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教え子が人の首を絞めてしまった時、私は何を伝えたらよかったのだろう

1年半という短い教員期間の中で、喧嘩の末に友達の首を絞めてしまったという場面に2度出くわした。

1度目は教員1年目、担任をさせてもらっていた1年生の男の子。
2度目は教員2年目、担任をさせてもらっていた2年生、特別支援学級在籍の男の子。

どちらも直接場面を見たわけではなく、近くにいた子が言に来てくれた。
それを聞いてすぐに喧嘩の現場へ走った。

✈︎

いつもの喧嘩なら、時系列に話を聞き、何が悪かったのか、ではどうしたらよかったのかを細かく聞く。
たくさんの言い訳をまずは傾聴する。
そして、双方の落ち度を理解できるように紐解き、自分で理解できたところで、お互い謝る。
加害者側だけが悪いというケースはほとんどない。
ほとんどは、加害者も被害者も表面上の名ばかりで、どちらも加害者であり被害者だ。
理不尽に怒ることほど悲しいことはないと思っている。
まして、教師という立場。
力関係だけで、叱ってしまうのはそれは教育ではなく、暴力だ。

✈︎

2度とも私は当事者を泣かせるくらい叱った。
「人の首絞めるとか、人として絶対やったらあかんことやからな。先生、それだけは許さんからな。」

自分でも今までに出したことのない声で叱った。
最終的に私も泣いてしまった。

✈︎

3年前にカンボジアに行った時のことだ。

アキラーさんという人の話を聞いた。

その人は、両親をポルポト派に殺され、物心着くころからポルポト派の元で育ち、地雷の埋蔵を命じられていた。
内戦後、自責の念から地雷撤去の活動をしているという。

https://www.otoa.com/gallery/feature/files/OTOA_FEATURE-Vol40.pdf

この人が色んな想いを語ってくれた。
だけど、こんな言葉も放った。

『ポルポトはいい人だった。』

耳を疑った。

いやいや、そんなことあるはずがない。
何万人、何十万人という罪のない人を虐殺した人が、
あなたの両親を殺し、あなたを苦しめた人が、
いい人?

それからこうも言った。

「あの時は、ああするしかなかった。ポルポトは優しい人だった。」

✈︎

今、仁川国際空港にいる。
5時間後はプノンペンに着く。

私はアキラーさんの言葉が忘れない。
そして、首を絞めた喧嘩に出くわした時に、何を伝えたらよかったのだろう、これでよかったのだろうか、と思いを馳せていた。

答えは未だに出ていない。
だから、これから自分なりの答えを探したい。

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