#創作大賞2024 #エッセイ部門 小学生低学年のころ、ひどいいじめを受けている子がいた 漫画みたいないじめられ方だった 机に死ねってかかれてぐちゃぐちゃに倒されていたり 暴力を振るわれたり 物を取られたり 私はその子を守りたかった 正義の心を持っていたから ある日、泥水に浸かったその子の靴をやっと見つけて その子のところに持っていった ありがとうって言われるとおもってた 怒って靴を投げられた どうして? 何度も繰り返した だって、怒る理由が分からなかったから でも
友達はとてもみんなのことが好きみたい よく愛という言葉を使う 私は、愛はとっても高尚なもので なかなか手に入らないものだと思う それこそ家族だけのもののような そんな希少なもの たとえば 人助けをするとする 私にとって人助けはあたりまえだ アイデンティティであり、正義欲を満たす行為だ かなり自己的なんだ 愛じゃないんだ 慈悲なんだ でも友達は愛だっていう そんな 愛だって言ってしまったら たくさん振り撒きすぎていて 節操なしになっちゃうじゃないか 私は慈しんでいても 愛を
鬱病になった 理由はすごくしょうもないんだ でもわたしにはたぶん、病気になるくらいには大事だった 思えば,わたしはずっときにしいだった 周りの言葉に左右されて, 喜怒哀楽がはげしくて すごくすごく寂しがりだった だからうつびょうになった うつびょうになると、ご飯が本当に美味しくない 味がしないみたい 美味しいがわからない 大好きなお菓子も甘いと感じるだけだ うつびょうになると、まいにちいきがくるしい 死にたくなくても死にたいと「思わされる」 もう、しぬりゆうもないのに
人が好きだ でも喋るのは苦手だ 頭が悪いんだ すごくネガティヴなんだ 本を読むのが好きだけど 難しい言葉はよめない だから クリエイターさんや作家さんが難しい言葉を使うと とたん学がないことを恥ずかしく思えてしまう このまえはじつざいせいというところに絵を見に行った 作家さんがアトリエもやっていて お話をたくさんした 人と話すのは大好き 人間が大好きだけど やっぱり難しい話になると恥ずかしくなる 何でこんなおバカなんだろうって ほんとはもっと心を通わせたいのに いやほんと