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江戸時代にもマーケティングはあった

自分が主催しているセミナーや、
講師とかスピーカーとして呼ばれた
会で、最初は必ず自己紹介をする
ことになる。

私の苗字は「平賀」だ。
日本で一番有名な「平賀」といえば、
「平賀源内」であろう。
既に著作権が切れているのをいいことに、
「平賀源内」の似顔絵を拝借し、
自己紹介で使わせていただいている。

血のつながりはないとはいえ、
同じ苗字のご縁である。
しかも、彼は優れた「マーケター」で
あった
ことが分かっており、
それも「ネタ」になるために
有り難く彼の似顔絵を使っている
次第なのだ。

一番有名な話としては、
冬の食べ物と認識されていたウナギを
夏にも売りたい、ということで、
ウナギ屋から相談されたところ、
「本日土用丑の日」
という看板を出してみろとアドバイス。
丑の日には「う」の付く食べ物を
食べるとよい、という迷信にひっかけた
そうだが、それで夏の暑い盛りに
うなぎが大層売れるようになったという
エピソードである。

江戸時代に、マーケティングの
エッセンスを理解して、実行に
移していたということで、
「日本初」のマーケターかもしれない、
そんなことをセミナーで口にした
こともある。
そこから更に先に突っ込んで調べる
ことはなかったのだが、なんと、
こと細かに江戸時代のマーケティング
事情を調べた本が最近出版された。

この本には、三井の祖、三井高利こそが
マーケターの元祖ではないかということを
あのドラッカーが指摘している
旨が
冒頭に書かれている。
そう、『マネジメント』の中で、
ドラッカーが指摘しているのである。
私自身はすっかりそんなことを忘れて
いたのであるが。

温故知新という。
古きを温めて新しきを知る。
過去の歴史から学び、未来に生かす。
正に、マーケティングの温故知新。
そんな内容である。

元祖マーケターの三井高利から始まり、
越中富山の薬売りや、
材木商として名をはせた河村瑞賢、
山本山やにんべんといった、現在でも
よく耳にするブランド名も沢山出て来て
最初から最後まで飽きさせない。

平賀源内の扱いに1章充ててあることを
勝手に期待していたが、実際には第2章
蔦屋重三郎の章末コラムでの紹介に
とどまっている。
源内以外にも、これほど沢山江戸時代の
「マーケター」たちから学ぶことが
できるというのは、非常に面白い
コンセプトであり、著者並びに出版社の
慧眼に敬意を表したい。

江戸時代より前に、マーケティングは
なかったのだろうか。

そんなことが気になり始めた。
ドラッカーが調べた限りでは、
三井高利が元祖だという結論に
行きついたようだが、
元々「市(いち)」が立つようになった
のは江戸時代よりもずっと前。
『日本書紀』の中に、「市」についての
言及が既にある。
「市」があったなら、そこで取引をうまく
成立させるための「マーケティング」が
生まれていたはず。


とはいえ、当時は物々交換がメインで
あったろうし、どんな工夫をして
「市」を活性化させたか等、細かな
事情までは把握が難しい。

そもそも、「マーケティング」を
どのように定義するかによっても、
起源がいつかの特定に影響を及ぼす

こととなる。
当面は、
「ドラッカーが説くところによれば」
という補足付きで、
「三井高利起源説」を採用させて
もらうことにしたい。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。