NHK 100分de名著「『ショック・ドクトリン 』ナオミ・クライン著」堤未果

はじめに   今こそ日本人が知るべき、「衝撃と恐怖」のメカニズム

2001年9月11日
世界を永遠に変えたと言われる、アメリカ同時多発テロ事件(略)
私が本当に恐ろしかったのは、テロそのもおではありません。あの惨事を境に、アメリカという国が極めてラディカルに、スピーディーに、根底から変えられていったことでした。(略)
教育や医療、福祉や公共サービスへの予算が大幅に減らされる一方で、巨額の戦争関連予算が繰り返し承認され、湯水のように使われます。政府やメディアの出す情報は戦争支持に偏ったものばかりで、実際に何が起きているかわかりません。

現実の中で起こった事象を点として見るのではなく、点と点をつないで線にする。そして視野を世界全体に広げることで、その線を面に広げる。(略)起きていることを多角的に、俯瞰して見るスキルを身につけると、<”ビッグピクチャー”が見えてきて>目に映る世界が本当に変わります。

第1回  「ショックドクトリン」の誕生

■ナオミ・クラインという存在
カナダ出身のジャーナリストで活動家、今世界で最も影響力のある政治思想家と呼ばれる彼女の立ち位置は、一貫してグローバリズムの影の部分に対する告発です。
皆さんは、グローバリズムという言葉にどんなイメージを持っていますか。物や人やお金やサービスが、自由に国境を越えて世界の隅々に行き渡る。国際協調主義ー そんな自由で華やかなイメージの裏にある、もう一つの現実。自由貿易の名のもとに、公的予算が削られて、民営化や規制緩和が作り出す、一部の人だけが利益を得る、歪んだ「経済モデル」について、クラインはずっと問題提起を続けてきました。

グローバル資本主義が助長する「民営化」「規制緩和」「社会保障(支出)削減」の三大ドクトリン(政策)によって、一部の企業だけが潤い、大多数の市民が搾取や差別、暴力の犠牲になっているこの構造を批判するクラインは、2005年にハリケーン・カトリーナの被災地を取材したときに、奇妙な違和感を感じたといいます。きっかけは、地元共和党議員が、州議会に群がるロビイストたちに向けて言った言葉でした。
「これで、ニューオリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。われわれの力ではとうてい無理だった。これぞ神の力だ。」
それはまるで災害が来るのを待っていたかのような、言い草でした。(略)
災害から1年7か月後、まだ多くの被災者が避難所にいるにもかかわらず、復興よりもはるかに速いスピードで、ニューオリンズの公教育解体と民営化は完了したのです。
ハリケーンに襲われたショックで住民が思考停止している間に、普段なら絶対に反対されるような過激な政策を一気に入れてしまう。ただしその際には、迅速に動くことが肝心だ(略)
危機に便乗して過激な新自由主義を強引にねじ込むこの戦略を、クラインは「ショック・ドクトリン」と名付けます。そして、そこから過去にさかのぼり、<新自由主義の父を呼ばれノーベル賞を受賞した、シカゴ大学経済学の部教授の>ミルトン・フリードマンとその一派がこの手法を使って、いかに多くの場所で、国家や国民の資産を略奪してきたか、事実を丹念に拾いあげながら、語られなかった”もう一つの歴史”を明るみに出したのでした。
歴史を遡ると、フリードマンを信奉してきた弟子たちは、歴際米国大統領を筆頭に、FRB(連邦準備制度理事会)議長、英国首相、中国共産党書記長、ロシア新興財閥、IMF(国際通貨基金)理事、途上国独裁者など、いずれも国を動かす立場の人々ばかりでした。<ちなみに、日本でも日本銀行の白川元総裁、竹中平蔵元経済財政政策担当大臣>(略)
いったいフリードマンは、このアイデアを、どこから得たのでしょうか。それは(略)米CIA(中央情報局)が絡む、恐るべき洗脳実験でした。

■社会全体をショックで麻痺させよ   ーフリードマンのマニュアル
激しいショックで社会を麻痺させることで、「純粋な資本主義の状態」に戻す。フリードマンの思想を一言でいうと、市場への政府介入は極力少ない方が良いという、徹底した市場原理主義でした。
著書「資本主義と自由」(1962年)の中で、フリードマンはこう書いています。「政府の最大の欠陥は、「公共の利益」という画一的な価値観を押し付けようとするところだ」。失業もインフレ(物価上昇)も、公共利益などと言って介入するからおかしくなる。規制など入れず、市場の見えざる手に任せておけばいい。そうすれば自然と、失業もインフレも解消する上に、完全に自由意志の参加型民主主義が生まれるのだからというのが彼の持論でした。
医療、郵政、教育、年金、公共施設や国立公園に至るまで、すべてのノウハウも含めて民間に売却し、企業は世界中どこでもビジネスをする自由を手に入れるべきだというのです。
(略)
けれど50年代のアメリカでは、こんな考え方はとても口に出せませんでした。
<1929年のニューヨークの株価大暴落と世界大恐慌後の、政府がきちっと規制して所得を再分配し、労働者の賃金と権利を守るべきというケインズ主義が主流、ヨーロッパでは社会民主主義が台頭、南米途上国では国内ファーストの開発主義が勢いを増していた>
管理経済が成功を収める潮流の中、フリードマンら「シカゴ学派」は肩身の狭い思いをしていました。この時、同じように、この状況に不満を持ち、巨大な資金力を持って何とか別の流れを作ろうと画策していた、それは、ウォール街の銀行家、投資家、多国籍企業群と株主たちでした。

■財界から降り注ぐ札束と三大ドクトリン
フリードマンの説く三大ドクトリン(規制緩和、民営化、社会保障削減)は、銀行家、投資家、多国籍企業群の利害と完璧に一致していたのです。(略)潤沢な資金力を使って、”フリードマン・チルドレン”を全世界に増やし、「世界的な右派シンクタンクのネットワーク」を作るプロジェクトが開始されたのです。
①規制緩和 ー政府は自国の産業や所有権を保護しようとしてはいけない。労働力を含め、すべての価格は市場の決定にゆだねるべきである。最低賃金は定めてはならない。
②民営化  ー医療、郵政、教育、年金、さらには国立公園も対象
③社会保障  -削れるだけ削り、自己責任社会にすること
フリードマンは、これらを実行すれば、純粋な市場メカニズムが機能し、誰もが幸せになれると本気で信じていたのです。国家の役割は契約履行の強制と国防のみでよい、それ以外はすべて営利を目的に運営されるべきであると。
(略)クラインは、この一連の動きを、フリードマンを広告塔にした「ケインズ主義に対する財界のクーデター」だったと指摘しています。

フリードマンのこの危険な思想は、国家そのものを解体し、コモンを破壊し、公共資産を最安値で買いたたいて富を得るという、強欲資本主義の新天地へと向かう扉を開いたのです。

■教育で思想を形成し、「シカゴボーイズ」を作り出す
他国を支配する際、(略)この時、アメリカが使ったのは「教育」というソフトパワー、ターゲットはチリのエリート学生でした。
(略)まだ若く、思考が固まっていないエリート学生たちに、シカゴ学派の市場原理主義を植え付けようとする計画(略)留学先がシカゴ大学一択。<彼らシカゴボーイズは、チリに戻って、大学教授や閣僚や企業トップになった>

■もう一つの9・11 ーチリでの世界初のショック・ドクトリン実行
<1970年に大統領となったアジェンデ大統領による社会主義政権だったが、チリ国内の銅山に利権をもつアメリカ企業に要請されて、CIA、国務省の画策により陸海軍を率いるピノチェト将軍によって軍事クーデターが1973年に発生。>チリ国民が想像を絶するショックと恐怖で思考停止していたところに、シカゴボーイズが用意していた新経済プログラムが導入、次々と実行されていった。(略)
自由貿易で安い輸入品が海外から大量に流入し、国内企業はバタバタと倒産。公教育は解体され、幼稚園から墓地まであらゆるものが民営化され、「自己責任」が押し付けられたのです。
大量の失業者が町にあふれ、病気や飢饉が蔓延する中、唸るほど儲けたのは多国籍企業群と「ピラニア」と呼ばれる投資家たちでした。

■西側メディアのイメージ操作  ー「チリの奇跡」
チリで実験された世界初のショック・ドクトリンを、その後、30年以上にわたって、陰で支え続けたもう一つの重要プレーヤーが「メディア」でした。
(略)メディアが生み出し浸透させた「チリの奇跡」という言葉。
一体奇跡とは、誰にとってのものだったのでしょう。

■民主主義国でのショック・ドクトリン  ーサッチャーの英国
<サッチャー英首相は、支持率が低迷していたが、1982年4月にアルゼンチンが英国領フォークランド諸島に侵攻したことで始まったフォークランド紛争を利用した>
サッチャーは、怒りと不安で思考停止している国民に「愛国心」と「外からの敵」の存在をメディアを使って繰り返した。その結果、支持率はV字回復。サッチャーは<フリードマンの師の>ハイエクの教え通り、すぐさま国内で過酷な新自由主義政策を実行しました。まずは、国内に”敵”の存在を作り出します。サッチャーが名指しした「内なる敵」とは、ストライキを繰り返す自国労働者でした。(略)労働者はストを続行できなくなり、(略)あとはお決まりのコースをたどり、最低賃金撤廃と公営サービスの民営化が強行され、チリの時と同じように国の重要インフラである電話、ガス、空港、航空会社、鉄鋼、石油に最安値の札がつけられ、多国籍企業ととの株主、銀行家、投資家に”出血大サービス”で提供されたのです。

第2回  国際機関というプレーヤー・中露での「ショック療法」

■債務独裁時代の幕開け
ファシズムを台頭させた第2次世界大戦の反省から、長期の融資を行う世界銀行と、経済危機に陥りそうな国を救済するために、補助金や融資を提供する機関として設立されたIMF。その目的は一見、政府介入を許さないフリードマンの思想とは、全く相反するように見えるでしょう。
けれど実は、世界銀行やIMFといった国際機関は、ある時点からシカゴ学派の過激な新自由主義政策を世界に広げる計画にとってなくてはならない重要な存在になっていくのです。

1983年にIMFは、救済する相手国に融資条件として出す「構造調整プログ
ラム(SAP)」を出します。
その後1989年に、構造調整プログラムの基盤となる10項目「ワシントン・コンセンサス」を公表。主な内容は
「労働者や貧困者を助けたり、国内産業を守るための財政支出は削減。貿易自由化。外国企業や外国投資家が自由に投資できるようにする。国営企業の民営化。競争を制限する規制の緩和。など」
利益は銀行や投資家の懐に入り、リスクは債務国の納税者に押し付けられ、IMFがそれを担保するという、外国人資本家にとってローリスク・ハイリターンのこの巨大な利権構造が確立すると、彼らはそのターゲットを世界中に拡げていった。

■アジア通貨危機 ー韓国の「国民的屈辱の日」
1997年のアジア通貨危機。欧米投資家グループが、タイからの投機的な短期資金を一気に引き揚げたことでタイの通貨バーツが暴落し、そこからインドネシア、マレーシア、フィリピン、そして韓国へと連鎖的に危機が波及していった。

政府が積極介入する経済体制で成長を遂げていたこれらの国々にとって、ワシントンコンセンサスは不評。
それをひっくり返す「通貨ショック」という貴重なチャンスをシカゴ学派は逃しませんでした。危機がこれ以上にないほど悪化するまで待ってから、IMFは渦中のアジア各国に融資の交渉を持ちかけた。融資の条件は例によって「基幹サービス事業の民営化、労働市場の柔軟化、社会支出の削減、完全自由貿易」

<韓国も結局、受け入れざるを得ず、交渉が成立した1997年12月3日は韓国では「国民的屈辱の日」と呼んでいる。>

IMFのワシントン・コンセンサスはその後も多くの地域で融資と引き換えに導入されたが、その結果経済が健全化した地域は一つしてありません。国内格差が拡大し、産業は衰退し、外国資本に買い上げられていった。

■中国のショック・ドクトリン ー天安門事件
<鄧小平は、1980年フリードマンを中国に招待。
1983年には、鄧小平は中国市場を外国資本に開放し、労働者保護を削減する政策を実行。同時に反対勢力を弾圧するため「人民武装警察」を創設。
当初は国民の支持もあったが、80年代後半に国内労働者が猛烈に反発し始め、学生をはじめとする民衆の抗議デモがエスカレート。天安門広場で、デモ隊に人民解放軍の戦車隊が突入。
多国籍企業にとって、低い税金と関税、賄賂のきく完了、低賃金で働く大量の労働者のいる中国は好条件。しかも、労働者たちは残忍な報復の恐怖を体験して、適正な賃金などを要求するというリスクを冒す恐れはさしあたりない。
経済は自由、政治は独裁という体制が都合がよいという現実を世界に示した。>

■ロシアのショック・ドクトリン  ーソ連崩壊後の混乱
<1991年、先進国首脳会議(G7)に参加したソ連のゴルバチョフ大統領は、ゆっくりと社会民主主義に移行する計画を立てていたが、シカゴ学派中心の米英勢力から計画は一蹴され、四面楚歌。
かわってでてきたエリツイン大統領は、ソ連を崩壊させ、そのショック状態を利用して、ロシア版シカゴボーイズの閣僚たちが、価格統制廃止、国営企業の民営化、貿易自由化を実施。ロシア経済は壊滅的な打撃を受け、国民の3分の1が貧困ライン以下に転落。議会側がエリツインを止めようとしたが、エリツインが非常事態宣言を発令、議会が弾劾決議を可決すると、軍に議会を包囲させ、市民のデモ隊に発砲、議会ビルに攻撃をし、クーデターを起こした。独裁体制下に置かれたロシアで恒例の「国家資産出血大セール」。この時に莫大な利益を得たのが、ロシア国内の新興財閥のオルガルヒたち。
ロシア国民は自らの国の略奪に、自分たちの血税を使われた。>

第3回  戦争ショック・ドクトリン  株式会社化する国家と新植民地主義

■脱近代化するフリードマン理論 ー国家機能の民営化
<アメリカでは、1980年代の共和党レーガン政権以降、フリードマンの新自由主義路線が進められ、水道、電気、高速道路、ごみ収集など公共サービスがどんどん民営化され、ならば、いっそのこと政府機能そのものを民営化してしまえばいいのではないか。そう考えたのが、ジョージ・W・ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領の3人)

■政府と民間企業の間の見えない「回転ドア」
アメリカで、政策決定をする政府と民間事業者の間に、”目に見えないドア”がある。という意味でよく使われる言葉です。その回転ドアを通して、民間企業が自社の幹部を政府中枢に送り込み、自分たちに都合の良い政策を法制化して政府事業をその企業に発注したあと、再び回転ドアを通って元居た企業に戻り出世していく。日本の「天下り」の双方向版。
<ラムズフェルド然り、チェイニー然り、ブッシュ然りで>アメリカ政府は、クラインがいう「完全空洞化」に向かって進み始めた。

■民営化の弊害が露呈した9・11同時多発テロ
<民営化の弊害。空港セキュリティーが脆弱化していたことや救出作業中に無線が切断とか、効率重視で平時は大丈夫でも、災害時に使えない。本末転倒。逆に>公務員は一夜にして国民的英雄になった。<消防隊、警察官、公共機関職員など>ケインズ主義に基づく「ニューディール政策」に再び注目が集まった。<しかし、ブッシュら3人は、>「テロとの戦い」という名目のもと、初めから民営化を念頭においたまったく新しい枠組みを構築した。年間何千億という公的予算をそっくりそのまま民間企業に渡す「企業型ニューディール政策」。戦争と国家安全保障、災害復興事業の完全民営化によって構築される、本格的ニューエコノミー。

■戦争の概念「市場」仕様に置き換えた「テロとの戦い」
<テロとの戦いということで、戦争の概念が変わり、戦争に時間的、空間的制約がなくなり、政府は国家を無制限の緊急事態化に置いておくことができるようになり、例えば、セキュリティー産業には、笑いが止まらない状態>

■国民監視・言論統制の合法化
<テロの翌月、緊急事態という名のもと、アメリカで「愛国者法」という新しい法律がスピード可決。国の隅々まで政府が監視するという法律によって、国中に監視カメラが設置。独裁政権下でしかできないようなことが、自由の国、民主主義国家、アメリカでできたのは、一度も自国を攻撃されたことがなかったアメリカ国民が、精神的ショックと次へのテロの恐怖で思考停止に陥っていたから。>自分と家族の安全しか考えられない状況に追い込まれたとき、私たちの多くは、政府がしていることの正当性を問うような、俯瞰した思考ができなくなる。

■9・11ショックが生んだセキュリティー・バブル
<「対テロ戦争予算」という無制限の市場を手に入れたセキュリティー産業の驚異的な成長。アメリカでは3000万台の監視カメラの設置。録画映像の分析のソフトウエア産業など。>

■イラク戦争で実践された「衝撃と恐怖」作戦
「イラクは大量破壊兵器を保有している。サダム・フセインは民主主義の敵だ」という、ほとんど言いがかりに近いキャンペーンで繰り広げらる中、<2003年3月にはじまったイラク戦争>。イラク上空から投下された3万発以上の爆弾と2万発の巡航ミサイルによる空爆。残忍さを見せつけることで相手の戦意をくじく心理的作戦も含むこの攻撃の名は「衝撃と恐怖」作戦。ラムズフェルドの戦争理論は、この作戦でイラク国民を「集団的拷問の実験台」とすることだった。<イラク国民の耳ー電話、テレビ、ラジオーの破壊、視覚ー電気系統ーの破壊も行われた>

■「新植民地主義」の始まり
ブッシュ大統領が占領軍の司令官として指名したポール・ブレーマーは、破壊されつくしたイラクに到着すると、すぐに貿易を自由化し、海外から輸入品が怒涛のように流れこんでくるよう手配した。<「衝撃と恐怖」で痛めつけられ、文化や歴史を破壊され、”白紙状態”にされたところに、外国製の安い家庭用品やジャンクフードを大量に流入されたイラク、(略)公務員が解雇され、警察が解体され、一万種以上の種を保存していた種の貯槽庫は爆撃でなくなった。国営企業200社を即座に民営化して外貨が100%所有することを許可し、法人税を大幅に減税、通貨を切り下げ、貿易を自由化し、イラクに投資して得られた利益は税金ゼロで国外に持ち出せるようにした。
イラク戦争で生み出された「戦争と再建の民営化モデル」
イラク占領から一年半後、アメリカ国務省は「将来なんらかの理由によりアメリカ主導による攻撃を受ける可能性のある世界25か国(ベネズエラからイランまで)について、その詳細な国家復興計画の作成を民間事業者に発注する」と発表。つまり、先制攻撃ならぬ先制復興。惨事がおきたとき、すぐ実行できるよう、ドクトリンを常に準備しておく。

■ショック・ドクトリンを支える「認知戦」
欧米メディアでは、この戦争はサダム・フセインの独裁化で苦しむイラク国民を解放する、民主主義のための戦争という論調で伝えられた。ところが、実際のイラクは国営の石油事業収入を軸に、そうしたイメージとは反対のむしろ社会主義に近い政策をとっていた。結婚すればお金が支給され、農業をやりたければ土地も種も肥料も提供され、教育と医療は無料、識字率が高いうえに女性の社会的地位も高く、決してアラブ特有の社会規範に虐げられているというだけの、西側が思い描くような悲惨なものではない。

情報を使った「認知戦」もまた、ショック・ドクトリンの重要要素である。

グローバル化と民営化が進むと、必ず寡占化が起こってくる。商業メディアの数が減り、政府との距離が縮んでいけば、ショック状態を長く継続させるための「認知戦」が強化されていく。

第4回 日本、そして民衆の「ショック・ドクトリン」

■復興特区の名の下に略奪されたニューオリンズ
<ニューオリンズの>被災地の復興事業を政府から受注したのは、(略)公開入札など一切なく、総額16億ドルの復興事業予算の8割以上を手にしたのは、すべて政府の”お友達企業”でした。
巨額の復興事業による予算の不足分は、低所得者向けの医療保険やフードスタンプ(低所得者向け食料品配布券)、学生ローンなどの予算カットで穴埋された。
公共住宅に公立病院、公共交通機関に電気や水道、そして公立学校が復旧されないまま放置され、被災地の公共インフラは、イラクの文化財同様、ショックの下で消去されようとしていた。

■3・11ショック・ドクトリンでも復興特区で「海の民営化」
海に囲まれいる日本で、海と水産物は、漁業法や地元の漁業協同組合で守られてきた。日本の漁協は大変クオリティが高く、海という自然の生態系と人間の経済活動とのバランスを見ていることで有名。誰かが私i物化して大儲けできないよう、持続可能な産業として維持するためにしっかりチェックしあって管理する。
宮城県村井知事は、漁協が一元的に自治管理していた漁業権を、民間企業に直接与える「水産特区」を導入、それはつまり、小さな漁港を廃して、企業が漁民を雇って「サラリーマン」にする。漁協は猛反対したが、知事は民営化を強行。(結果は、偽装販売とか、価値を落とした)

■急速なデジタル化の先に
コロナ禍の緊急事態宣言中だった2021年5月には、63本もの法律を一つに束ねた「デジタル改革関連法案」が国会を通過した。本人の同意なしに個人情報の利活用ができる「改正個人情報保護法」や、地方自治を弱めることなど、社会を大きく変える重要な改正がいくつも含まれていたにもかかわらず、パンデミックというショックの下、たった27時間の審議でスピード可決された規制緩和法案だった。
すべての科学技術がそうであるように、デジタル・テクノロジーも、諸刃の剣。だからこそ、私たち国民は、スピードにひきずられずに、立ち止まって考えなければならない。
与党の発表した憲法改正草案、第98条の「緊急事態の宣言」の項目に、適用条件として「自然災害」が含まれていることや、「感染症」を加える方針であることなど、ショック・ドクトリンが仕掛けられる環境が刻々と整備されていく。

「自粛から自衛」の意味するもの
パンデミック真っ只中の2021年に、銀行法が改正。出資規制緩和で、本来、融資をして助ける立場の銀行が、中小企業を買収できるようになってしまった。中小企業が外資のターゲットに。
コロナ禍での、(略)小池東京都知事が口にした「これからは自粛から自衛の時代ではないか」という、自己責任社会を容認するかのような発言。
高速で進化するデジタル・テクノロジーは、惨事が起きたときに恐怖を拡散するスピードを飛躍的に上げ、何が起きているかを俯瞰して冷静に見ることがますます難しくなった。

■民衆のショックドクトリン
<2004年、スマトラ沖地震による大津波による被害にあったタイでは、>災害を口実に漁民を立ち退かせ、その隙にリゾート企業に土地を売却しようとする政府を信用せず、漁民たちは、行政が復興計画を出してくるのをまたず、何千人もが結集して、開発業者にやとわれた武装警備員を振り払い、自力で家の建て直し作業を始めた。
中でもバンタンワー村のモーケン族という先住民族は、村全体をロープで囲い、野営しながら、土地の所有権を主張し、政府と交渉。大災害で世界中のメディアの眼がそそがれている中、政府も追い出せず、粘り強い交渉の末、沿岸部の土地の一部放棄と引き換えに、彼らは先祖伝来の土地所有権を勝ち取った。
タイでは、被災者が自らの手で地域社会を立て直す「住民の直接参加による復興」を選んでいる。ただ元に戻すのではなく、地域をどんな形にしていきたいのか、住民側が一緒に考え、民主的な話しあいで決めていった。外部民間業者が介入すれば、四半期単位で儲けがでる復興ビジネスを計画し、地域の将来まで真剣に考えないが、地域住民自身が、復興にかかわることで100年先までを想像したビジョンで設計できる。
被災者自身による復興に成功したタイを視察しに来たニューオリンズの被災者代表団は、タイで得たノウハウをアメリカに持ち帰り、即座に行動を起こし、地域復興に必要なことを住民同士で話し合うシステムを立ち上げた。

<東日本大震災後の石巻市十三浜では、普段は団体行動を好まない一匹狼の漁師たちが団結し、「漁業生産組合浜人」を立ち上げ、それまでワカメの養殖、ゆで上げ、塩蔵という3工程だけだったのを、加工と販売までの全工程を自分たちで行うことで1次産業から6次産業に進化させた。ブランド価値を高めるのに成功した。

■シカゴ学派に対抗した助け合い連盟
ラテンアメリカでは、ショック・ドクトリンによって踏みにじられた苦い経験から、戦争にクーデター、債務ショックなどあらゆる種類のショック・ドクトリンを想定して身を守ろうとしている。
<権力はできるだけ分散、アルゼンチンでは新自由主義で倒産した企業を協働組合の形で再生、ブラジルでは農民自ら農協の立ち上げ、ベネズエラが主導する中南米とカリブ諸国の社会主義同盟「米州ボリーバル同盟」、ベネズエラは世界銀行とIMF脱退、ニカラグアとブラジルも脱退交渉開始>

主権を取り戻す人々
ヨーロッパでも、少数の多国籍企業が作る画一的食品がどんどん入ってくる流れをせき止めようとする動き。

日本では、グローバル自由貿易で外貨に市場を広げるべく種子法(主要なタネは国が責任を持って確保・安く供給するという法律)が廃止されたが、全国の地方議会で独自の条例づくりが進む。

ヨーロッパを中心に、サービスの再公営化を推進する独創的な自治体とその運動(地域自治主義・ミュニシパリズム)が拡大

■ショック・ドクトリンに打ち勝つのは「人間の知性」
注意しておきたいことは、「一番悪い敵は、誰なのか」という思考に陥らないようにすること。善悪二元論に陥った民衆ほど、扱いやすい存在はない。犯人探しをしたくなる私たちの本能は常に、国民を分断し、攪乱し、戦うべき相手を見誤るよう利用されてきた。

物事を深く、長く、広く見る力を失い、自分の頭で考えることを放棄してしまった時にこそ、ショック・ドクトリンは牙をむき、私たちはいとも簡単に餌食にされてしまう。相手は人間ではなく果てなき欲望を現実化するための「方法論」に他なりません。それを打ち負かせる武器はたった一つ、物事を俯瞰して眺め、本質をすくいあげる、人間の「知性」なのです。

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