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「書く」とは、意味を創造すること

京セラを創業して巨大企業に育て、
NTTに対抗するKDDIを創り、
JALで奇跡の再建を成し遂げた。
稲盛和夫さんが稀代の経営者である
ことは論を待たない。

この稲盛さんに学ぶ人間学、という
特集が『致知』の4月号に組まれて
おり、稲盛さんに関する素晴らしい
記事の数々が掲載されている。

一橋大学名誉教授の野中郁次郎さん
も寄稿されており、稲盛さんとの
出会いの時のエピソードを紹介する
ところから入り、「歴史に名を残す」
所以をコンパクトに記述されていた。

その記事の結論として、若い人たちは
稲盛さんの「書く」習慣を是非とも
学ぶべし
、と述べている。
その理由として、「書く」ことが内省に
つながる
ことが挙がっていた。

そして、それに続けて、

「書く」とは、意味を創造することです。

とあり、この一文が自分の心に良い
意味で引っ掛かる感覚を覚えた。
自分にとって、大切なことを言って
いる、そういう感覚がふつふつと
湧き上がってきた
のである。

このnoteを書き始め、毎日連続投稿が
間もなく500日となる。
Facebookで毎日それなりの長さで
投稿を始めたときから数えると、
700日に近い。

毎日何かしら「書く」ことが習慣化し、
「書く」ことなしには一日を終えられ
ないところまで来た。
「もっと早く、この習慣を自分に
インストールしておけばよかった!」
というのが偽らざる本音である。

「書く」ためには、自分の頭の中で
様々なことに思いを巡らせる。

何を書くのか。
どんな構成にするのか。
どんなトーンで書くのか。
オチはどうするのか。
誰を読み手として想定するのか。
そして、なぜ書くのか。

「書く」ことによって、
自分自身の考えをまとめ、
自分の意思決定基準を更新し、
自分の行動を促す。

更には、読んでくださる人たちに、
少しでもプラスになる情報を提供し、
世の中にわずかながらも貢献する。

そんな思いを持ちつつ、今日もまた
「書く」ことを続けているわけだが、
この「書く」行為に

意味を創造すること

という定義が与えられたとき、
自分の書き手としての行動が
とてつもなく尊いものとして
感じられた。


だからこそ、野中さんの文を一目
見て、得も言われぬ感情が湧き
上がったのだろう。

そう、「書く」ことは、意味を
創造すること。
ここでいう「意味」を、「価値」と
読み替えることが許されるなら、
先の一文はこうなる。

「書く」とは、価値を創造することです。

日々、自分は「価値創造」に
たずさわっているのだ。

世の中に価値を生み出しているのだ。
そう誇りを持って言えるような文を
紡ぎ出していきたい。

そう思うと、まだまだ文はヘタクソ、
内容も改善の余地あり。
成長する伸びしろ、余白を大いに
感じる。
引き続き、日々の「価値創造」に
挑戦あるのみ
、である。



己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。