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「どうせひまなら」の10分が、すばらしく貴重な10分に変わることに気づいてしまった

「何してんだろ・・・」って感じている時間。

この時間が自分にとって意味がないと思うから、「なにかやれることはないか」と考えるわけだ。

そうやっていつもその”なにか”を考えるんだけれども、「意味があること」にこだわり出すとどうしてもなにも思いつかない。

そもそも意味ってなんなんだろう。

これもいつも考える。

それ自体に意味がないんだよ。

って、これまたいつものように哲学的な答えに行きつくんだけど、それって「答え」になってるの?

哲学に、バンザイ。

このどうでもいい思考の時間がすでに10分を超えている。もはや哲学というかこれは相対性理論なんじゃないかとすら思えてくる。

それだったならば。

いっそのこと時間に意味を持たせることをあきらめてしまえばいいと思ったんだよね。
意味とかなんかよりも、時間を使う理由は突き詰めていくと「ひまだから」。

ひまな時間ならば、それにはもともと意味がなかったということ。その意味のない時間。どうせひまなら、それに変わる何かをしてみようじゃないか。

なにをしたっていい。
だってどうせ無意味だったんだから、それに変わるなにかがたとえ無意味だったとしてもそこに使う時間の価値は変わらない。

やることに対して成果を求める必要もない。なにかができた or できないに関わらず、「なにかに時間を使えた」という事実だけで100点。

だってそうでしょ?
なにもしていなかった時間に嫌気がさしていただけなんだから、それに変わるなにかを作ることが自分に課せられたミッションだったはず。

だったらそのミッションが達成されただけで自分にとっては満点なんだ。

「どうせひまなら」を枕ことばにやることを考えてみた。

すると不思議なことにやることの候補がいくつも出てくる。

どうせひまなら・・・

  • 筋トレをしてみるか

  • 散歩してみるか

  • 瞑想してみるか

  • 本を読んでみるか

  • 撮ってあった写真の現像してみるか

  • 帳簿を付けてみるか

  • noteを書いてみるか

この「〜みるか」がとっても重要だった。
タスクじゃない。

自分を突き動かす動機じゃなくて、「ひまならばやってみたらいいじゃん」くらいのニュアンスで。

そうしたことで、くだらないことから意外とくだらなくないことまで、いい感じにごちゃっとして思い浮かんできた。

もうひとつ、自分への要望を追加してみる。

「10分でいい」

これも重要。

どうせひまな時間なので、やり切れるほどの長時間を課すのはよくない。
やり切ることが目的じゃない。

時間を使うことが重要だから、意味があるとかないとか考えているその10分くらいをなにかに置き換えるでいいんだ。

×  意味がない時間→意味がある時間
◯ ひまな時間→ひまではない時間

こう考えることで自分の使う時間は少し変わっていく。

これ、やってみると意外と10分で終わらなくなることの方が多い。
ただきっかけは「10分でいい」としておくことで、重い重い腰の持ち主である自分へのハードルをグッと下げておく。

もちろん10分で終わったって構わない。10分で終わらせる予定のことに12分取り組めたら120点。つまりはこれ以上ない結果ということ。
キミってエライね。

この10分は少なからず、なにかの成果への礎になっていたりする。

当然、成果があるとかないとかは関係ない。

「成果」なんていうのも、他人からみたらどうでもいいことだったりするんだから、「それって成果と呼べるのかい?」とかなんとか、また哲学的答えに行きつくことを考えだしちゃうのが関の山だ。

そうか、ひまな時間を使う候補に「哲学」を入れてしまったっていいかもね。

哲学に、バンザイ。

ぴこつ

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