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マーケティングの源流にドラッカーあり

昨日に続き、早稲田大学の「現代企業論」
においてゲスト講師としてマーケティング
実務について語った際の内容について、
少しばかり書いておきたい。

求められていたのは、実務の生々しい話
ではあったのだが、ある程度きっちりと
したフレームワークを先にお話した上で
具体例を話した方が、学生さんたちの
理解が深まる
と考え、最初に定義や理論、
理屈の類の説明に費やすことにした。

その冒頭、「マーケティング」とは一体
何か?
という話でスタート。
スライドでは、いわゆる「大家」の面々が
それぞれマーケティングをどのように定義
しているかに触れた。

『マーケティング近視眼』で有名な、
セオドア・レヴィットは、
「顧客の創造」
だと言っていた。

「マーケティングの父」の異名を持つ
フィリップ・コトラーは、
非常に厳密さを求めた定義を行い、
マーケティング教科書の決定版と世間
から評価されている自著に載せている。

そして、経営学の大家である、
ピーター・ドラッカーは、
「セリングを不要にすること」こそが
マーケティングだと指摘している。

この辺の話を前振りにして、
私自身が考える定義を説明し、
更にマーケティングのフレームワーク
について説明を進めていった。

質疑応答もほぼ落ち着いた頃、
本講義の担当である井坂先生から、
最後に補足説明をしたいとのことで、
私が上記の「大家たちの定義」
説明する際に使ったスライドを再度
映すことに。

そこで彼は、実はレヴィットにしても
コトラーにしても、源流はドラッカーに
ある
のだということを指摘して、
「現代企業論」でドラッカーについて
みっちり教えていることの意義を、
見事に「伏線回収」
(この言葉が適当か
微妙だが)してみせた。

レヴィットは後年、自身がドラッカーの
「剽窃者」であったことを自認
していた。
平たく言うと「パクった」わけだ。
ハーバード大学の教授が、あろうことか
パクったことを告白しているのであるが、
それだけドラッカーの理論的な影響力が
甚大だったことの表れ
でもある。

また、コトラーも「マーケティングの父」
と呼ばれる大家ながら、さしづめ
「自分が父ならドラッカーは祖父」
という有名な言葉を残している。
彼もまた、それだけ多大なる影響力を
受けたことを告白した恰好だ。

それらを踏まえ、マーケティングで色々
言われていることの源流をたどっていくと
茫然と浮かび上がってくる、ドラッカーの
巨大な足跡を追いかけ、その本質的な部分に
触れることこそ大切
だということを、
講義の最後で示唆してくださった井坂さん。

気鋭のドラッカー研究者ならではの、
見事な締め括り方
だと、内心舌を巻いた
のであった。
学生たちがどのように受け止めたかも、
後日に是非確認したいところである。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。