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頭でっかちの呪い
過去の君が小さな子供だった頃。
床にあるボールを手に取って、投げる。
なんの目的も意図もあるのかないのか、無邪気に投げる君。
その刹那を親が微笑ましく見守っていたなんていう、そんな日がきっとあったはず。その時、親は何を思っていたのだろう。
「なんてヒドいフォームだ」と思ったり、あるいは砲丸投げの選手にするより野球選手にした方が稼ぎが良さそうだと算盤を弾いたりしたでしょうか。まあ親なんて、どうでもいいですね。
何より、子供の頃の君自身は何を思っていたのだろう。
子供の頃、ロボットに乗ったヒーローに憧れた人もいるかもしれない。「自分は文系だからとか理系だから」とか、自分の適性診断なんてしただろうか。それをはじめるメリットや効果。自分に一体どういうプラスがあるのかなんて、子供の君は考えもしなかった。
好奇心で動いてた子供の頃の君。
打算的でなく、純粋。
それが子供の頃の君という、尊い存在。今ももちろん尊いんだけれど、今の君は損得勘定でするしないを考えてしまう場面が増えてしまった。
もちろん、日々の生活があるからね。お金がかかることなら、確かに仕方がないかもしれない。でも、目を閉じて坐禅を組むだけの瞑想、腰が痛かったり股関節が硬ければ、別に椅子に座るだけでも構わない。お金は1円もかからない。そして、すぐに取り組めることなのに。でも「どういうメリットが瞑想にあるのか。瞑想を続けるとどうなるのか」なんて、聞いてしまう君。子供の頃の君は、肩周りの筋肉がついて女性にモテるからドッヂボールをはじめるなんて、決して言わなかった。面白い本を見つけて夢中で読んでいた君は、本を読み続けてるとどういうメリットがあるのかなんて、図書館の人に尋ねはしなかった。
でも、今の君はどうだろう。芝生の上であれば、マット1枚必要ないかもしれないのにピラティスの向き不向き、得られる効果、続けている芸能人について調べてしまったりする。別に責めている訳じゃないんです。
でもね。気になるなら、やってみたらいいじゃないか。嫌なら止めたらいいじゃないか。子供の頃の君みたいに、無邪気にはじめたらいいじゃないか。
頭でっかちの君から、子供の頃の君に戻るには身体に目をむけるしかないと、私はそう確信しています。頭と心の距離と、身体と心の距離と。どっちが近いのかって、それはもう身体でしょうと。頭でっかちの成れの果てである鬱になって何年も引きこもって、家から一歩も出ずに考え続けた私は知っています。
あの頃の私は純粋さ、無邪気さを失くしてしまっていました。倦怠感の鎧に身を包み、知恵の輪のように同じことをずっと考え続けて、何一つ行動を起こさなかった。起こせなかった。もう失くしたものは取り戻せないのかと思ったけれど、あんなに醜悪だった私でも取り戻せたのです。身体の声を聞くこと、たった1つの動き、たった1回のレッスン、たった1回のセッションの変化に感動して。あの日の私は、そうやって頭でっかちの呪いから解放されたのです。
本当に上質な体験をすれば、きっと君の呪いも解けるはず。だから、君に会いたい。そう、思ってやまないのです。
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