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生き生きと生活するために意識すること

瞑想の先生であるニーラジャ師から教わったことのいくつかを、久しぶりに振り返っていました。

生き生きと生活するには

「ゆっくりと着実なペースで進み、何事も深く悩まず、ただ足下だけに気をつけて、無理に将来を予測しなければ、生き生きと生活できる。」

「コロナの第2波は来るのだろうか」など、未来について予測をしはじめた時に私たちの身体は硬直し始めます。予測をしている限りは、生き生きと過ごすことはできません。予測するなら集中しておこない、それを書き出しましょう。社会情勢が変化することがない限り、その予測を土台にして足下だけに気を配るように切り替える必要があります。焦らず、ゆっくり着実さを取り戻していくことで生き生きとした自分が回復するはずです。

自分を柔らかくすること

①鋭敏であること
②オープンであること
③受容的であること

この3つが自分を柔らかくする、とニーラジャ師はおっしゃっていました。「頑な(かたくな)な人」をイメージすると、わかりやすいと思います。「頭でっかちな人」「頑固な人」「自己中心的な人」でも同じかもしれません。

「鋭敏であること」とは、他人や自分の感情への観察、自分自身の身体感覚に対しての繊細さとも言えます。メンヘラ気質が高くなると、この辺りが鈍くなります。身体的に言えば、肩が凝っていても、肩こりを感じない状態です。心理的に言えば、相手に迷惑をかけていても、自分が被害者的な感覚を持ってしまっているような状態です。

「オープンであること」とは、閉じていないということです。友達付き合いや恋愛などで都合が悪くなると、すぐにシャッターを閉めて、心を閉ざす人がいます。わかり合おうとするには勇気が必要ですが、そこから逃げてしまうのです。思いこみを失くせばなくすほど、心理的な緊張や身体的な緊張を取り除くほど、私たちはオープンになることができます。子供の頃は、誰もがオープンだったのです。

「受容的であること」とは、話し手ではなく聞き手であること。出し手ではなく、受け手であるということです。関わる多くの人たち、あるいは家族だったり近しい相手を柔らかく包み込むように、接することができるようになりたいものです。すぐに相手を(たとえ心の中であっても)責めてしまう、攻撃的である人、被害者意識の強い人は気をつけてください。

真実の自由を手に入れる

スピリティアリティには、自分と他人を傷つけないという道徳がある。真実の自由は、あなたがすべきことをすること。あなたがするべきことをしていると、柔らかく、美しくなる。

今朝は車で移動しながら、タイム・ヴァンパイアという他人の時間を奪う吸血鬼という話をしているオーディオブックを聞いていました。日本では、時泥棒と言ったりもします。本来するべきことができていない時、あるいは見つかっていない時、他人の時間を奪ったり、自分や他人を消耗させるようになる人がいます。

お恥ずかしながら、サラリーマン時代の私がそうで、同僚から注意されたことがありました。当時は将来に希望が持てず、エネルギーを持て余していました。気づかない間に、他人に依(よ)りかかっていたのです。自分自身が自由でないとき、私たちは他人に依りかかる(他人を不自由にさせる)性質があるようです。私の場合、ピラティスやボディワークとの出合いがきっかけで抜け出すことができましたが、あなたがすべきことをすることをしていると自立的(自律的)に社会や他人と関わっていくことができるようになります。客観的に判断ができない場合は、ピラティスのロールアップ動作で確認することができます。しなやかさに動けていると真実の自由さが手に入れられていると判断できます。

ちなみに、「自分と他人を傷つけないように」という考えは「私は傷ついている」と既に自覚的な人は、あまり意識しない方がいいかもしれません。「私は傷ついている(傷つけられている)」と意識し過ぎていることで、心身を硬直させてしまっているケースが多いからです。結局、自分も他人もつながっていて同じなので、「他人を傷つけないように」とだけ意識していれば、結果的に自分も他人も傷つかなくて済みます。

まとめ

昨今の世の中はとても不安定です。軸を保つことが困難で、不安や恐れのエネルギーが大きくなっています。人との別れや決別、問題が起こりやすい時期です。私が大切にしている生き方の指針を今日は紹介しました。「お前ができてへんやん」という突っ込みは勘弁してください。心がけていることとできていることは、また違いますからね。何がしら読んでくださった方の参考になっていると嬉しいです。

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