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『哲学な日々』を読んだ

2021/10/5、旅先にて読了。

サブタイトルは「考えさせない時代に抗して」、考え抜くことで自らの思考を研ぎ澄ませてゆくことが求められる、哲学者らしい言葉だ。

哲学者にはもっとエッセイを書いてもらいたい、とぼくは常々考えている。「哲学=世捨て人がこねくり回す小難しいもの」というイメージは常についてまわる。大学で政治思想・西洋哲学のゼミに所属しているぼくは、哲学徒の端くれとして、そうした状況を少々もったいないと感じている。とはいえ、難解な哲学書も注釈書片手に読み解けば面白かろうが、たいそう骨が折れるのも事実だ。哲学はあくまで、人生を生き易くするための清新な視点を提供してくれるツールだ。アカデミアを志す者ではないのだから、なにも必ずしも難しく考える必要はなくて、よりよい生活を送るためのヒントが得られればそれで万々歳なのだ。哲学者のエッセイには、彼らのものの見方が自然と滲み出てくるものだ。それに彼らはプロとして、思考の道具としての言葉の使い方に細心の注意を払っているので、明晰で鋭敏な言語感覚に基づく文章を書く。当たり前だと思っていたものでも、見方を変えれば全く新しい世界が顕現する。そうして見えた新しい世界は、ぼくらをちょっと生き易くしてくれるかもしれない。たぶんね。哲学者によるエッセイは、そのように開かれたものであってほしい。

1997年に『論理トレーニング』で一世を風靡した野矢茂樹先生による本エッセイ集は、ぼくのそうしたささやかな要望に応えるものだった。

やわらかな言葉で、凝り固まった考えを解きほぐしてくれるような文章だ。硬いテーマを論じている時でも、水はけの良い扇状地のように、すっと言葉が浸透していく感覚がある。ゆるいタッチの挿絵も、文章とマッチしている。

東大で行っている宗教色なしの坐禅ゼミ・「犬」という言葉を理解する際に生じるアポリア・矜恃を以て論じられる中島義道先生への反駁等、話題は多岐にわたるが、その中でも特に記憶に残っているのは、野矢先生の師匠、大森荘蔵先生に関する記述である。師への深い敬愛が伝わってくる。また個人的に、大学の政治と哲学の理想との狭間で苦悩する野矢先生の姿が、弊ゼミの指導教員とも重なるところがあって、親しみを覚えた。

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