私の気持ち悪さを分かってくれるきみがいるから

空は乾き、燦然とした光が私の酷く高ぶった感情を掻き乱すかのように突き刺してくる。
何故こんな場所にあなたたちがいるのか。全てが汚くて湿ったこんな街に。中身なんてないのに五感を聾するような音と明るさで鳴り響くスクリーンの下で僕は酷く絶望した。

私の間違った幻想や空想は私自身を傷つけた。私の話はなかったことになっているし、私が胸を張って歩ける世の中は存在しなかった。私なんて気持ちが悪くて頭のおかしい、そんな存在でしかないのだ。だけど私はそんな自分を認めている。誰よりも好きだ。だから、私よりもひどい人間が光を味方に絶対的な希望を握りしめて胸を張って歩いていることが許せなかった。私より酷いのに、どうしてなのかとそんな気持ちになる自分の醜さにも悲しくなり、その醜さは私自身に対しての怒りや絶望で涙が溢れた。

私が「感情」をどれだけ大切にして自分自身や他人の生み出した良い感情も悪い感情もひとつひとつを抱きしめて這いつくばって生きているのか他人には伝わらない。あの子の際どい写真や、つらつらと書き連ねられた恋愛ポエムにはみな食いつき「好きだ」とか感情とは言えないような気持ちで単語を発するのに、私が感情を剥き出しにして執筆をすれば私は気持ちが悪くて気味の悪い人として認識され、単語すら発されることはないまま終わる。だけど私はそんな「単語」を言われたら情けなく嬉しくなってしまうのだろう。きっと、上辺だけでも話し相手がいることを羨ましく思う時の感情と同じだ。

私は捻くれているし、きっと悲劇のヒロインだとか言われるのだろう。だけど今はそれでも構わない。私の気持ち悪いところを私よりもを分かってくれるきみがいるから。

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