愛と慈悲

友達はとてもみんなのことが好きみたい
よく愛という言葉を使う
私は、愛はとっても高尚なもので なかなか手に入らないものだと思う それこそ家族だけのもののような そんな希少なもの

たとえば
人助けをするとする
私にとって人助けはあたりまえだ
アイデンティティであり、正義欲を満たす行為だ
かなり自己的なんだ
愛じゃないんだ 慈悲なんだ

でも友達は愛だっていう
そんな
愛だって言ってしまったら たくさん振り撒きすぎていて 節操なしになっちゃうじゃないか
私は慈しんでいても 愛を注いでたりなんてしないよ
 愛だって思ってしまったら 返されたくて仕方なくて 寂しくてたまらない
だから愛じゃないんだ
(そもそも、返されたいと思ったら愛じゃない)

愛って何だろう
助けることではない 心を配るだけじゃない
慈悲だって心を配ってるだろう?

でも、なにかとくべつな気持ちを感じたら愛なんじゃないかな

私が思う合いの手がかりはそれだけ
お母さんになでられた時だけ

みんなに幸せになって欲しいって思うことだけ

それだけが愛なんだ
愛はとっても崇高な祈りだ

でも私の気持ちは共感してはくれなかった
わたしはおかしいの? それとも 違うものを感じている? みんなには慈悲はないの?

たとえば好きな人がいるけれど
愛じゃない
恋だと思う
愛してほしいって 思っているうちは愛じゃないと思う
幸せになって欲しいって祈るのが愛だと思う

見返りを求めないのが愛なんだ
とっても綺麗で純真なんだ


いつかみんなを愛せたらなと思う
でも寂しがりだから
すごく遠い未来のもしもになってしまうかも


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