sakichi

時短勤務/高速通勤/地方住み/第一子小3女第二子2歳女/ほんとは本読みたい

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時短勤務/高速通勤/地方住み/第一子小3女第二子2歳女/ほんとは本読みたい

最近の記事

すぐにはわかりあえない関係

子どもが10歳になった。 もう10年か。 時短勤務歴も長大になり、半人前期間が相当に長くなっている。 先日、すこし偉い管理職のかたに、女性従業員の子育て両立での苦労や組織の問題をお話した。 実にフランクに、穏やかに、笑顔で、気さくに、お話ししてくださるかただった。 なんならこちらに友好を見せようとする言葉が多く散見された。 しかし発せられるその言葉のひとつひとつが私の地雷をことごとく踏んでいて、結果的に、すこし偉い管理職のかたに腹を立てている私がいた。 「組織のピラミ

    • 無趣味のわけ

      珍しくリモートで他社のかたと交流する機会がある。 簡単な自己紹介を作ろうとして、趣味を書こうといつものように「読書」と書こうとして手が止まる。言うほど本を読んでないのに趣味は読書で良いのか? 最近プライベートな時間をどう過ごしたっけ。鬼滅の刃は夫が購入して全巻読んだし子どもと映画も行った。しかし自分から購入したりわざわざ行動したことって最近何かあったっけ? ああ、テレビドラマは時々能動的に見ている。正月は逃げ恥のスペシャルを見た。しかしその程度で趣味はドラマ鑑賞と言って良

      • 配慮されたいというよりは、成果をあげさせてほしい

        各自の残業時間のグラフを見る機会があった。 30個くらい並ぶ棒で作られた棒グラフで、私の名前のところだけ棒がない。 短時間勤務歴何年になるだろう、もうずいぶん長いこと私の残業時間の棒がない。ないどころか、マイナスだから。棒グラフは1日7.75時間からはみ出した分の残業時間だ。 私も自身の短時間勤務1日6.15時間を越えた分は残業できるが、これは正しくは残業とは呼ばないし棒グラフには表示されない。 こうして30個くらい並べられてしまうと明確に異質に見える。目立っている。 そう

        • デトックスの旅行

          のび太のママが「たまには温泉に行きたいわ」と言ったことをキッカケに、のび太とドラえもんが自宅を温泉旅館に見せる回がある。 しかし母親業をやるようになった私は思う。 「たまには温泉に行きたいわ」は、顧客のどのようなニーズを表しているのか、もう少し分析するべきではないか。 温泉があるかどうかが重要なのではなく、温泉旅館に泊まって上げ膳据え膳してもらえる環境に行くことが重要なのではないか。 そしてさらに重要なのは、無限に母親業務が続く自宅から強制的に離れることなのではないか。 先

        すぐにはわかりあえない関係

          二度目の育休から復帰して一年

          1人の時間は貴重だ。 だがすぐに過ぎていってしまう。 やりたいことも、やらなきゃいけないことも、貧弱な身体ではとても受け止めきれないくらいにあって、かつ、貧弱だからこそ十分な休養とスケジュールの中の空白が必要で、どうしたってすべての欲は満たせない。 それが幸せということなのか。 子どもと一緒に、アルパカ牧場のアルパカの赤ちゃんも見たいけど、小説も読みたいし漫画も読みたいけど、ごちゃごちゃしてきた社内でもっといろんなところに首を突っ込むべきなんだけど。 体力がないので

          二度目の育休から復帰して一年

          年齢と性別を越える相互理解はできるのか

          だいぶ若かった頃から、たぶん多くの若者がそうであるように、人と人との相互理解について疑問を持っていた。 どうすれば人と人とは相互に理解し合えるのだろうか。 背景の共有が大事なのだろうか。 同じ性質を持つことが大事なのだろうか。同じカテゴリに属することが必要なのだろうか。毎日顔を合わせることが必要なのだろうか。 会社員とは面白いもので、ある程度のバラツキを持ちながら、ある程度の同カテゴリで、毎日ほどほどに顔を合わせる生活をする。彼らの中で私が異端であるか同質であるかは程度問題

          年齢と性別を越える相互理解はできるのか

          コロナの時期に書く生活の記録

          子どもは小学三年生と一歳である。小学三年生は、3月に休校になって以来、長い春休み、その後週一の自由登校日のある休み、そして緊急事態宣言後は再び長い休みになっている。一歳は3月からしばし登園自粛、その後緊急事態宣言付近から休園となっている。 仕事は夫は4月半ばから完全に在宅勤務、私は事業所で感染者が出てからは週3〜4程度の在宅勤務にした。GW前の週から休業となり、外出予定のないレアな連休を過ごしている。 子育てにおいては、調子のいい時と調子の悪い時が交互に来る。 調子のいい

          コロナの時期に書く生活の記録

          ウェディング・テキスト 子どもの友だちがいる世界 結婚相手のいる世界

          子どもの友だちがうちにきている。 一緒に人形遊びしたり、ゲームしたり、漢字プリントしたり、YouTube見たり、楽しそうだ。 人形もゲームも漢字プリントもひとりでもやれるはずなのにいつもひとりではあまり継続せずつまらなそうだった。友だちとやるのはもう全然、別のもののように楽しそうだ。 友だちがいるだけで、同じ構成物でできている世界がその時だけまったく違うものになる。本当にすごいことだと思う。 その友だちは、まだ小学二年生の女の子で、たしかに明るくて元気でかわいいけれど、も

          ウェディング・テキスト 子どもの友だちがいる世界 結婚相手のいる世界

          書くことさえ難しくなってしまう忙殺

          年末まで忙しかった。忙殺されていた。 ただ忙しいだけではなく、仕事ではなんらかの搾取を感じていた。 あまり良くない傾向である。 うまく頭が働かない。 ここのところしばらく、日記も遠ざけている。書くことを避けるようになった。冬休みに入って少し頭の体調が取り戻せた感じではある。忙殺されることには向いていない。 忙殺には身体と心のタフさと忙殺に全フリする思想みたいなものが必要だ。どちらも持っていないので私については忙殺はやめたほうがいい。スケジュールは余白多めがいい。さらに言え

          書くことさえ難しくなってしまう忙殺

          育休復帰と産後クライシス

          「産後クライシス」という言葉がある。 離婚率1/3の多くの要因が産後二年間に急激に夫婦仲が悪化することによるという論説だ。 産後、女性は身体的にも、精神的にも、社会的にも、嵐のような変化を強要させられる。ダメージを負った身体で、満足な睡眠を取れない日々が数年単位で続く。助けを求めようにも求められない社会に当事者として気付いていく。その状況を引きずったまま会社に復帰して、それまでは好ましく見えたこともすっかり手のひらを返して壁として立ち塞がる現実に、失望に失望を重ねる。 産

          育休復帰と産後クライシス

          五年登用日記

          五年間使える日記帳の5年目が、もうすぐ終わろうとしている。まだ次の日記帳は買っていない。 私が最初に日記をはじめたのは、小学三年生のとき、やはり日記好きな母からの勧めで、全然子供向けではない、大人が持つような渋くて硬いハードカバーの「三年登用日記」が与えられた。確か同時に姉にも与えられていた。 「今日は暑かった」だけでもいいから毎日書くことだ、と言われた。言われたとおりに「今日は暑かった」「今日は寒かった」「今日はとくになし」などと書いた。 しかしそのようにハードルを低く

          五年登用日記

          医学部不正入試問題から一年

          日記を見ると、ちょうど去年、2018年10月だったようだ。医学部不正入試問題が報道された。そして2019年4月に上野千鶴子の東大入学式での祝辞だ。 あの医学部不正入試報道は私に大きな衝撃と影響を与えた。今も影響を受けている。そして私の子どもたちは2人とも女の子だ。 僕は何を思えばいいんだろう 僕はなんていえばいいんだろう と頭の中がイエモンのJAMになっちゃうようなテレビのニュースだったわけだ。世代! 進学校の卒業生なら、同級生に東大や医学部が、平均的な人と比べると、

          医学部不正入試問題から一年

          好ましい分人が作られる他者

          先日、インターンシップに会社に来ている女子学生さんを誘って2人でお茶を飲んだ。といっても本当に飲んだのはジュースだけれども。 彼女の研究室での研究の概要発表を聞いた直後のことだ。 内容についてはさっぱり理解ができなかったけれども、発表での彼女の話しぶり、言葉の選び方、振る舞いに、私はすっかり好感を抱いていた。例えば「この研究の素敵なところは、」という言い回し。そうそうこれこれ、と思った。 彼女が飲み物を片手に、そこにあった雑誌を手に取りパラパラとめくるのを覗き込む。 「ス

          好ましい分人が作られる他者

          停滞期

          7年前、育休から復帰したらそこはホームだった。別になんとも思っていなかったのに、戻ってみればそこはいつのまにかホームになっていた。 7年たち、再び育休を取り復帰したらそこはホームじゃなかった。 妊娠や出産と配転が同時なのは、精神的にはおすすめしない。 男ばっかりだなあ、というのが復帰して最初の感想だ。 次に、おじさんばっかりだなあという感想。 ちょっとした世間話のすれ違いから失望が積み重なって、次第に口を噤んでいく。どうせ誰にもわかってもらえない、むしろかえって失望す

          停滞期

          ただ考えているだけでなにもしていない時に人は存在するのだろうか

          長めの夫実家への帰省中、長男の嫁にもかかわらず、世間一般によく聞こえるあれこれと比べるとびっくりするほど私はなにもしていない。 なにかしないといけないような気はしなくもないのだが、そして本当にときどきなにかしようとすることもあるのだが、ほとんどあきらめてしまった。 中学の時に部活動で上下関係や気の使い方を学んだのは良い経験だった。 もうこういう場所はやめようと思えたから。 家庭でも会社でも、部活動的な文脈ではないところで生活できるのは私にとってはけっこう幸せなことである

          ただ考えているだけでなにもしていない時に人は存在するのだろうか

          何を語るかよりもどのように語るか 熟練した日本語の美しさについて

          非言語コミュニケーション論としてメジャーなメラビアンの法則によれば、感情と内容が矛盾したコミュニケーションを受ける時、人は何からの影響を大きく受け取るかについて、 話の内容 7% 声のトーンや話し方 38% 表情や見た目 55% だという。昔のベストセラー「人は見た目が9割」にも記載されていた。 これは対人コミュニケーションについての論説であり、以下のテキストに関する議論とは前提が異なる。 しかしながら、テキストにおいても、どのように語られるかというのは語られる内容と同等

          何を語るかよりもどのように語るか 熟練した日本語の美しさについて