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どこで働くのか、居場所について

仕事と休暇を兼ねて、沖縄に来ています(Workationと言うそうです)。土地の持つエネルギーが合うようで、必ず沖縄には行くようにしています。

今回は、ヨガやピラティスに限らない話ですが、「お店をどこに出すのか」「どこで活動するのか」であったり「どこで暮らすのか」といった場・居場所について書いていきます。

なぜそんな話をセラピストの私が書くのかというと、「自分という存在を空間のどこに配置するのか」は人間が快適に生きていく上で重要な能力(身体知)だからです。自分の筋肉や関節・内臓の状態(皮膚の内側)が感じられることも大切ですが、自分が空間上のどこ(皮膚の外側)に存在していると快適なのかが感じられることも同様に大切だからです。

沖縄には独特のコーヒー文化があり、サードウェーブ系のお洒落なお店から老舗の専門店までたくさんあります。いろいろなお店に行くと、生活で性格が変わるものであることを再認識させられます。場によって、作られる自分があるということです。もちろん反対もあり、性格によってその生活を引き寄せている部分もあります。どちらにせよ、自分が気持ちよく日々を過ごす上で向き合うべき事柄だと思います。木々が伸びやかに、健やかに育つには陽当たりや土壌が大切であることと同じです。

観光客がもっとも多いエリアに、有名なコーヒー屋さんがあります(上の写真とはまた別のお店です)。店主はいかにも自分は世俗から離れた個性的な存在であるという自己主張を、見た目から発しています。ある日に行くと観光客で溢れていて、彼のご機嫌は斜めのようでした。腕を磨いて淹れたコーヒーの価値もわからないような客が、雑誌や食べログなどから訪れて、コーヒーを味わうこともなくおしゃべりをしていることが不快なようです。写真撮影禁止と書いているのに撮影した人は追い出されていきました。「スマホ使用は最低限に」と書かれていて、iPadを触っている観光客は睨まれていました。息苦しく僕は感じるものの怒られた客以外は、変わらずおしゃべりをしています。「確かにそれなりに美味しいけれど、なんだかな」と思って、私は店を出ました。

それが数年前のことになります。「もし混雑していなかったら彼はどんな感じなのだろう」という興味がふと湧き、一昨日、再訪してみました。

店内は誰もいなくて、私一人となりました。店主の空間をできるだけ壊さないように私になり考えて、注文を済ませ、席に座りました。15分ほど経つと、視界には入らないものの、(壁越しの)謎のプレッシャーを店主から感じるようになりました。気分的にぼんやり出来なくなったので、禁止はされていなさそうな手帳を広げて書き物をはじめました。それからまた、15分ほど過ぎると、「長居はお断りしていますので...」と店主。お店のオリジナルステッカーやマグカップなどが売られていることと、彼の人間嫌いのコントラストが少し滑稽で、でもどちらかというと気の毒に感じながら店を出ました。

セラピスト、ボディワーカーの多くは社会や組織でうまくやれない人が選択するお仕事です。だけれど、社会とは関わり合いたい。でも、自分を擦り減らしたくはない。良い按配(塩梅)を見つける必要がある仕事です。コーヒー屋さんと職業の性質上、私のようなセラピストと少なからず似ています。

コーヒー屋の店主のことを想うと、たくさんの観光客に削られてしまって、傷ついているように感じられます。悪い人にタバコを押し付けられて、人間不信になった猫のようです。ある意味で被害者です。有名店だから雑誌には今後も取り上げられるでしょう。そういうものが無くなれば生活も苦しくなるし、店主の選民意識を満たすものなので、店主は取材を受けるでしょう。でもそれによって、失礼な人がたくさん訪れて、きっとより苦しくなってしまいます。

多少極端な見立てですが、あきらかな悪循環が起きています。だからといって、世捨て人のように誰も人が来なさそうな辺鄙なところにお店を出すのもどうかと思います。お店をどこに出すのかという問題はマーケティングに感じるかもしれませんし、その要素も確かにあります。ですが、私は身体感覚だと捉えています。そろばんを弾いて出店すると、こういう悪循環が起こる可能性があるのです。空間認識能力という「自分をどこに位置すれば快適なのか」を感じ取ることができれば、良い居場所を見つけることができます。こういう苦しみは味わう必要がなくなります。

これは能力ですから、開発していくことが可能です。社会で息苦しさを感じている人は、ベッドやマットの上で仰向けになるだけでも斜めになっていたり、頭がはみ出していたりします。ベッドやマットという小さな世界でも、上手に自分を配置できなくなってしまっているのです。身体知が生活の中で削られてしまっていて、GPS機能が壊れたような状態が続いているのです。

繰り返しになりますが、能力ですから必ず向上するものです。回復することが可能なのです。世界や社会、会社といった組織という大きな枠組みからではなく、もっと小さな世界。自分の身体、そしてベッドやマットという小さな世界での位置どりから目を向けていくとよいでしょう。そこで、何かに気づくはずです。気づき(アウェアネス)によって、私たちは変化変容(成長、回復)をしていきます。空間認識能力が回復すると、誰でも居場所は自然と見つけられるようになるのです。


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