エンターテインメント宗教、妻や旦那がオタクになったらどうしますか?

こんにちわ。ぴくむんです。

私は、

小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」

研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」

ことに対して疑問を覚えていました。そこで、

国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。

この記事では、「もっと役に立つ学問」の一歩として、オタクにフォーカスを当て、エンターテインメント宗教化問題を提唱し、宗教対立を身近に感じて欲しいと思います。

それではよろしくお願いします。

以下、本文。

世の中には、オタクと呼ばれる人たちがいる。アイドルオタク、ジャニーズオタク、アニメオタクなど様々な人がいる。オタクは、好きな作品やアイドルから元気やエネルギーをもらっているらしい。

そこで話を終わらせてもいいのだが、私としてはまだ思うところがある。ジャニオタのSNSで以下の様な画像が存在する。

【画像】ジャニーズのライブである「宗教みたいな儀式」マジで引くわ
https://sakamobi.com/news/johnnys-shukyomitai

これは、ジャニオタのライブ前の写真だが、真ん中に推し(担当)の団扇を並べてみんなで崇拝している様子である。ここまでくればわかるが、もはやこれは宗教である。

宗教とは、自分なりに言い換えると何かと心を一体化させ、その一体化した対象からエネルギーをもらうために、お祈りをする行為やそれに準ずる行為をさせるコンテンツである。

それは、何かを好きになる行為の延長上にあると私は思っている。好きになるということは、心を寄せるということになり、その好きが加速すると、心と対象が一体化してしまう。
元に人は自分の好きな推し(担当)や作品が悪く言われていると、なぜか悲しくなったり怒ったりして、褒められていると嬉しくなる。本来推し(担当)や作品というのは、自分の人生と全く関係ないのに、その様な感情を持ってしまう。それは、心と対象が一体化した故に起こる現象だろう。(岡田斗司夫はその事について、オーバーロードに寄生されると表現している。)

我々日本人は宗教を敬遠しているため、その様な心を寄せるコンテンツに触れ合う機会はない。だからこそ、日本人は、心の拠り所としてアニメやアイドル文化が発展しやすいのだろう。昭和のアイドルを見ればわかるが、一人の女の子を担ぎ上げ、みんなで崇拝していた。これはまるで、人間を神化させる様な行為にも見える。

 そんな日本の状況でふと周りを見渡すと、インターネット上では、アニオタvsフェミニストという争いが存在する。アニオタは可愛い女の子を見てヒーヒー言っているのに対して、フェミニストはそれを見て女性の性的消費はやめろとヒーヒー言っている。

これを見て大変だなぁと思うところで終わらずに、上記の宗教という視点で見るとこれは、一種の宗教対立として見るとことができるだろう。
アニオタは女の子を神として崇拝し、フェミニストは性の開放という教義を信仰しており、この二つは同時には成り立たない。だからこそ、フェミニストは規制をかけろと声を上げ、アニオタは表現の自由を奪うなと主張する。
我々現代人は、宗教戦争というものに対して全く興味がなかった。それは宗教というものを遠ざけてきたからである。しかし、それは作品規制という形で現代にあふれてきた。

 そんなことを考えネットサーフィンしていると「ジャニオタ嫁は無理。それは浮気と一緒。本当にやめて1」という記事に出会した。この記事は嫁がジャニオタになり、その旦那の心境を赤裸々に書き起こした内容である。まるで、嫁がジャニーズという名の新興宗教にハマってしまった様にも見える。逆バーションで、旦那がドルオタに目覚めるパターンもある。これもググれば、出てくる。

異性にハマるという分かり難さもあるが、問題がおきた原因は自分の配偶者が自分以外のコンテンツに心を寄せてしまったことだろう。恐らくこの人たちは、配偶者が新興宗教にハマっても似た様なことを言い出すと思う。今回は単にアイドルという宗教だったということである。この様に、我々の日常にコンテンツという名の宗教はいくらでもあるし、これから先SNSの発達により、コンテンツが好きな人同士簡単に繋がれる時代になったので、よりただの作品がより宗教じみた深いコンテンツになっていくのは間違いない。オンラインサロンも同じ様な感じだろう。

現代人みな、オタクが興味のないコンテンツのことを熱心に喋っているのを見て、嫌悪感を抱いたことは誰しもがあるだろう。しかし、これはある意味宗教理解の話に繋がり、嫌悪感を抱けば抱くほど、対立が大きくなっていく。それが、他人だったら距離をおけばいいが、親族だったらどうだろう。旦那、妻がアイドルオタクになった。オンラインサロンオタクになった。政治オタクになった。右翼左翼オタクになった。陰謀論オタクになった。現代には、様々なオタクになれるコンテンツであふれている。

 我々は今一度コンテンツとの向き合い方について考えなければならない。アイドルや作品を好きになったりすることは結構であるが、それをきっかけに様々な火種が生まれることを理解しなければならない。好きになったコンテンツに敵対する勢力が現れたらどうするのか、そのコンテンツにのめり込む事により悲しむ人が生まれないのか、など考えるべきだと私は思う。

このエンターテインメントがまるで宗教化してく問題、つまり、エンターテインメント宗教化問題について目を背ければ背けるほど、我々の分断は広がっていき火種が大きくなる一方である。

 我々日本人は、新興宗教だけではなく三大宗教(キリスト、仏、イスラム)すら遠ざけてきた。その代わりにエンターテインメントが宗教の役割をする様になり、それを巡って家庭から法規制まで問題を抱える様な状況になってしまった。そして、この先オンラインサロンが主流になり、このエンターテインメント宗教化問題はどんどん大きくなるだろう。その問題を放置すればするほど、我々の分断は大きくなり、社会問題化していくだろう。

 宗教は、人間が生み出した2000年以上続く一大コンテンツであり、これから先も形を変えて生き残り続けるだろう。しかし、宗教初期では、コンテンツが成熟してなかったこともあり様々な問題を引き起こし、最終的には戦争まで引き起こした。そして、日本では、エンターテインメント宗教が産声を上げ、どんどん成熟していきている。それと同時に、「ジャニオタ嫁は無理。それは浮気と一緒。本当にやめて1」と言った問題も起き始めた。

これから日本のエンターテインメント宗教は一体どうなるだろうか。どう対処すればいいか。また深く考える必要がある。

以上。 

いかがだったでしょうか。

彼女が嵐の大ファンで、ライブを見て大号泣していたのを見て、もしかしてこれは新しい形の宗教ではないだろうかと思い、書き進めてみました。これから先、オンラインサロンを筆頭にローカルなコミュニティが作られるので、より一層、分断が激しくなる様な気がします。

パワポケの名言に「大人はな、孤独でいいんだよ。理解できない考え方や価値観が世の中には山ほどあって、それをお互いに尊重していればいい。てめえの価値観を押し付けるな。ドゥヨアビジネス、全部オレの勝手だ。」というものがあります。

この言葉の様に理解はしないが尊重はするというマインドが大事ではないかと思っております。

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参考文献

1もちどらどっとこむ:https://mochidra.com/archives/2616

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