まえばし詩学校6月・7月

まえばし詩学校6月・7月「どうして表現をするのですか?」

6月は雨



投稿に添えて

あとがきをつけることは蛇足だと知りつつ、思いがあり短歌を残したことを伝えたく、記します。

ニュースで予告されていた台風と同じタイミングで地元に帰った6月2日。翌日は就職活動のラストを飾る最終面接があったための帰省でした。面接日の6月3日は記録的大雨の予報。その通り、6月3日は水面スレスレを走る電車に乗って面接から帰りました。ニュースでは濁流に飲まれる地元の景色を画面越しに見つめる日でした。

翌日に前橋で行われるポエトリーフェスティバルの参加のためトンボ帰りで新幹線に乗るはずが、嫌な気配を察知して断念。その後、祖母の家で目にして耳にするテレビ・ラジオからの情報はかなり凄惨なものでした。

自分の住んでた地区ではなくても見たことある景色がぐしゃぐしゃになることはすごく苦しいものでした。

6月3日の大災害の翌日6月4日も新幹線が午前運休のため帰るのを伸ばして6月5日に下宿のある群馬に帰りました。ポエトリーフェスティバルに参加できなかった悔しさと、私の不参加は災害と伝えたものの状況が伝わらずサボりと思われてないか、なんていう過剰な不安を抱えながら。

その地元をそのままにして逃げるかのように去った私のことが許せず、新幹線で泣いてしまいました。一回気持ちまとめようと思って文にしたり短歌にしようとしたらまた泣けてきて正解が分からないまま、群馬へと帰ったのでした。

そんな6月3日の台風と線状降水帯による愛知県で起きた豪雨災害からその数日に書いた短歌です、筆を取って思考と気持ちを逃がすことでしか、どうしても生きられなかった日々の短歌です。

短歌は現実を映しながらも、日々の現実に肉薄するファンタジーさや全くの虚構と現実の狭間を映し取る写真機のような役割だと思っていましたし、私もそれを目指したくてリアルに押し迫りすぎないよう書くことを心がけていました。

しかしながら、自然災害に飲まれるように書かなくては生きられない気持ちになって書いた短歌はは写真機としての機能をどこかで失っていたように感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?