五年登用日記

五年間使える日記帳の5年目が、もうすぐ終わろうとしている。まだ次の日記帳は買っていない。

私が最初に日記をはじめたのは、小学三年生のとき、やはり日記好きな母からの勧めで、全然子供向けではない、大人が持つような渋くて硬いハードカバーの「三年登用日記」が与えられた。確か同時に姉にも与えられていた。

「今日は暑かった」だけでもいいから毎日書くことだ、と言われた。言われたとおりに「今日は暑かった」「今日は寒かった」「今日はとくになし」などと書いた。
しかしそのようにハードルを低くしたおかげか、生来的に自身との対話を多く求める性格からか、日記とはずいぶん相性が良く、かなりサボることも多々ありながらも続いていて、私にとっては人生のお供みたいになっている。

人生にはいろいろある。
5年前、2014年4月。別の組織に吸収されチームごと異動になった。第一子は2歳半。小規模な認可外保育所から私立認可保育園に転園した。私は育休復帰後の一年で家族ごと絶望的に疲弊していた。そのうえ職場の人間関係は、私の上と下でずいぶん悪くなっていた。私には優しい歳上の男性たちが、私より若い男性たちには厳しくあたる。それを打開しようにも余力がなく、時短で退社した後の職場には関われない。他人同士の人間関係まで背負うのは無理があった。
ときおり女子トイレでしゃがみこんだり涙目になったりしていて当時の職場の女性社員に心配されていた気がする。たぶん当時の上司に通報されていた。大人になるとは恥をかくことであるなあ。

その頃の日記帳は、その後五年分空白で、五年目にどんな記述があるのかなんて想像もつかなかった。まだ未満児クラスで、歩くのが嫌いですぐに抱っこにベビーカーになる第一子が、もう小学二年生になっていて、電車で小学校に通っているなんて。その上一歳の第二子もいるなんて。また違う職場で育休復帰しているなんて。その間になんという紆余曲折。30代の大人女性の五年は想像もできないものである。

小学生のときに自室で日記を書くようになってから、いつか、私が私の一番の友達だった。昨日の私が私を楽しませるときがあった。応援してくれるときがあった。だから明日の私のために今日の私が良い友達であろうと思った。

一方で、長期的に落ち込んだときは、昨日の私が私を悲しくさせることもあることがわかった。明日の自分を応援しても、期待に応えられない今日の自分がいることもある。楽しそうな昨日の私を、今日の私がポツンと遠くから見ているときがある。

それでも。

生きているということを経験している。生きている感が半端ない。
それが五年登用日記である。

次の五年も、その次の五年も、私の一番の友達はやはり私なのだろう。より良い態度の積み重ねが明日の私の力になると良い。



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