ウェディング・テキスト 子どもの友だちがいる世界 結婚相手のいる世界

子どもの友だちがうちにきている。

一緒に人形遊びしたり、ゲームしたり、漢字プリントしたり、YouTube見たり、楽しそうだ。
人形もゲームも漢字プリントもひとりでもやれるはずなのにいつもひとりではあまり継続せずつまらなそうだった。友だちとやるのはもう全然、別のもののように楽しそうだ。

友だちがいるだけで、同じ構成物でできている世界がその時だけまったく違うものになる。本当にすごいことだと思う。
その友だちは、まだ小学二年生の女の子で、たしかに明るくて元気でかわいいけれど、ものすごい才能でものすごい成果を出したわけでも、ものすごい稼いだことがあるわけもないだろう。きっと日々、ふつうに宿題を嫌がったり弟とケンカしたりしながら毎日小学校に通っている女の子である。でもそこにいるだけでもうものすごく、私の子どもが楽しそう。見ていて私もとっても良い気分でいる。人間の存在価値はそもそも成果とかじゃ全然ないということを実感している。その子については、少なくとも今、ここにいるだけで、存在するだけでキラキラした価値がある。

昔、自分が小さい頃、友だちの家に遊びに行った時に、友だちのお母さんに帰り際に「仲良くしてくれてありがとう、また遊びにきてね」と言われることがあった。

へそ曲がりな私は、なんでありがとうと言われるのか腑に落ちなかった。仲良くしてもらっているのはむしろ自分のほうだし、自分がまた遊びにいっても、そのおうちのジュースやお菓子をごちそうになっていろいろと世話をしてもらうばかりで、そのお母さんにはなんにもメリットがないように思っていた。

自分が親になると、子どもに友だちがいることが本当にありがたいことだと思える。それはもう、うちのジュースやお菓子では全然まかなえない、すごい存在価値だ。友だちといる世界というパラレルワールドに自分の子どもがいるということ。それがもう、すごく素敵で素晴らしいのだ。どんなに頑張っても親には直接与えることのできないパラレルワールド。それが友だちといる世界なのだ。

もしかしたら、子どもが結婚するときも親は同じように思うのかもしれない。
自分の子どもに、互いにこれから先ずっと長くやっていこうと思いあえる相手がいるなんて、なんて素晴らしいことなのだろう。

子どもはもはや、結婚相手のいる世界というパラレルワールドに生きている。きっとその世界は、自分が亡くなっても続く世界だ。そのパラレルワールドは、親は介入することはできないし、垣間見ることすらあまりできないれど、できれば、笑顔が多くある世界であってほしい。

だからその相手がなにを成したか、なにを成せるか、どんな能力を持つか、は重要ではなく、笑顔が多くある世界を互いに構築し続けられるか、が重要である。
そこにあるのはやはり、人形やゲームや漢字プリントと似たり寄ったりの日常だ。しかし同じ構成物でできていても、キラキラ輝く…とまでは言わなくても、笑顔が多くある、あるいは心が柔らかくなる瞬間が多くある、そんなパラレルワールドはあり得るのだ。

大切な人には、介入できないからこそ、暖かい世界で過ごしてほしいと願う。これが他人の幸せを願うということなのだろう。

#テキスト #コラム #子育て #友だち #結婚観

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