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富嶽に思う

新しい年が始まった。
昨年同様、幸先よく素晴らしい
快晴に恵まれた。
 
初夢は、富士山が一番縁起が
良いと言われる。
元旦から富士山をこの目で
拝むことでも、一年ずっと
縁起が良くなることにつながる
だろうと勝手な解釈をし、
今年も良い眺望スポットを
探して訪れた。
 
昨年は、富嶽三十六景にも
ある犬目峠へお邪魔した。
今年は、そういう名のある
場所ではないが、稜線がより
美しく見えるスポットを
発見。
大月市の七保、和田という
地区にお邪魔し、美しい
姿を拝むことができた。
 
富嶽三十六景と言えば、
葛飾北斎。
一年近く前になるが、すみだ
北斎美術館を訪ねた時に、
自分は北斎のことを何も
知らなかったということが
分かった。
版画絵は当然何度も目にして
いるが、それを描いた北斎が
どんな人物だったのか、その
美術館で目から鱗が沢山落ち
まくったのである。
 
90歳まで生き、当時としては
かなりの長寿だったこと、
 
二回結婚し、共に一男二女を
もうけている(計ニ男四女)
こと、
 
180cmほどもあり、これまた
当時としてはかなりの長身
だったこと、
 
金儲けが下手で、ずっと貧乏
だったが、全く無頓着だった
こと、
 
生涯にわたって引っ越しを
繰り返し、合計93回も居宅を
変えていること、
 
そして、名前も何度となく
変えており、北斎はその中の
代表的な一つに過ぎないという
こと。
 
 
北斎の人生は、ひたすらに
絵を描くこと、これが中心と
なり、それ以外のことは極めて
なおざりに付されていた。
 
食べたら食べっぱなしだった
ようで、今で言うとまるで
ゴミ屋敷のような有様だった
ようだ。
 
それでも飽くなき探究心と
向上心で、死ぬ間際まで、
「あと5年あったら
 本当の絵描きに
 なれたのに!」
と嘆息したというから、
絵にかけた情熱の程が知れる。
 
 
富士山を見ながら、
自分には北斎にとっての
絵に相当するものはあるか?
と考えた。
 
さすがに、狂人と言われるほど
絵に没頭し、日本を代表する
偉人として認められている
北斎をベンチマークにする
のはおこがましいかもしれない
が、空想するのは自由。
 
と言いながら、そこまで熱い
思いを注いでいるものは、
現時点ではないと言わざるを
得ない。
 
勿論自分なりに頑張っているが、
「狂」
の要素まであるかと言うと、
そこまで言い切る自信がない
のが正直な気持ちなのだ。
 
大成するには、この
「狂」
の要素が必要だと、北斎の人生が
教えてくれている。
 
目標を改めて見直す良い機会と
なる年始、
「狂」
の要素をインストールしなければ
ならないほど壮大なものへと目標を
今からでも書き換えて、
現状とのギャップを埋めるために
没頭没入していく一年にしよう。

この文章は、Facebookにアップ
したものに若干の修正を加えて、
この度初めてnoteへとアップして
みたものである。
自分の情報発信のあり方を探る
試行錯誤の一環で、まずは投稿を
試みた。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。