他人軸で生きてしまいます

みんな当然の如く、自分だけの人生に自分だけの時間を使い、自分の常識の中で人生を全うする。本当にそうですか?他人のために自分を我慢し、他人に自分の人生を振り回されていませんか?少なくとも私は振り回されている方が多い。それも自分がそう思っているだけかも知れないけど。

普段はそんな風に思いながら過ごしていなくても、他人からの心ない言動や行動で自分が傷つけられた瞬間から一気に他人軸の時間が始まる。その人に嫌悪感を抱き、その人の行動を目で追うようになり、その人と深く関わらないように気を付け始める。臆病なだけ?自分で認めたくない気持ちが勝って素直になかなか認められなけど、簡単に言えばそうなのかもしれない。

人の意見はそれぞれで当たり前。色んな人生があって色んな環境で育って、いくら兄弟でも家族でも全く同じの人はいない。あなたの意見を否定しないから私の事も否定しないで欲しい。気を使えとは言えないけれど、配慮はして欲しいというのがささやかな願い。他人の気持ちなんて誰もわからなのだから、近しい人間や親しくしている者同士はなるべく協力者であってほしいもの。同士だと思っていた仲に急に虫の居所が悪いのか、急に激しい口調でヒステリックになると私は一気に引いてしまう。

大人になって長く付き合っている友人や知人にはそのタイプがいない。当然類友が集まり、似たような性格の人達で固まった方が楽しいし共感性が高まる。一見刺激がなさそうにも感じるが、何より心地よい仲間が何よりの癒しになる。今こうして繋がっている人達に感謝しているものの、若い頃はそれこそ孤独ばかり感じていたし、もっともひねくれ者で嫌な奴だったと思う。

社会人になり、時々その他人軸に振り回されている時ってのは非常にキツイ。色んな人がいて当然の社会。それが社会。それが組織。わかってる。そんないい人ばかりでは人類も社会も発展しなかっただろうと思うし、自分も今の自分ではなかったとも言える。若い時の勢いや、尖がっていた自分の「無駄な強さ」みたいもので乗り越えられたもんが、今は凄いダメージをくらうようになった。

それこそ自分のわがままで、他人も同じようになれというエゴに過ぎない。

他人軸で生きる苦しみや時間の無駄さは明らかだ。しかし振り回されている現実を打破しなくてはと焦るほど、他人軸で時間が回りだす。そう思っている相手もきっと私に振り回されていると思いたい。争うことは考え方や意見が真っ向から対立する訳で、相手もきっと私の思考がわからないからイラつく。それを感情のままにぶつけてくるのは私には全く無い選択で、相手はそんな冷静な感じに腹を立てるのだろう。しかし、相手にわからそうと勢いづいてきたら私は一気にその相手から離れる。

そんな相手とは長く付き合えないし、この先も友情には発展しにくい。

年齢や経歴ではなく何でも対等に話してくれる、そして自分も話せる人が長く自分の人生に関わっていく人。自分の意見ばかりを押し通したり、感情をぶつけてくる人は上下関係で相手を見ているからその場だけの関係の人。私はその様に関係が振り分けられている。ここまで自分で書いていて自分で答えが出たな。note書いてて自己分析完了。明日はまたいつもの私で会社に行きます。

これが誰かの為にもなったら嬉しいな。


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