前川との思い出

学生時代、前川という友達がいました。

前川との学生時代

ぼくは親友だとある時期まで思っていたので、彼もそう思っていただろうと思います。前川は自分の通っている学校で馴染めなかったらしく、共通の友達を介して知り合いました。彼は同じ学年でしたが、1年留年していました。私学だと高校でもそういうことがあるのですが、その理由を父親が焼身自殺したからだと、少し仲良くなってから教えてくれました。

同じ学年だけれど、1つ年齢は年上の前川。

彼は、僕の知らない世界を彼は色々と知っていました。水割りを作ってくれる系の大人が行くスナック、ラウンジにはじめて連れていってくれたのも前川でした。よく一緒に遊んだり、ヤンチャな日々を過ごしました。心斎橋で女の子達と騒いでいたら、ボクシングの井岡のお父さんと叔父さん(元世界チャンピオンの)に睨まれて喧嘩になりそうになったこともありました。逃げたけれど。覚えている範囲でも書けることと書けないこと、たくさんあります。

前川は当時付き合っていた彼女に、高価なスポーツカー(フェアレディZを新車で)をプレゼントしてもらっていたり、ちょっとぼくには理解できない無茶をすることもありました。それを咎めると、「たいちゃん(ぼくのこと)は親に車を買ってもらえるけれど、俺は...」と言われて、それ以上は何も言えませんでした。いつも割り勘だったし、お金を貸したことは一度もなかったけれど、お金に対しての独特の執着がありました。

ある種の危うさがある前川。それでも僕には優しく、失恋した時には相談に乗ってくれたり、特別な親友でした。

前川が家に泊まりに来ていたある晩、彼は自分がバイセクシャルだと告白をしてきました。ぼくは裏返ったような声で「そうなんだ、俺らは友達だし関係ないよ」とかそんなことを返事した気がします。でも、その日は眠れませんでした。彼は男性が好きなのに、ぼくとコンパに行ったり、色々な女子大生たちと遊んだり、あれはなんだったんだろうと。ぼくと友達でいる為に、無理をしたんじゃないかとか考えてしまったのです。

前川との友達関係は、徐々にぎこちなくなります。特に大きな喧嘩があった訳でもなく、なんとなくお互い連絡を取らなくなっていって、疎遠になりました。

前川との再会

地元の駅近くで、前川と再会したのは20代後半のある日のことでした。ぼくは20代前半で起業に失敗し、その当時はまだ病んでいる最中。うつ病の無職でした。

前川と少し立ち話。彼は産廃の施設で管理職をしている、と。「働いている人間はバカばかりで、蹴っ飛ばしていたら月収100万円なんだ」と話してくれました。うつ病を患ったことがある人、メンヘラと呼ばれるカテゴリーにいる人はわかるかもしれませんが、こういう話を聞き流せなくて自分の価値観を押し付けてしまう部分が当時のぼくにはありました。

「前ちゃんさあ、それでええんか。俺はやりたいことをやって失敗して、今はうつ病患者や。そやけど、また俺はやりたいことを見つけて、それで生きていく。前ちゃん、産廃で働いている人たちに失礼やし、イケてないで」

彼は少し笑って、「ふーん」といった感じ。適当に流されて、連絡先を交換して別れます。

理髪店を介しての前川

どういう経緯だったか忘れましたが、その後も前川と遊んだりすることはなかったにも関わらず、ぼくは気に入っていた理髪店を彼に紹介をします。レゲエ好きのおじちゃんが、気ままにやっている理髪店。関西ローカルのファッション雑誌に出ているのを見て、ぼくは気に入って通っていました。

前川とは引き続き会うこともなく、理髪店のおっちゃんを介して前川の話を聞いていました。

「前川くんは良い子やなあ」

いつも見るからにヤンチャそうな、レゲエ好きのおじちゃんは言っていました。

Facebookで検索して

その理髪店にも行かなくなり、ぼくも再就職して、それから今につながるトレーナーの勉強などをはじめて、前川のことを忘れていました。かつては親友だったから時折思い出したりもしたものの、ぼくはぼくに、ぼくの人生に必死でした。

少し、ほんの少し余裕が出来たとある日。

なんとなく淋しくなって、懐かしくなって、前川のことを思い出しました。今なら、俺も少しはマシな人間になっているし、仲良くやれるんじゃないか。そんなことを思って、彼の名前をFacebookのボックスに入れて検索ボタンを押しました。

彼は、自殺していました。

後から聞いた前川

彼が自殺したことが、彼の彼氏の投稿で書かれていました。彼のFacebookは驚くことの連続で、彼はぼくの知っている彼ではなくなっていました。細かった彼は、ベストボディなどの大会に出ていてもおかしくないぐらい筋肉隆々になっていました。そして、エナメル素材の黒い服を着ていて(お笑い芸人のHGみたいな格好)、ステージの上で踊っていたりする写真が投稿されていました。ゲイの夜の世界で、彼は人気者になっていたようでした。

彼が自殺した時に付き合っていた彼氏は、前川にポルシェをプレゼントしていたり随分と尽くしていたようでした。浮気もされたり、結構大変だったみたいです。それでも幸せだったといったことが追悼の投稿として書かれていました。

衝動的に、前川の生前の彼氏にメッセージを送りました。

「学生時代、友人だったこと」「彼がバイセクシャルだと告白してきて、戸惑ってしまったこと」「当時のぼくがバイセクシャルとゲイの区別もついていないぐらい無知だったこと」「再会したあと、産廃で働く彼に叱責したこと」...

彼氏からの返事で、どうもぼくの叱責がきっかけで、彼は産廃での仕事を辞めてゲイのダンサーとして活動しはじめたのではないかといった話になりました。

メンタルの病んでいたぼくが衝動的に言った言葉で、彼は彼らしさを社会に表現できる道を選んだのかもしれない。でも、フェアレディZを彼女に貢がせていた前川は、最後、ポルシェを彼氏に貢がせていたのかとか。焼身自殺をした父親、そして死に方はわからないけれど、同じように前川も自殺したのかとか。やっぱり、バイセクシャルではなくてゲイだったんだろう。ぼくと友達でいたかったから、無理に女性と一緒に遊んだりしてたんじゃないか、やはり。

頭の中をさまざま、彼との記憶、感情が駆け巡りました。

台湾ラーメン

今でも整理できているようないないような、前川との思い出。彼が紹介してくれた台湾ラーメンを昼に、意図せず食べることになって書いています。

今の今。

彼の名前を検索すると、すべて消えていました。

google検索しても同様です。彼という人間がまるで存在していなかったかのように、綺麗に消えています。

ぼくの中では美化されることもなく、整理されることのないまま、消えることがないのだけれど。インターネットという世界では彼という存在は、綺麗に消えています。それでいいのかもしれない、それがいいのかもしれない。

どうか、安らかに。

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