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成長を感じられない君へ

木々が空に手を伸ばすように、私たちが成長を望むことは自然な感情です。「自己成長」「成長志向」といった言葉は少し気恥ずかしいと君は感じるかもしれないけれど、でも素直になってみてください。それが経済的な成長なのか、感情的な人格としての成長なのか、あるいは身体的なものか。その中身についてはわからないですが、君はきっと「より良くなりたい」と成長を望んでいるはずです。

今回のnoteは「自分は日々成長を実感している」という人は読んでも時間の無駄になってしまうかもしれません。「今、順調に自分は伸びている(成長している)」というのであれば、いつかそう感じられなくなってしまった日に、このnoteを思い出して読んでほしい。あのイチローにだってスランプはあったのですから、君にもいつかそういう日が来るかもしれない。その時の君に寄り添えたら、何より嬉しく思います。

さて、noteを書き進めます。

そもそも努力をしているか?

君がもし成長したいと思う分野で、もし仮になんの努力も怠っているのなら「自分は成長している」とはなかなか実感するのは難しいでしょう。努力しなくても成長できる神からの恩恵のような時間。確かに成長期は存在するかもしれませんが、やはり永く成長し続けるには努力は欠かせません。だから、努力はきっとしなきゃならないはずです。

でも、私のメンターは昔こんなことを教えてくれました。

「人は皆、最善の努力をしている」

「努力をしていない人は、この世に存在しないこと」を、メンターは教えてくれました。私は私の最善を、君は君の最善を、君の好きなあの人はあの人の最善を。君の嫌いなあの人もあの人なりの最善を。そう、みんな努力はしているのです。きっと。

話を戻します。だから君は「自分を努力をしていない」と思うかもしれないけれど、確かにある部分に関してはそうなのかしないけれど。でも、君は努力をしている。「人は皆、最善の努力をしている」のだから、例外なく君だってそうなのです。

間違いなく君は頑張っていて、最善を尽くしている。私は確信を持って、そう思うのです。

成長を感じたことはありますか?

ところで、これまで生きてきて、「成長をありありと感じられたこと」はありますか。「ああ、まさにこの瞬間、この一瞬一瞬、自分は成長している」といった具合に、リアルタイムで成長を実感できたことはありますか。

ドラゴンボールの登場人物でもなければ、そんな感覚を得られたという人はいないのではないでしょうか。髪の毛と同じです。子供の発育発達、身長の伸び方と同じです。「たった今、髪の毛が伸びている」なんて、私たちは感じることはできないのです。2週間だったり1ヶ月だったり、ある一定の時間が経って、私たちは「髪の毛が伸びてきたな。髪を切らなきゃ」と思うのです。

成長は、リアルタイムに感じることのできない感覚です。ある一定の時間が経過して、振り返ってそう感じるものなのです。山登りを続けて、ある時に立ち止まって、振り返る。

「ああ、随分と高いところまで登ってきたんだな」

立ち止まって、振り返らない限り、この感覚は得られないのです。つまり、今まさに君が努力をしている最中なら、山登りしている真っ只中なのであれば、成長を感じることはできなくて当たり前なのです。

君がもし成長が感じられないと焦っているのなら、今まさに自分は山登りの最中で、努力をしているからこそ感じられなくて当然だと捉え直してみてください。将棋の名人が、メジャーリーグで活躍する選手が、試合中に「ああ、自分は成長している」なんて思うでしょうか。そんな感覚はせめて試合を終えてから、否、引退してから味わえばいいのかもしれません。今まさに頑張っているから、感じられないということは良いことなのだと考え直して欲しいのです。

成長は実感しなくてもいい

自分を感じることが大切であるとボディワーカーとして、心身の健康に関わるスペシャリストとしてお伝えしてきましたが、感じることと評価することはまったく違うのです。「成長をしているかどうか」というのは、自分を感じているのではないのです。それは、評価しているだけなのです。君は十分に頑張っていて、成長しているはずです。それを実感できる日は、今ではない。ただ、それだけなのです。君が君を評価するのは、もう少し先でもいいじゃないですか。私は君が自分は成長したとウットリしている姿よりも、成長しているかどうか気にせずに、黙々と汗をかきながら山登りをする姿をより素敵だなと思います。君は君の目指したあの山を、君らしく君のペースで登っていくべきなのです。

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