました。とても嬉しそうではありました。
その証拠に前の記事でも出した私の彼のサインはおそらくレアです。彼はライブ後や何処かであっても気軽にサインしますが、基本は自分のサインのみ。たまに相手の名前を書いてあげてるけど、こんな風に名前にわざわざコメント入れてくれてるサインは私は見た事がありません。あと、他にもファンが彼を待っててそれが終わるまで様子も見てましたが、肩を抱いて隣に並んで写真を撮ってる人は他にもいましたが、ハグをしている人は居なかったと思います。

だけどあの時好感触だったよな、とは思いつつも、クソ忙しい人である、あのドミニク・ミラーがよくこんなただの一般人にメッセージを返してくれたわ、とは思います・・・。というか、逆にそういう事がやれてしまう所が「やっぱ只者じゃない肝の据わった人だ」と感じました。

まあ、ドミニク・ミラーというのはそんな感じの人です。
また何かあれば投稿します。

(追記:ピアノのヤコブ・カールソンは一見コワモテですけど魂は天使です😅
本当に心の優しい人です。こちらが心配になるくらいです。)



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