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アフリカ先史時代まとめ

ムンディ先生のYouTubeで世界史の勉強中。今回はこちらの記事↓の補足としてアフリカ先史時代についてまとめてます。

※このページには、人間の執筆とAI生成の要素が含まれています


ファイユーム地方

ファイユーム文化

ファイユーム文化はエジプトのカイロの南西約80kmにあるカールーン湖の北西斜面で発見された、エジプト最古の新石器文化である。1924年から1928年にC.トムソンによって発見され、ファイユームA文化とも呼ばれている。

ファイユーム文化では剥片石器を中心とする石器を用い、小麦や大麦、亜麻などの穀物を栽培しヒツジやヤギを飼育していた。また漁労や狩猟も重要で、ガゼルやハーテビースト、カバ、ワニ、カメなどの動物骨や魚類の骨が発見されている。

ファイユーム地方はエジプト人、ギリシャ人、ローマ人、コプト教徒など多くの人々が神殿や墓、修道院を建てて足跡を残してきた歴史がある。第12王朝やプトレマイオス朝時代が最も栄え、アメンエムハト3世や同4世が建立した神殿やピラミッドを見ることができる。またデモティック(エジプトの民衆文字)やギリシア語パピルスの出土でも知られている。

現在でも肥沃な農地と豊富な水に恵まれており、その水を分配していた水車は現在でもファイユームの名物となっている。また世界遺産のクジラの化石が眠る谷や古代の神殿などの遺跡、近年盛んになった陶芸の村などもある。


下エジプト

メリムデ文化

メリムデ文化はエジプト北部の下エジプトにあるカイロの南西約60kmのメリムデ・ベニ・サラーム遺跡で発見された新石器時代の文化である。ファイユーム地方と並ぶ時代の文化で、遺跡の名前からメリムデ文化と呼ばれている。

メリムデ・ベニ・サラーム遺跡はエジプトのカイロの南西約45km、ワルダーン村の近くにある遺跡で、エジプト・ナイル川流域最古の定住農耕村落遺跡である。遺跡から出土した石器などの史料からは、この地方がシリア地方と交流を持っていたことが示されている。

メリムデ文化は1920年代末から約10年間にわたり、オーストリアのH.ユンカーらによって発掘された。技術的な面や経済的な面、慣習の面などから時代に至る文化の流れを先取りした文化であることが窺えると言われている。


オマリ文化

オマリ文化はエジプトの下エジプトにあるナイル川東岸のオマリ遺跡で発見された文化で、紀元前4600年頃~紀元前4400年頃とされている。ファイユーム文化やメリムデ文化の最終段階と同時期に位置付けられており、メリムデ文化と並行する時代と考えられている。

オマリ文化の人々はエンマー小麦やクラブ小麦、大麦などを栽培し、ウシ、ヒツジ、ブタ、ヤギを飼育していた。またナマズやナイルパーチなどの水産物も豊富に捕獲していたと推測されている。石器はフリントを用いた剥片石器が中心だが、少数ながら石刃技法によるものも認められている。

オマリ文化とメリムデ文化には共通点と相違点があるものの、相互の関係については明確ではない。またナイル水位の上昇によるデルタ内部の考古学的調査の困難さのため、オマリ文化の内容はほとんど不明である。


マーディ文化

マーディ・ブト文化(ブト・マーディ文化/マーディ文化)は、エジプトのデルタ地帯付け根部分の東岸にあるマーディ遺跡で発見された文化遺構である。メリムデやオマリ文化に続く時代の文化で、エジプト統一に至る文化とされている。

遺跡形成と文化認定の順序から、マーディ・ブト文化と呼ぶ案が提唱されている。考古学的資料からも、デルタのブト・マーディ文化を統合することで達成されると考えられている。

エジプト文明は紀元前3000年頃にファラオという王が誕生し、そこから始まる。ファラオが生まれる前の紀元前4000年紀頃の時代を先王朝時代と呼び、マーディ・ブト文化はその先王朝時代に属する。


上エジプト

ターリフ文化

ターリフ文化は約7200年前の上エジプトで初めて土器を導入した文化である。居住跡からは炉や土器、石器しか発見されていないため、移動しながら生活していたと考えられている。

ターリフの地名の由来は墓地を意味する「アル=ターリフ」で、墓地にはメンチュウ神に関するものがある。


バダリ文化

バダリ文化は紀元前4500年頃から紀元前4000年頃にかけて上エジプトで栄えた先王朝時代の文化である。金石併用期に属し、中部エジプトのナイル川東岸地域に遺跡が分布している。

バダリ文化の特徴は死者を砂漠の縁辺部に集団墓地を形成し、多量の副葬品を添えて手厚く埋葬することである。遺体は基本的に南に頭を置いて埋葬され、土器や装身具、パレットなどが一緒に埋葬されている。またこの頃から階層分化が見られるという説もある。

バダリ文化ではエンマー小麦や六条大麦、亜麻の栽培が確認されており、ウシ、ヒツジ、ヤギなどの家畜を飼育していた。またガゼル、ワニ、カバ、カメなどの野生動物の狩猟や漁労も行っていたと考えられている。


ナカダ文化

ナカダ文化は上エジプトのバダリ文化に続く先王朝時代の文化で、ルクソールの北方約30kmにあるナカダが標準遺跡である。ナカダ文化では農耕と牧畜に重きが置かれ、彩色された陶器やエチオピア産黒曜石、レバノン杉などが使用されていた。またヌビア、リビア砂漠のオアシス、東地中海域と貿易も行われていたと考えられている。

ナカダ文化の副葬土器研究では、古代エジプトのイメージと強く結びつく手厚い埋葬習慣の萌芽がナカダ文化の時代から始まったことが明らかになっている。バダリ文化に属する人々は砂漠の縁辺部に集団墓地を形成し、多量の副葬品を添えて死者を手厚く埋葬する習慣を初めてエジプトに導入した。


アムラ文化

ナカダⅠ期(アムラ文化)は紀元前4400年から3000年頃にかけて古代エジプトの現在のケナ県ナカダで栄えた銅器時代文化である。バダリ文化に続いてアムラ文化、ゲルゼ文化(ナカダⅡ期文化)と継承され、王朝時代へと移行した。

ナカダ文化のIA|B期ではナカダ遺跡とアムラがセンターとなり、遺跡の出土点数や割合が増加する。またパレットの分布も前時期とは異なり、一部の遺跡に集中するようになる。

ナカダ文化は王朝成立を知る手がかりとしても研究されており、ナカダ2C期は一つの画期とされている。この期を特徴づけるのは、マールクレイ胎土土器という新しい土器が急速に広域分布を示すようになったことである。この土器は従来とは異なる技術体系を導入しており、高い装飾性と硬質な焼き上がりを可能としている。


ゲルゼ文化

ゲルゼ文化はエジプト先王朝時代末期の金石併用期にナイル下流のゲルゼ遺跡で栄えた文化で、ナカダⅡ文化とも呼ばれる。バダリ文化やアムラ文化の延長上に位置し、アムラ文化よりも南北に拡大している。

ナカダⅡ期はゲルゼ期と呼ばれ、特にゲルゼ期の後期はナカダⅢ期と同義とされている。ナカダⅡ期頃からパレスチナからの搬入品とその模倣品が多数出土するようになり、パレスチナで製作されていた波状把手付土器はナカダ文化に最も大きな影響を与えた。

ナカダ文化圏として一括りにされていた上エジプト内にも地域差が存在することが指摘され始め、例えば上エジプト内の遺跡の住居址より出土した土器の混和材に明瞭な違いがあることが指摘されている。


ゲベル・エル・アラク ナイフ

ゲベル・エル・アラクのナイフはエジプトのアビュドスの南にあるゲベル・エル・アラクで発見されたと伝えられるナイフで、ルーブル美術館のエジプト部門に所蔵されている。火打石のナイフで、象牙の柄にエル神の彫り物がある。紀元前3500年から3100年頃に作られたとされ、戦闘シーンが刻まれている。

ゲベル・エル・アラクのナイフは約100年前にルーブル美術館のキュレーターであるジョルジュ・アーロン・ベネディットがカイロの古物商から購入した。古物商はナイフがゲベル・エル・アラクで発見されたと伝えたため、この名前で呼ばれている。


原王朝時代

ナカダⅢ期はエジプト先王朝時代におけるナカダ文化の最終期で、紀元前3200年から紀元前3000年頃を指す。ナカダⅡ期で始まった都市形成がより明確にみられ、名を持った王が強力な政権を率いた時代である。小規模な部族国家に影響力を持った王(首長)の存在が確認されることから、第0王朝またはエジプト原王朝時代とも呼ばれる。

ナカダⅢ期にはナカダとゲベレインの政体が力を失ってアビュドスとヒエラコンポリスが二大勢力となり、ナカダⅢ期後期にはアビュドスの王ナルメルが2つの政体を統合し、初の統一王朝を築くという仮説が立てられている。


アビュドス遺跡

アビュドス遺跡はエジプト中部ナイル川西岸にある古代エジプトの聖地で、冥府の神オシリス信仰の中心地として知られている。上エジプト第8ノモスに位置し、エジプト初期王朝時代の王の埋葬地として古王国時代末期から多くの墓や神殿が造営された。現在アビュドスにはエジプト新王国最盛期のファラオ、セティ1世、ラムセス2世の遺跡が残っている。

19世紀末のフリンダーズ・ピートリーの調査により、第1王朝時代の王墓が相次いで発見されており、これらの墓の前に立っていた石碑からは10人の王と1人の王妃の名が確認されている。またアビュドス遺跡には波状把手付きの土器が集中しており、丸底長胴壺も創出されている。


ヒエラコンポリス

ヒエラコンポリス遺跡はエジプトのナイル川西岸、ルクソールから南に約80kmにある古代都市の遺跡で、古代エジプトではネケヘンと呼ばれていた。先史時代から先王朝時代にかけての重要な都市で、ナカダ、アビュドスに並ぶ先王朝時代最大規模の遺跡である。

ヒエラコンポリス遺跡では、古拙時代(前3100頃~2686頃)のホルス神を祀った神殿跡や城塞跡、初期神殿、エリート墓地、労働者墓地、土器製作・焼成施設などが発見されている。特に先王朝時代の遺跡からはエジプト国立博物館に所蔵されているナルメル王のパレットや黄金製のタカの頭部、ペピ1世と王子メレンラの銅像などが出土しており有名である。ナルメル王のパレットには上下エジプトの統一を示す内容が表されていることから、ヒエラコンポリスが「統一されたエジプト王国」としての最初の首都と考えられている。

また近年では磁気探査によって、エリートの儀礼空間と考えられる大型構造物や供物を供給する生産施設と考えられる遺構も発見されている。


ヌビア川下流域

ナブタ・プラヤ

ナブタ・プラヤ遺跡はエジプトの南エジプトに約1万年前から存在する遺跡で、古代エジプト文明の起源となったとされている。現在のサハラ砂漠地方にあり、最古の土器や天文観測装置、巨石群などの遺構が発掘されている。

1万年前の最終氷河期以降サハラ砂漠の気候は湿潤化し、夏期には降雨があるようになった。ナブタ・プラヤの盆地には季節的に湖が生まれ、湖畔には植物が生息するようになり、人と動物が集まる場所となった。そこから古代エジプトの文明が急速に発展していったと考えられている。

またナブタ・プラヤ遺跡周辺では、終末期旧石器時代の遺跡からノウサギやガゼル、ダチョウの卵などの人類が捕獲した動植物の遺存体も発見されている。


その他の地域

タッシリ・ナジェール

アルジェリアの世界遺産タッシリ・ナジェールには、数千万年前の先史時代の岩壁画遺跡が2万点以上点在している。壁画には女戦士や羊、牛、馬などが描かれており、紀元前6千年以前に描かれたものも確認されている。紀元前4千年頃の壁画には仮面をかぶった人物が描かれており、当時のサハラが湿潤な緑の草原で野生動物が多く生息していたことを示している。また壁画に描かれた動物の絵は、新石器時代にはこの世界遺産がある砂漠がサバンナであったことを表している。

タッシリ・ナジェールはサハラ砂漠中央の台地状の山脈にあり、首都アルジェから南方2000キロの砂漠地帯にある。面積は7万2000kmで「水の多い土地」を意味する。何千年もの間、多くの民族が交代しながら様々な壁画を描き続けてきたと考えられている。


タドラルト・アカクス

タドラルト・アカクスはリビア南西部フェザン地方の砂漠地帯で、サハラの一部にあたる地域である。アルジェリア国境に近く、ガットの町にも近い場所に位置している。

タドラルト・アカクスは紀元前1万2000年頃から紀元前後頃までに岩肌に描かれた多数の先史時代の岩絵が特徴で、世界遺産にも登録されている。「タドラルト」は現地の言葉で「山」を意味する。


キンタンポ文化

キンタンポ文化は西アフリカで紀元前2000年紀に現れた初期食料生産民の文化である。キンタンポ遺跡は標式遺跡で、ボノ・マンソ地方の北半分ではキンタンポ遺跡に近接した場所で4ヶ所以上の製品製作を行う伝統を持つ遺跡が発見されている。

古老たちが神聖な場所と考える遺跡はすべてキンタンポ文化の道具と密接な関係があり、紀元前1500年から同1100年の間に相当する年代である。


ノク文化

ノク文化は西アフリカのナイジェリア中央部、ジョス高原を中心に紀元前10世紀から紀元後6世紀頃に栄えた鉄器文化である。ニジェール川とその支流ベヌエ川に挟まれた地域で、土偶で知られており、土偶が最初に発見されたノク村にちなんで名付けられた。

1928年にナイジェリア中部のカデゥナ州南部で、スズ鉱山の労働者によってユニークなテラコッタ像(土偶)が大量に掘り出されて以来、ノク文化が初めて世に知られるようになった。ノク出土のサルの頭部をはじめとするテラコッタ製像の様式は、イフェ、ベナンなどの後世のアフリカ芸術に影響を残している。

ノク文化の彫刻はかなり完成した様式を示すため、それに先立つ時代の、まだ発見されていない彫刻があるかもしれないと考えられている。またノク文化を直接継承する文化はないが、ニジェール川の下流の西方で10世紀以降に栄えたイフェ文化(イフェ王国)はノク文化と関係があると考えられている。


シュム=ラカ遺跡

シュム=ラカ遺跡はカメルーン西部にある先史時代の遺跡で、中央アフリカ西部の後期更新世から完新世の研究に重要な考古学遺跡である。バントゥー語の発祥地と考えられている草原に位置し、紀元前5000年頃のものと思われる型押文のある土器や鍬状石器、磨製石斧が出土している。

土器を使用する農耕民が早くから定住していた証拠と考えられており、現在サハラ砂漠以南で数億人が話しているバントゥー語も、この遺跡周辺で生み出された可能性がある。

またこの遺跡では古代ヒトゲノムの研究も行われており、得られた4人の祖先プロファイルは現在の中部アフリカ西部の狩猟採集民のものに最も近いことが示唆されている。このことから4人が属する集団が現在のバントゥー諸語話者の祖先ではないことが示唆されている。


おわりに

アフリカ編といいつつ、ほぼエジプト先王朝時代のまとめです。長くなりそうなので他の地域は別の記事にまとめようと思います。

−おわり−


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