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落語を知らないわたしが、『いけだ落語バル』の実行委員長になる。


そもそも「池田」はなんで「落語のまち」なんだ。

わたしの住む大阪府・池田市は「落語」をまちおこしのキーワードとして取り上げている。

それはもともと上方落語の「池田の牛ほめ」「池田の猪買い」が池田に因んだ落語だということ(実際のところ池田が出てくるだけ、な気もするけど)、
桂文枝の家があったとか、 初代桂春團治の墓が戦火で焼失していたこともあり、初代と二代目の功績を讃え遺徳を偲ぶ石碑を、二代目と先々代の住職が懇意にしていた、池田市の豊島南にある受楽寺に、(三代目)春團治師匠が建立したということもあったりで、落語に縁のあるまちだという、
ただ単になんとなく事実を並べただけのゆかりで、「落語のまち・池田」とうたっている。

池田にはほかに「卓球のまち・池田」「世界一信号を守るまち・池田」とか、取ってつけたようなうたい文句がある。「音楽のまち」だとか言い出したこともある。
ちなみに「インスタントラーメンのまち」「植木のまち」というのはたしかに池田に息づいているものだ。


つまり「落語のまち」というのはあと付けのものであり、だからこそまちおこしの新しいキーワードとなり得たんだと思う。

「落語」は最も近くて「親しみにくい」古典芸能である


しかし、古典芸能というのはやはり現代に息づかせるというのは難しい。
落語というのは聞いてみないと面白さがわからないけれど、わざわざテレビで落語番組をみたり寄席に行ったりということは、よほどの興味がない限りない。
テレビに出ているおもろいタレントが落語家だというのはわかるが、その人の落語を聞くとなるとまた話は別である。漫才師とはそこが違う。
それでも落語が描いているのは、現代人が場面を想像できるような身近な「昔ばなし」だし、話ことばも文楽や講談とは違って聞き取りやすいしわかりやすい。
だから落語、というのはわたしたちにとってとても身近な「古典芸能」である。ただ、親しみやすさと親しみにくさの微妙な、ぎりぎりのラインの上で、「親しみにくい」に分類されてしまうものなのだと思う。
そのため「落語」でまちおこしというのは結構ハードルが高いんちゃうの、というのが正直なわたしの感想である。

池田の個人商店が「一店一席」を合言葉にはじめた「おたなKAIWAI」


「落語のまち・池田」をうたいだして、池田に「落語みゅーじあむ」という落語の資料館が出来たときに、
池田の商店が集まって始めたのが「おたなKAIWAI」という、「一店一席」を合言葉にはじめたまちおこしである。
内容は、各店舗の魅力的な商品や、人、ものを、落語に当て込んでPRし、落語通の人もそうでない人も「落語に親しんでもらう」という企画である(おたなKAIWAIHPより)というが、
落語をきっかけに「お店に親しんでもらう」というのが、各店舗としての思いであるだろうし、そこでにぎわいの創出をし、池田での消費を増やすというのが目的だということだと思う。
だから「おたなゼミナール」というのを開催して、たとえばうちの店だったら、「コーヒーの正しい消費について」の講座をしたり、お好み焼き屋さんの「お好み焼きの美味しい作り方」講座があったり、
和菓子屋さんの「和菓子作り体験」講座を開いて、さらにお店に親しんでもらう、そこで買いたいと思ってもらう、お客さんにダイレクトに思いを伝えるきっかけづくりをしていたんだと思う。
そこではもはや落語は「きっかけ」や「つながり」でしかなく、やはり主体は「お店」だということを第一に考えるべきなのではと思うし、多分みんなそう思っている。

そんな『落語のまち』池田の「いけだ落語バル」の実行委員長をすることになった

その「おたなKAIWAI」が主体で開催されていた『いけだ落語バル』の実行委員長に任命された。

『いけだ落語バル』は先日11月17日に第7回を迎えたイベントで、わたしも大学生のときから店が出店したり、PRのためにいろいろとご挨拶させていただいたり、ガマの油売りの口上を覚えたり(うちの店・ルークカフェの一店一席は「ガマの油」である)で、関わりのあるイベントである。


池田にはいくつかバルがあって、わたしがずっと実行委員・事務局をやっているのが「池田・石橋ミュージックバル~いけおん~」である。「いけおん」に関しては「グルメと音楽で池田をもっと元気に!」を合言葉に池田市内の飲食店を中心とした店舗と、池田にゆかりのある音楽アーティストによる非常に内向的な、池田の人に楽しんでもらいたい回遊型のイベントである。そして市の助成などほとんど受けることなく、出店料も決して高い値段でもなく、入場パスポートである「缶バッジ」の売上だけでイベントを回している。


『いけだ落語バル』も、池田市内の店舗で、「落語みゅーじあむ」で落語を習っているアマチュア落語家の方が一席する、お店もお得なバルメニューを出して、落語家の人とお客さまがお店を行き交うという似たような内容になっているが、先述の通り落語はわたしたちに一番距離の近い「親しみにくい」古典芸能であるので、音楽よりはハードルが高い。お客さまの層も高め、もしくは落語好きの人が中心であるので、「いけおん」のような老若男女みんなでカオス状態。とはようすが違ってくる。
また、「いけだサンシー」というまちづくり会社が事務局となり、最近では市の予算を使ったりしながら開催をしているらしい。サンシーも出向の人が担当のため、池田や自営業の商店のようすをあまり理解しないままで、動きも少ないらしい。いけおんだったらあり得ないことである。

なんとなく、大変な気がする。

先日の第7回の『いけだ落語バル』の報告(ちなみに決算はまだできていないみたい… そこが出向の社員の限界なのかもしれない)を見たところ、なんだかおかしいな、と思ったのが、「チケットを販売していない店舗で来店人数が多い店がある」ということ。「いけおん」ではあり得ないことで、「いけおん」は缶バッジの販売の多いお店がやはり集客が多い。(もちろん似たような現象が起きることもある。)
つまり、「汗をかいていない人が儲かっている」ということである。これはなんというか、仕組みとしてなんだか間違っている気がする。もちろん、お店(メニュー)に魅力があったのかも知れないし、演者が人を呼んできたのかも知れない。イベントで儲かることはいいことだ。しかし、やっぱりなんといっても、わたしたちはお商売をしているんだから、「汗をかいた分だけ儲かって欲しい」と思うわけである。
とにかく、自分が実行委員長になった以上、誰よりも汗をかきたい。みんなのために汗をかいて、みんなが儲かったら、それって実行委員長やった意味があるのではないだろうか。

とりあえず「落語みゅーじあむ」に挨拶に行った。

とりあえず、「落語みゅーじあむ」の館長である浦田さんに挨拶に行った。「落語みゅーじあむ」にはめちゃくちゃお世話になると思う。
全然落語わからないんですけど、一生懸命頑張ります。走ります。と言ったら、「頑張る子は好きじゃない、楽しんでやりなさい」と言われた。
気難しい人だと聞いていたので、多分気難しくさせていたやつがいるんだと思う。
「挨拶なんてわたしじゃなくてサンシーに言いなさいよ」と言うので、だって直接演者さんの間を持ってもらうんで、一番大事なところなんで、と言うと多分、理解してくれた。
とにかく若さだから崩せる壁もあるんじゃないかと思う。たぶんこのあともこういう壁がたくさん出てくるんだろうな。

とにかく大切にしたいこと。

「おたな」の委員長で「和菓子の香月」の山脇さんが言ったという言葉をわたしは何よりも大切にしたい。

「自分たちが人生をかけてやっているこの「お店」を何よりも大切にしたいし、みんなで盛り上げたい。」

開催予定の5月まで、ああだこうだと思うことをここに書き連ねていきたいと思う。
アドバイスのある方や、ご意見は真摯に受け止めますので、ぜひこの小娘にああだこうだと言ってください。
世間知らずですが電動チャリ一台で人一倍走り回れます。

とにかく、若さでできること、頑張りたいと思う。

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