自分の気持ちがわからなくなったが解決した話

ワイは自分の思いがわからなくなったんや。自分の思いを無視して「社会通念上のこうするべき・周りが期待するワイ」でしか選んでこなかった。そしたら自分が何を望んでるのか、何が好きで何が嫌いかわからんなったんや。いい子ちゃんで生きてきた。周りが望むいい子ちゃんどおりに選択してきた。判断基準は「こうあるべき」であって、自分が「どうしたい」ではない。強い「どうしたい」も、「そうあるべきではない」でつぶしてきた。そしたら生きんの全然面白く無くなって、いやになったんや。うつやな!

例えば、Aさんがいややとする。でも「大人なんやから、人をいややなんて思うべきじゃない ワイにも欠点はあるやろ 認められないなんてワイは未熟や」って思考矯正する

例えば、Bさんがすきやとする。でも「Bさんは素晴らしいからワイみたいな人間がすきになったらあかん。それにBさんは同じ職場や、職場恋愛なんて周りに迷惑かけそうなことやるべきではない」って思う

自分の思いは完全に無視やな。そんなんしてたらなんかすごい虚無な瞬間が来て、いつの間にか自分の望みや気持ちがわからなくなってた。そしてその原因が、日々の自分の気持ちを無視しつづけてるからやと思い至ったんや。

それから、ワイは自分の思ったことを大事にすることにした。「Aさんはほんまにいややな。鬱陶しいわ。」「Bさんすきやな。」「あれほしいな、お金使ってもいいや、買おう。」「あれ誘われてなんとなくいつも行ってたけど、よく考えたら嫌やわ。人がきらい。断ろう。」

自分の思ったことに理屈付けずに、思ったまま感じるようにしたら、ちょっと楽しくなった。

あと、着たい服とかやりたいこととかも、「こんなの着たら似合ってないって言われそう」「こんなの柄じゃないって言われそう」って躊躇ったり、ドキドキしたり罪悪感覚えてたけど、ワイは決めた。ワイにはワガママ具合が足りないんや。だからもっとワガママに生きようと。ワガママを極めるんや。やりたいからやる。やりたくなかったらやらない。「お前そんなんやるんやーぷーくすくす」って奴が万が一いたら「やりたいからやった。ええやろ^ ^(ドヤァ)」って言えばいい。それ以上の理由とか弁明いらんねん。政治家じゃないんやし

そんな感じで、自分の気持ちを見失って虚無になってきたら、「思いっきりワガママに生きる。ワガママ、やれるか?」って考えることにしている。人に言う理由はいつも「やりたかったから」「やりたくなかったから」でええんやで。


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