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Fuck Up Nightsでお話したこととその補足

Fuckup Nights Tokyoのスピーチさせて頂いた内容を振り返りつつ、整理し直して書き出しておきます。たくさんの方からメッセージを頂きました。自分自身の失敗談(俗に言う黒歴史)を伝えることが多くの人の勇気や、何がしらポジティブなエネルギーに繋がる。良かったな、と思いました。観てくださった方、ありがとうございます。

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「身体に基づいた心理学者」

身体やこころを健康にする仕事をしていること。43歳で30代からこの仕事をはじめたこと。今は2度目の起業であること。そんなことをお伝えしました。

何かを始める際に「人生の残り時間」「年齢」を考えて諦める人も少なくありません。実際に人が成長するのに必要なのは年数ではなく、質(密度)だと思います。

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最初の起業

1500万円の借金を24歳のときにして、カフェを出した話をしました。周囲は反対していました。当時の私は聞く耳を持っていませんでした。起業しないと身がもたない。「やるしかないんだ」と、止むに止まれない心理状態でした。

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スターバックス時代

大学を卒業して、就職した会社がスターバックスでした。当時は人気企業で、新卒採用をはじめて間もない頃です。新卒研修でもみんなの前で決意表明をしたり、それなりに期待されていた気がします。

でも、入社してすぐに問題社員という立ち位置になっていきます。頑張れば頑張るほど空回り、居場所がなくなっていく。そんな感じでした。同期入社の人たちよりも低い評価になったり、焦りや苛立ちを抱えていました。単純に、自己評価が高すぎた(勘違いしていた)のです。それが悪循環をさらにもたらします。

「会社が認めてくれないのなら、自分が自分を認めてやる」というよくわからない衝動での起業だったのです。

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失敗

大阪の箕面市にカフェを出しました。見事に失敗します。真向かいのカフェは満席なのに、自分のカフェは「店ゼロ(客が一人もいないこと)」だったこともよくありました。スターバックスの真似をすればうまくいくだろうと考えていた、スタッフ教育もうまくいきませんでした。スターバックスで落ちこぼれだった自分が、独立してできるはずもないのです。そんなことにも、当時の自分は気づいていませんでした。

日常的に突如嘔吐をするようになったり、身体は悲鳴をあげはじめます。体重は46キロまで落ちました。身体からのサインをそれでも、無視し続けます。

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そして、鬱に

ある日、ベッドから出勤するために起き上がろうとしたものの、起き上がれませんでした。「何かが終わった」と、その時に思いました。

あまりにも痩せこけていたので、さまざまな病気を疑われて診察を受けましたが、最終的には神経科に回されました。結果、自律神経失調症(鬱、鬱病、鬱症状、心身症)という診断を受けます。

便座が持ち上げられないなど、大変でした。さまざまな薬を飲みました。薬が合ったと思ったことは、結局一度もありませんでした。副作用で70キロを超えるぐらいに一気に体重が増えたり、眠くて眠くてたまらなかったり、頭痛がしたり、副作用ばかり気になりました。

20代という人生におけるとても重要な時期を、鬱で潰してしまっていることに絶望していました。同世代が結婚したり、管理職になったり、社会での立場を変えていきます。私といえば、ヤフーチャットというダメ人間の巣窟みたいなネットの世界に生きていました。出口が見えず、悲惨でした。

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顎関節症から学んだこと

ある時期から、顎(あご)の痛みにも悩み始めます。「ちょっと痛いな」ぐらいだったのが、眠れないほどの痛みになっていきました。学生時代の先輩に紹介されて、玄武堂鍼灸治療院の橋本先生に診てもらうことになりました。

顎が痛いのに、先生は(足首から先の)足に鍼をさしました。そして、寝ておくように言われます。気づいたら眠ってしまっていて、10分,20分の時間が過ぎて、鍼を抜かれます。そして、顎の痛みがあるのか質問をされました。

質問をされて、顎が痛くなくなっていることに気づきました。とても感動しました。何年も薬を飲んで、カウンセリングを受けて、病院に通い続けてもまったく改善の兆しはなかった鬱病の治療。それに対して、足に鍼をさして、1時間弱で顎の痛みが消え去っていること。何が起きているのか、ととても驚いたのです。

「先生は、神ですか」みたいな。そんな状態でした。「顎なのに足」という身体の不思議さに感動しました。そして、私にとっての奇跡を当たり前のようにしている先生にも感動しました。

さらに、顎の痛みから解放された自分が、うつになっている感情(怒り、苛立ち、我慢、悲しみ)からも同時に解放されていることに何よりも感動しました。現在の自分を構成する原体験だった気がします。

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そして、ボディワーカーへ

この経験のあと、社会復帰を目指して就職活動をはじめます。なんとか再就職もできました。その後、ピラティスと出会い、ロルフィングにも出会います。エド・モーピン博士にピラティスとロルフィングを組み合わせた独自のメソッドを作るように提案されて、現在に至ります。

今も紆余曲折あります。順風満帆という訳には、なかなかいきません。それでも、あの頃とは違って、随分と自分らしく、それなりに快適に生きていくことができるようになりました。

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20代の頃の価値観

努力をすれば報われる。誰々に負けたくない、あるいは誰々みたいになりたい。そういう比較の世界に、20代の頃は生きていました。他人を見上げる人は、必ず他人を見下す人です。私はそんな人間でした。そういう価値観にどっぷりと浸かっていました。

最初の起業は大失敗でした。頑張ったにも関わらず、です。努力したのに報われなかったのです。周囲からすると、私の努力は迷惑だったり、空回りにしか映らなかったかもしれません。自分勝手で、自分の成功ばかり考えて、夢見ていました。頑張り方を間違えていたのです。

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現在の価値観

自分の思考(考えること)を頼りにしなくなりました。20代のあの頃。あれだけ考えて、失敗したのですから。「足りない頭で考えても、意味がないな」と思ったのです。

自分の思考ではなく、自分の身体・身体の感覚を頼りにすることにしました。立ったときに床との関係性が希薄になっているのであれば、「地に足つかない」心理状態になっています。サインは出ているのです。肩の位置が普段よりも高くなっていて、硬さや違和感を感じるのであれば、「怒り肩」自分や他人に怒ってしまっているのかもしれません。偏頭痛だって、わかりやすいサインです。

薬を飲んで痛みから逃れようというのは、泣き叫んでいる子供の口を無理やり大人が手で押さえつけて、それでデパートで買い物しているようなそんな感じなのです。自分が自分にそれをしているのです。

そういうことを止めようと。身体の声を聞き、それを優先しようと。そういう生き方を、今はしています。自分らしさに欠けた、何か道をはずれはじめると、身体はサインを必ず出しているのです。

「自分を信じよう」と言ったりします。でも、具体的に自分の何を信じればいいのでしょうか。昔は漠然と「自分を信じよう(信じたい)」と、そう思っていました。耳障りは良いし、やる気になる言葉でもあります。今の私はもう少し具体的に「自分の身体・身体感覚を信じよう」と。そんなことを思って、生きています。

それが、過去の失敗から学んだこと。私がシェアしたい失敗談でした。

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