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仰げば母、尊し。

コロナショックの中、たくさんの大学の卒業式が無くなった。今年卒業の弟の大学の卒業式は例に漏れず開催中止となった。

そんな中、うちの母親の大学は卒業式を開催し、母は卒業した。

生徒が少ないために、また、「淡路夢舞台」の中での式だったため規模縮小で決行したらしい。


思い返せば3年前、「わたし大学院に行こうと思う」とすでにアラフィフの母が言い出した時は、まあ彼女の人生なんだし、「いいんちゃう」と軽く返事をした。


よく考えてみたら、高校も一生懸命勉強して入って、看護学校も一生懸命勉強して入って、中で准看護師、正看護師と一生懸命勉強してきた母である。

看護師をしている間ももの凄くたくさんのレポートを書いているような気がする。今でもそうだ。若年性アルツハイマーを心配しないといけないくらい夜中じゅう部屋の電気が消えることがない。


何せ特にわたしたち姉弟が迷惑したのは、紀伊國屋書店や旭屋書店などの大きな本屋に行っても、ずっと看護学のコーナーに母親がへばりついているのである。自分たちの本は買ってもらえることもないのに、あの人混みの本屋で「好きにしとき」と言われるヘンゼルとグレーテル感は未だに忘れられない。


そんな母親だ。勉強については誰も止められない。

わたしもいわば特殊な大学に行っていたので、卒業証書というのは簡単に手に入るものだと思っていた。


しかしだ。


彼女は大学を出ていない=論文を書いたことがない=作文のワンツーから始めないといけなかったみたいで、しかも大学院。結局のところ1年留年して、教授からも厳しい意見をいわれ、つらい思いをたくさんして、そしてまた勉強に勉強を重ねてやっとこさぎりぎりのところで卒業を手にした。

わたしみたいに尻切れトンボで卒業したやつとは話が違う。卒業をつかみ取ったのである。ものすごいことだと思う。


そんなことでこの度の卒業式というのは大イベントだった。なんなら総代にまで選ばれたらしい。

そして、わたしが特にぐっときたのは、うちの祖母がこの年になってまで(ウェスティンホテルでのお泊まりつきで)卒業式に出席することだった。


誰よりも母親の卒業、そして体を心配していた祖母である。いつもは喧嘩ばかりしていても、ああ、やっぱり、この人も母親なのだなと、ぶっきらぼうな言葉の節々に感じていた。


行く前日まであーだこーだと(ウイルスがどうの)言ってた祖母は卒業式に一張羅のジャケットで出席。いつもはかけないメガネまでかけてインテリ系ばあさんで出ていったらしい。(いつものバギーも携帯。)


帰って来た祖母に、どうやった?と聞く前に、興奮冷めやらぬ表情で「ものすごく良かった」と、祖母が興奮したときに出てくる鹿児島の田舎の方言を連発しながら式の次第を説明してくれた。どうも母は角帽を被って登場したらしい。


話の最後に祖母が言った。

「あの子の幼稚園の卒園式、小学校も、中学校も、高校も、看護学校も、全部出た。大学院の卒業式まで出してもらって…式の間はずっとあの子のことを見てた」


これを聞いて改めて母親になるというのはものすごく尊いことなんだと思った。人生かけて人ひとり育てるというのはものすごいことなんだと。最近ピアノ教室の生徒たちを見ていても感じていたことなのだが、本当に、改めて。

自分もその上に生かされているわけで、全ての人にお母さんがいてそのお母さんにもお母さんがいて。


仰げば尊し、母の愛。


自分にはまだ母からも祖母からも卒業する予定がないので、もう少し娘と孫を満喫しようかな。









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