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ヨーロッパ・アメリカ大陸先史時代まとめ

ムンディ先生のYouTubeで世界史の勉強中。今回はこちらの記事↓の補足としてヨーロッパ・アメリカ大陸の先史時代についてまとめてます。

※このページには、人間の執筆とAI生成の要素が含まれています


ヨーロッパ

アジール文化

アジール文化はフランスのピレネー地方にあるマス・ダジール洞窟で、1889年に発見された晩期旧石器時代文化である。フランスから北スペインにかけて分布し、三角形やかぎ形の細石器、シカの角の銛、小石に赤色顔料で模様を記した彩礫などが特徴である。

アジールはギリシャ語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする歴史的・社会的な概念で「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる。具体的には統治権力が及ばない地域を指し、現代の法制度では在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものとされている。


巨石文化

ヨーロッパの巨石文化は新石器時代に丘陵や平地に巨大な石を立てて列や環状に並べたもので、ドルメン、メンヒル、ストーン・サークルなどと呼ばれる。紀元前2000年から5000年頃に造られたとされ、西ヨーロッパではフランスが中心で、南にポルトガルとスペイン、西にイギリスとアイルランドに分布している。ブリテン諸島には数千もの巨石文化のモニュメントがあり、特に密度が高いのが特徴である。

イギリスのソールズベリー平原にあるストーンヘンジは世界的に有名な巨石文化の遺跡で、1986年に世界文化遺産に登録された。円形に囲まれた土手の中に高さ4~5m、最大50tにも及ぶ巨大なサーセン・ストーンがサークル状に直立して並べられており、内側にはブルー・ストーン、さらにその内側に組石が馬蹄形に並んでいる。紀元前2500年から紀元前2000年に建てられたとされ、建造方法については次第に解明されつつあるが、造られた目的は依然として謎のままである。

西ヨーロッパに見られる支石墓はブルトン語で「石の机」を意味するドルメンと呼ばれ、フランス・ブルターニュ地方に多く見られる。またウェールズ語に由来するクロムレクと呼ばれることもある。


ビーカー文化

ビーカー文化とは新石器時代末期から初期青銅器時代にかけてヨーロッパに広がった文化で、鐘状ビーカーと呼ばれる特殊な形の土器をもった人々の文化である。鐘形坏文化とも呼ばれ、初期の新石器文化に続く第2の新石器文化の波とされている。

紀元前2600年頃から紀元前1900年頃まで西ヨーロッパと中央ヨーロッパに広がり、ケルト語派の諸言語やその社会の初期の発展段階と非常に密接な関係があるとも見られている。

またデンマークからドイツ北部を通ってオランダ北部に広がる農業文化であるファンネルビーカー文化も存在する。オランダ先史時代のこの時期にドルメンと呼ばれる大きな石の墓碑が建設されており、紀元前4100年から紀元前3200年の間に建てられたと考えられている。


ビーカー人

ビーカー人は古代英国史に登場する民族で、紀元前2600年から紀元前1900年頃に大陸からブリテン島に渡来した農民の集団である。銅器や青銅器、鐘状ビーカーを扱い、ビーカーや金属加工品を地元住民の社会の上流層に普及させた。

ビーカー人の土器は炭素年代測定で紀元前2475~2315年のものと推定されており、ビーカー人との交流を通じてブリテン島の先住民に商品経済の概念が普及し、富の格差が拡大したと考えられている。


トルィピーリャ文化

トルィピーリャ文化は東地中海文化圏に属していたと考えられており、紀元前3千年期末に青銅器時代の縄文土器文化に取って代わられたとされている。

ウクライナの歴史においてはスラヴ語派の各民族の起源となる決定的に重要な文化とされており、現在のスラヴ人諸民族の根源とされている。青銅器時代から鉄器時代への移行期の文化で、両方の時代の特徴が見られるとされている。同じ地域に広がっていた青銅器文化のベログルードフ文化とコマロフ文化から発展したものと推定されている。


縄文土器文化

ヨーロッパの櫛目文土器文化は紀元前4200年頃から紀元前2000年頃まで続いた文化で、櫛の歯で擦ったような文様のある土器(櫛目文土器)を特徴としている。スカンジナビア半島中部からウラル山脈、バルト海南岸、ポーランドのヴィスワ川付近まで分布し狩猟採集文化と考えられているが、一部は農耕段階であったと考えられている。

集落は海岸や湖岸に集中し、生業は漁労や狩猟、採集などだった。土器は丸底または凸底の壷形で、アスベストを用いた特異なものもある。墓は集落近くに作られ、上に赭土がかけられており、土偶やクマなどの動物の頭の石像、岩石刻画などが特徴的な製品として知られている。


球状アンフォラ文化

球状アンフォラ文化は、紀元前3000年から 1300年の間にチェコ共和国で栄えた先史時代文化である。独自の陶器の器や農耕生活で知られており、ヨーロッパの歴史に大きな足跡を残している。

球状アンフォラ文化の草創期は豚を飼っている場合が多く、この前の時代の漏斗状ビーカー文化が牛を飼っている場合が多いのと対照的である。また漏斗状ビーカー文化の時代の後半は球状アンフォラ文化と重なっている。

球状アンフォラ文化とほぼ同じ地域で、青銅器時代の文化であるトシュチニェツ文化も紀元前1700年から紀元前1200 年にかけて栄えた。


トシュチニェツ・コマロフ文化複合

トシュチニェツ文化は中央ヨーロッパ東部から東ヨーロッパ西部にかけて存在した、青銅器時代から鉄器時代への変遷期の文化である。西部群、東部群、南部のコマロフ文化の3つの文化で構成されており、トシュチニェツ・コマロフ文化複合と呼ばれている。

トシュチニェツ文化は同じ地域に広がっていた、青銅器文化のベログルードフ文化とその南のコマロフ文化から発展したものと推定されている。コマロフ文化はドニエストル川中流域に存在する文化で、埋葬の形態や冶金の技術、戦斧の形状、土器の特徴などから縄目文土器文化から発展したものと推定されている。

これらはプロト・スラヴ人の文化と考えられており、スラヴ語派の社会の発展段階において重要な意味があると考えられている。東部地方ではのちのチェルノレス文化に直接繋がっており、現在のスラヴ人諸民族はチェルノレス文化に行き着く諸文化の末裔と考えられている。


アメリカ大陸

クローヴィス文化

クローヴィス文化は約1万3000年前に北アメリカに広く分布したアメリカ先住民の石器文化で、北アメリカ最古の石器文化のひとつである。クローヴィス尖頭器と呼ばれる槍の刃など独特な石器が特徴で、ニューメキシコ州西部のクロービス、ブラックウォーター地方を中心に、北アメリカの東部、南部の高原地帯に広く分布している。

クローヴィス文化の指標となる尖頭器は、1930年代にニューメキシコ州東部のリャノ・エスタカード地方の町クローヴィス近郊のブラックウォーター・ドロウⅠ遺跡でマンモスの骨に共伴して発見された。この尖頭器はフォルサム文化型に似た有溝尖頭石器だが、粗雑大型で溝の部分は浅く短い。

クローヴィス文化の人々はマストドンやマンモス、バイソンなど巨型動物類を狩ることで有名で、北アメリカでは珍しかったゴンフォセレ(ゾウ目)まで狩っていたと考えられている。

クローヴィス人は一般的に新世界の最初の人間の居住者と見なされていて、北アメリカと南アメリカの全ての先住民文化の祖先であると言われている。


手の洞窟

「手の洞窟」はスペイン語で「クエバ・デ・ラス・マノス」を意味し、アルゼンチン南部パタゴニアにあるピントゥラス川流域の渓谷にある洞窟である。洞窟壁には先史時代に描かれたと推測される858もの手形や狩りの絵などの壁画が残されており、1999年に世界文化遺産に登録された。

手形は着色粉を手の上から吹きつけて描くステンシルの技法を用いて2500年前に描かれたもので、白い顔料を吹きつけることで手形を残したものや手に顔料をつけたもの、さらには3つ指や6本あるものなどがある。また狩りの絵など、9000年以上前の壁画も残されており、色彩豊かである。

手形は聖地であった洞窟における成人通過儀礼だと考えられており、その詳細は未だに謎に包まれている。保護のため現在はフェンス越しになるが、見学デッキからは直接見ることも出来る。


おわりに

アメリカ大陸もオセアニア同様大航海時代までほぼ情報がないので、ヨーロッパと一緒にまとめました。次回からいよいよ文明、つまり歴史が始まります。ワクワク。

―おわり―


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