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目標設定の曖昧さについて考える

人生を充実させたいなら、
こんな人生を歩みたい!
あんな人生を過ごしたい!
何かしら理想的な人生のあり方
「目標」として具体的に思い浮かべ、
現状と理想とのギャップを認識し、
そのギャップをいかに埋めるか、
日々邁進するのが王道
だろう。

この「目標」は、具体的であればあるほど
良い
と一般的には言われる。
具体的であるということは、
リアリティーがあるということで、
つまりはそれだけ現実化させやすいはずだ。

しかし他方で、
目標達成のために色々と動き回った結果、
あまりにもあっさり目標達成したり、
その目標が色褪せてしまったり、
目標達成が物理的に不可能になったり、
様々な「想定外」の事象が起こることは
十分にあり得ること。

キャリアに関する理論で、
「計画的偶発性理論」
英語では
「Planned Happenstance Theory」
という考え方がある。

要は、最初からカッチリと「目標」を
決め過ぎない方がいい

「偶然」の力も借りながら、自然体で
キャリアを積んでいくべき
だとでも
言ったら良いだろうか。

どうしても達成したい目標があったとして、
もしそれが物理的に達成不可能なことが
判明してしまったら、
そのショックはいかばかりだろう。

人生に対する大いなる希望を、
失ってしまいかねない。
そんなことは、当然ながら
決して望ましいことではない。

思うに、目標を設定するにあたっては、
大まかな方向性は決めておく必要はあるが、
あまりに詳細にわたる目標まで設定する
のは止めておいた方が良い
と思うのだ。

比喩的な話で恐縮だが、
「富士山登頂」とか
「エベレスト山登頂」といった
目標は、素晴らしいとは思いつつ、
ある意味詳細に過ぎると解釈できる。

もう少し鷹揚に、
「高い山の登頂」という目標にとどめる
そして、粛々と登山(=自分の強みを
活かしたキャリア構築)
を続けていき、
気付いたら「富士山登頂」だったり、
「エベレスト山登頂」だったりを
達成していた!というのが理想的なの
かもしれないと思うのだ。

登山をすれば、どこかしら高い山へと
登頂を果たすことはできる
だろう。
その際、その登山をどこでやるか、
どの程度のペース配分でいくか、
どんな速さで登るのか、
どんな装備品を携えるか、
そういったことが複合的に影響しあって、
最終的にどの山に登っていたのかが
分かる、そんな「ゆるさ」があっても
良いのではなかろうか。

そろそろ年末。
2023年の目標がどの程度達成できたのか
振り返りをする時期だ。
そして、2024年の新しい目標を立てる
時期でもある。

その際、たとえ良い目標が浮かばなかった
としても、必ずそのうち見つかることを
信じる、そんな「ゆるさ」を自分に許容して
取り組むのもアリだろう。

目標は、どうせそのうちまた変わるのだ。
一旦は曖昧でも、日々真剣に仕事に取り組んで
いくことで、必ずや自分に相応しい「目標」が
降りてくる

そこを信じて、やれることをまずはやってみる、
言わば「エフェクチュエーション」的な考え方
大切にしてみるのも良いと思うのだ。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。