養成コース、初日
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石のような目をしたクライアント
「彼からの提案」の続きを話していきます。ご両親のどちらも自殺したことで石のような目になってしまった彼の話。感情・感覚を失くしてしまった彼が私のセッションを経て、少しずつ彼らしさを取り戻していきます。
初回セッション前の会話の中、父親の自殺を話してくれた彼に「○○さんもお母さんもお辛かったですね」と聞いてしまうほど浅はかだった私。「母もその後、自殺をしました」と石のような目で淡々と話す彼に、気が遠くなったあの日のことを臨場感をもって今も思い返すことができます。ただ同時に、随分と遠い過去だという気もします。あの日の私は私であって、でももう私でもないような不思議な感覚です。
とても青く、未熟でした。今もたいした人間ではないですが、随分と教えられ、成長させてもらいました。
彼の抱えた心の闇は過去に出会ったことのないレベルで、医師や当時の友人カウンセラー含め、誰もが「手に負えない」と皆が見放していました。それでも私は私自身が傷つき壊れる危険性を感じつつも、彼と向き合う決意をします。綱渡りのような関係から始まり、セラピストとしての役割をかろうじて務め、彼の氷のような心は少しずつ溶ける兆しを見せ始めました。
そして、彼はピラティスの資格養成コースの参加を私に伝えたことを、前回お話しました。
恍惚と不安、2つ我あり
彼から「ピラティストレーナーになりたい」という申し出を受ける前の私には、セラピストとしての恍惚がありました。他人の役に立っているのだというのは、大きな報酬です。
申し出を受けた後、不安が強くよぎったことは前回お話ししたとおりです。「わかりました」と引き受けた後も、その不安は波のように満ちては引き、私の中で繰り返しました。
人と人とが繋がり合う。相手を傷つけず、関わり合い続けられるのか。どんな関係だって、それが問われます。誰かを好きになったら、その相手を幸せにできるのだろうかと。傷つけず、関わり合えるだろうかと考えるのがセラピスト的思考です。友達関係、恋人関係、親子関係、どんな関係だってそうです。
セラピストとしてどうにか彼と向き合い、彼を癒すことが出来始めている。役に立てている。機能している。でも、講師・教師として。先生として彼にピラティスを伝えることができるだろうか。傷つけず、役目を務めることができるだろうか。
ヨガやピラティスの振り付けを教えるのは簡単です。その程度のコースなら、巷に溢れています。ただ、私から学びたいという人の大半はそういう表面的なものを求めている訳ではないのです。より本質的であり、人生の根幹に触れる可能性があるものを彼に伝えることができるのだろうか。そんな問いを反芻し続けていました。
でも、私は引き受けたのです。彼の人生、その続き、次の章に出会いたかったのです。人間の可能性を体験してかったのです。
それが絶望と双子の兄弟だったとしても。
養成コース初日前夜
資格団体をエドモーピン博士に助言され、立ち上げてから何年も経ちますが、今も(そしてこれからも)初日はいつも独特の緊張感があります。石のような目を持つ彼がいたことで、この回はいつもにも増して、私は緊張していました。セラピストとして、講師・教師として。何より、人間としての器量が試されているのです。
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