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『青春の逆説』を読んだ

2021/8/29、家にて読了。

ぼくが無頼派を好む所以たる作家のひとり、織田作之助。人間心理を描写する際の絶妙な温度感、思い描いた通りにはゆかない人生のやるせなさ。幼い頃の自分は軽蔑したであろう生き方であっても、なんだかんだ人間前向きに生きていってしまうものだという、あっけらかんとした人間賛歌。オダサクの作品を読んでいると、どんな人間でもいっぱしのドラマを背負っているものなのだと気付かされる。

不幸な家庭環境により自意識が肥大した美少年・豹一の成長譚。「少年の成長」と言えば、ある程度ストーリーが読めてしまってうんざりするひとも多いだろう。ぼくだってそうだ。未熟だった少年が何かに躓き、学びを得て一皮剥ける。ありきたり過ぎる。もうたくさんだ。

しかし『青春の逆説』が凄いのは、成り行きに一切予定調和を感じさせないところだ。心理的にも時間的にも、豹一の人生がそうやって転がっていくことに全く違和感を抱かないですむ。登場人物たちの振る舞いは、そのキャラクターに応じて極めて自然で、読者としてはいちいち納得しながら物語に流されてゆくほかない。それぞれの出来事のディテールも、ユーモアに溢れており読ませる。

豹一はひと角の人物になるわけではない。かつての神童は、ごくごく普通のくたびれた大人になる。ここが世間一般の成長譚とは違う。『青春の逆説』は、自己啓発本のような教訓を決して押し付けてはこない。

ではこの物語を読み終わって読者は何を得るのかといえば、「普通のひとだって偉いんだなあ」という当たり前の感慨である。ぼくらは知らず知らずのうちに色々なものに囚われている。学歴・職歴・結婚相手。「勝ち組」「負け組」というグループ分け。豹一の半生を追体験することで、そんな区分をどこか遠くに感じる自分に気づく。安易過ぎる。生きるって、そんなので片付くもんじゃねえよ。生きるってことは、一筋縄では行かない、もっともっと凄えことなんだよ。

これから生きていく上で、ぼくにも思いがけないことやどうしようもないことが降り掛かってくるだろう。それでも、なんとかして生きていようと思う。きっとなんとかなる。ぼくはわりに斜に構えるところがあるが、そんな人間でも、読後はなかなか殊勝な心持ちにさせてもらえた。

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