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なぜ、君は何かを学ぼうとするの?

君は、勉強が好きですか?

私は大好きです。
好きだと言い切ってしまうと、「じゃあそれだけの知識や技量があるのだろう」と言われてしまうのが怖いから、君は勉強が好きだとは表立って言わないかもしれない。でも、好きでしょう。でなければ、こんな文章を読むはずはないですからね(ありがとう。

電車に乗ると、いつも思います。スマホを眺めている人の大半はKindleで本を読んでいる訳でも、動画教材で勉強をしている訳でもない。ネクタイ締めた企業戦士たちも大抵は、ゲームをしていたりする。それもまた仕方がないのかなと思いつつ、良くも悪くも私たち、君も僕も少数派なんだろうなって思うんです。

でも、なぜ勉強をするんだろう。

「なぜ」
それはいつだって、大切な問いです。

色々な理由があると思います。将来が不安で、もっと勉強して自分を高めたい。知識を高めて、技量を高めて、困っている人の役に立ちたい。何者でもない自分が何者かになりたい。お金をたくさん稼ぎたい。数えきれない理由が、君の中に浮かぶかもしれないです。私にも、いくつかの理由があります。

気を付けて欲しいことは、今朝、ゲームをしながら前を見ずに歩くサラリーマンが私の目の前に真っ直ぐ進んできて、半ばうんざり、呆れ顔で見ながら避けた私が言うのも何なのですが。でも、別に勉強は高尚でも高貴なことでもないということ。他人の陰口を言いながら井戸端会議している人たちや、パチンコなどに夢中になっている人たちよりは多少マシかもしれないですけれど。でも、選民意識のようなもの。自分は勉強をしていて、目の前の上司は呑みにばかり行って、麻雀ばかりして愚かであるというような。そういう考えにならないように、くれぐれも気をつけておいて欲しいんです。

今から15年ぐらい前の私、サラリーマン時代の私はそういう人間でした。そういう発想は一時的な避難所、逃避にはなるかもしれないけれど、悲惨な末路に向かっていきます。知識を鉄の鎧にしないように、本当に気をつけて欲しいんです。何かを学ぶ行為は、周りの人がしている余暇の過ごし方と何も変わりません。ごく普通の趣味みたいなものなのです。

歪んだコンプレックスの持ち主の中には、極端なまでに知識を身につけることで自分が優秀な人間であると鎧を強固なものにしてしまう人がいます。せっかく身につけた知識が台無しです。少し距離がある時は本当に憧れるような素敵な人なのに、近くにいくと...という富士山みたいな人にならないようにしてください(富士山は遠くから愛でると美しいのに、登山すると空き缶やゴミだらけっていう比喩です)。君がそうなってしまわないように、そういう人に回収されてしまわないように。そんなことを思いながら、この文章を書いています。知識がある人を見上げてしまわないように。それは知識がない人を見下すことと同意義だから。人は皆、等価値なのですから。

そして、私が伝えるテクニックや哲学、ボディワークを鉄の鎧にはして欲しくないと強く思います。より君をしなやかにするもの、君が反対に鎧が必要ではないことに気づくものとして機能することを切に願っています。私も今もこれからも、そういう気分で勉強することを続けていきます。

知識や学ぶ行為が、君を重たくしないように願っています。


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