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定期公演のこと

今日、久しぶりに【クレモナ・ラジオ】を更新した。
これも毎年恒例続かなくって、10月の最後の投稿にレター(DM)が来ていることに先ほど初めて気づいた。後で返事をしておこう。

話したいことを決めずに、テーマもとらわれることなく話したらだいたい20分弱になった。自然な流れで定期公演の話になった。Vlog的なことはさておき、この演奏会はわたしにとって大きな一歩となった。

平常心でステージに立つという目標

12月24日の3日前くらいにふと、「この演奏会は平常心でやりたい。冷静にやりたい。」と思った。本番のハイテンションというか、ランナーズハイというので、無駄なアクションや準備してきた演奏を壊すような気持ちや行為が自分の中から湧き上がってくるのをわたしは知っていた。
そして、それが大きな失敗や、全体のアンサンブルの破壊につながることをわたしはわかっていた。それでも抑えきれない部分があったりもして、自分をコントロールする難しさを知っていた。

「神経質な演奏」に自分が擦り減っているのに気づいていた

反面、自分自身のスタイルが非常に神経質な演奏になりつつあったのも、いいことなのか悪いことなのかわからないまま今シーズンは過ごしていた。演奏家としての転換期にある、というのはよくわかっていた。

今回は「なんとかコントロールしたい」ではなく、「平常心でやりたい」という意識の転換が自分の中で生まれた。だから、演奏直前までロビーで接客対応をしていてもなんとも思わなかった。最低限の音出し(全調のスケール)はしたし、リハも十分にした。楽器に心配はなかった。むしろ、「来ていただいて嬉しい」という気分でとても楽しかった。

きっと、それくらい練習を丹精込めて行ってきたのだと思う。本当に丁寧に練習をしてきたし、よく聴くということはどういうことなのか、真剣に考えた。全ての音の到達地点について考えたし、どう生まれてどう消えるのか考えた。

演奏中にふと手に取るようにわかった、超一流の感覚。

そして、ステージでは今までに味わったことのない感覚があった。
一つ目は、「自分の指の動きと音の動きが自然にマッチしていた」こと。二つ目は、「他の三人の音が鮮明に聴こえた」こと。三つ目は、「(他の三人の演奏を聴いて)ああ、クレモナにとって歴史的な名演をこんな間近で聴けてラッキーだな」ということ。

どれもこれも今までにない感覚だった。しかし、不思議なことに心に余裕があったように思う。お客さまのあたたかさ、空気感、フェニックスホールのお昼間の光あふれるステージ。コンサートホールがきっと特別な空間であるということ、生の音楽の美しさや尊さをお客さまと一緒に体感しているという感覚。

初めてザ・フェニックスホールの舞台に立ったとき、プログラムのハードさもそうだが、色んなものに臆してしまったことを思い出す。必死で必死でピアソラの音楽にしがみつき、小指一本でひっかかっていた、そんな演奏だった。あの時に本当は去っても仕方がなかったお客さまが目の前にいてくださるありがたさ。それでもピアソラの音楽を信じ、仲間を信じ、ピアソラ100周年を超え、次の時代が始まった「萌え(めばえ)」をたしかに感じたのだ。

「超一流の背中が見えてきた」という監督の言葉に、いや、まだまだやんとずっと思い続けていた。それでも、超一流になりたいという気持ちには正直に、練習に励んできた。ステージもこなしてきた。

今回は……本当に背中が見えた気がした。ザ・フェニックスホールの六角形の空間で、音が上から降り注いでくるような気がした。


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