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「究極の問い」と「至高の問い」

『美味しんぼ』というマンガを覚えて
いらっしゃる方は多いだろう。
雁屋哲さんが原作で、ビッグコミック
スピリッツ(小学館)で連載されて
いた。
丁度高校生の頃に流行っており、よく
回し読みさせてもらった記憶がある。

テレビドラマ(実写)化もされて、
唐沢寿明さん主演のバージョンと、
松岡昌宏さん主演のバージョンが
あるので、かなり幅広い年代層に
よく知られた存在だ。

この『美味しんぼ』は、
いわゆるグルメマンガ。
主人公で新聞記者の山岡士郎と、
著名な美食家の海原雄山が、
ライバルの新聞における紙上企画
「究極のメニュー」と
「至高のメニュー」において
お互いにしのぎを削っていく。

この、
「究極」と「至高」の争い
という構図が、
読者を非常にハラハラさせて、
随分と引き込まれたことを思い出す。

『料理の鉄人』も、
ある意味同じ構図と言える。
お互いに高みを目指す存在同士が、
みんなの前でその料理の腕、技を競い、
観る者を魅了する。

「究極」と「至高」、
共に似たような意味合いであるが、
一応辞書をひもといておこう。
(以下、デジタル大辞泉より)

【究極】
物事をつきつめ、きわめること。
また、その最後の到達点。
【至高】
この上なく高く、すぐれていること。
また、そのさま。

この二つを比べても、どちらの方が
より優れている、などとは言えない
ことは、上記の定義を比べれば一目
瞭然だろう。

それはさておき、つい最近、
「至高の問い」
というものに出会った。
またしても、小布施の出版社・文屋
木下豊社長に教えていただいた。

上記の記事で、
「ゴールデンルール」と言われる
利他を説く内容に触れたのだが、
恐らくそれをご覧いただいた
木下さんが
「ゴールデンクエスチョン」
の別名を持つ「至高の問い」について
思い出してくださった様子。


この「至高の問い」とは何か?

「この瞬間に、
 あなたという存在の何が、
 まわりを幸せにしているのか?」


是非、皆さんにも、じっくりと味わい、
噛みしめて欲しい問いである。
いかがだろうか?

私自身、この問いを見て、ある意味
打ちのめされた。
何とまぁ、深い問いだろうか、と。

<この瞬間>
1分1秒たりとも気を抜くことのない
プロフェッショナルとしての気概を
持っているか?
そう問われている気持ちになる。

<あなたという存在の何が>
自分自身が持っている価値。
自分が世の中に貢献できる強み。
自分だからこそ、他人にはできない
「何か」を持っているはず!
それをちゃんと生かしているか?
そんな問いを突き付けられている。

<まわりを幸せにしているのか?>
そして、「利他」を実行しているか。
幸せを運んでいるか、運べているか。
主語は「自分」ではなく「まわり」だ。
口先だけでなく、実際に「利他」を
有言実行、知行合一できているか?
そう問われているのだ。


木下さんによれば、この問いは元々
リッツ・カールトンの日本における
代表をされていらした高野登さんに
教わったものらしく、リッツの現場
で社員たちがいつも自問しているの
だとか。

このような、クオリティの高い問いを
持つことが、人生の質を高めることに
つながる。
17年間毎日長文のメルマガを発行し
続けている鉄人、鮒谷周史さん
が、
「人生の質は、問いの質で決まる」
述べていらして、正に至言だと膝を
打ったのを思い出す。

「至高の問い」があるからには、
「究極の問い」も欲しいところ。
「至高」という言葉が媒介となり、
『美味しんぼ』を思い出して、
そんな気分にさせられた。

「至高の問い」に匹敵するような、
問うた自分の脳がグワングワンと
良い意味で揺さぶられるような、
そんな「究極の問い」を自分自身
で発見する、あるいは創造する
ことを宿題にしよう。

と、ここまで書いて、
「究極の問い」とググったら、
哲学の一分野である形而上学では

「なぜ何もないのではなく、
 何かがあるのか?」

という問題が「究極の問い」として
扱われているという。
「さぁ、やるぞ!」と気合を入れた
ところで梯子を外された気分だが、
「至高の問い」と並んで遜色ない
ほどの「問い」は、折角なので
是非考え出してみたい。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。