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大事にされている感

先月末で私の父が定年退職をしました。
正直「うぉ、もうそんな歳になるのか」と驚きでした。
(同時に着実と進んでいく時間を感じ、自分のなかなか定まらなさすぎる人生に大丈夫かと不安になったのもここだけの話。笑)

途中まで書き溜めている記事は他にあるものの、久しぶりの投稿は私の父のことについて書こうと思います。

私の父は寡黙な人です。自分より人のことを優先する人で、優しい性格です。そして、私が世界一尊敬する人物です。

小学生のときは「怒ると怖い」というイメージが強かったのですが、習い事でやっていた算盤の検定が合格すれば帰宅した玄関先で「おめでとう」と握手を交わしてくれたりと、喜ばしいときには静かではあったけど一緒に喜んで褒めてくれたのを覚えています。
このような「子どもの頃の大人との温かい記憶」は、「自分は大切にされているな」という安心感や自己肯定感に繋がるんだと思っています。
それは、学校の先生、駄菓子屋のおばちゃん、近所のおじさん等、家族に限らずありうる話だと思います。

しかし、「困難に直面したとき」「よくないことしたとき」にどのような反応を示したかは、よかったこと以上に良くも悪くも心に残ったり、感じるものがあったり、その後に関係してくるんじゃないかなとも思っています。

ちなみに私の父との記憶は「困難に直面したとき」「よくないことしたとき」のことばかりです。でも、それはその後の私の「心のよりどころ」となる記憶となります。 ​そんなエピソードを3つほど書き起こしてみます。

●「よくないこと」をした小4の春
ソフトボールクラブに小4の時に所属していた私。同じチームメイトの3個下のAちゃんと練習が終わった後にコンビニへ寄りました。
そこでは次の週に控えた母の日のカーネーションが売られていました。
「これ、それぞれお母さんに買っていこうよ」となったのですが、おこづかいが全然足りなかった私はAちゃんの財布からお金を盗んでしまいます。
その後Aちゃんのお母さんから連絡があり、父と話し合いになりました。
優しく事情を聞く父に対し、沈黙を貫く私。
しばらくして「もうだめだ」と思い、私は黙ったまま自分の貯金箱から600円を出して、父に渡しました。
その後母から「お父さんはアンタがやってない(盗んでない)って信じてたんだよ、お父さんのこと裏切ったね」と言われ、その時初めて「いけないことをした、お父さんを裏切ったんだ」と思い大号泣したのを覚えています。自分が悪いと分かりつつも、子どもながら申し訳ない気持ちで胸が痛かったです。

父は「やったことはいけないこと」だと諭した上で「ちゃんと話してくれて偉かったね」と言い、「何でお金を盗ったのか」を時間をかけて聞いてくれました。私は時間をかけながら言葉を紡いで「お母さんにカーネーションを買いたかったけど、おこづかいじゃ買えなくて、でもどうしてもお母さんに渡したかった」ということを父に話しました。「そうか」とゆっくり聞いてくれました。

しばらくして父が母へ伝えてくれたようで、母から「そんなお金でもらっても嬉しくないわ」と言われ「そりゃそうだよな」と思いながらもショックだったのを覚えています。でも、父が”話を聞いてくれたという事実”がカバーしてくれたように思います。

●嫌がらせのメールがきた中2
携帯電話を持ち始めたのが中2だったのですが、その携帯にある日嫌がらせメールが届きました。送信元のメールアドレスはアルファベットを適当に羅列した「捨てアド」のようなもの。内容は「消えろ」という言葉がずーっと続いているものでした。そして最後に「死ね」と書かれていました。
あまりにもショックで自宅で泣いていることに気づいた父に事情を話したとき、「お前は何も悪くないからな」と言ってくれました。
記憶としてはそこまでしか覚えていないのですが、誰が送ってきているのか分からない恐怖とショックだった私を包んでくれる言葉でした。

●レギュラーになれなかった惨めな中学最後の試合
大して運動が出来るわけではない私でしたが、「中3だから出れるだろう」と呑気な考えで過ごしていました。試合当日、私以外の3年生は試合に出場し補充の選手は私ではなく後輩たちでした。
試合を見に来てくれている父の姿が見えた時、とっても恥ずかしい気持ちになりました。同時に「わざわざ遠くから試合を見に来たのに、後輩にも負けてベンチにいる娘を見てどう思うだろう」と申し訳なく思ったのを覚えています。私は応援の声出しをしながらも投げやりになっていたこともあり、「早く終わっちゃえ」と心の中で唱え続けていました。
そんな惨めな最後の試合が終わり、自分の望み通りチームは負け、色んな感情でぐちゃぐちゃになっている時に父が私のところへ「お疲れ、帰るね」と声をかけにきてくれました。まさか最後に見せる姿がベンチだなんで思っていなかったので何も返せずに黙っていた私だったのですが、父は「試合には出れなくて残念だったけど、ベンチで声出して応援していた姿は立派だったぞ」と言って帰っていきました。恥ずかしくて惨めで消えてしまいたいと思っていた気持ちが救われた気がしました。

色々エピソードはあるのですが、父との記憶はこの3つが一番濃いです。
そしてこの記憶がその後、どん底に落とされるようなことがあっても心の支えとなって自分の中に生きていたような気がするのです。
例えるならば、海で漂流してしまい「もうだめだ」と思っても、どこからか流されてきた流木にしがみついて何とか生き延びるような感覚です。(※漂流した経験はありませんが・・・・)

死にたくなるようなこと、もう自分なんてどうにでもなってもいいやと思うこと、自分を大事にできないようなとき等に決まって浮かんでくるのが父の顔でした。そして何とか乗り切って生き延びてきたのでした。

私の場合は父との記憶ですが、人によっては家族以外の誰かかもしれません。かけてくれた言葉やしてくれたこともほんの些細なことかもしれません。でも、その人にとって「自分は大事にされている」「自分のためにやってくれている」「自分に優しくしてくれる」と思えた瞬間や出来事はその後の人生において困難やしんどいことに立ち向かった時に、大きな支えになる可能性があると思っています。支えと言うと大げさかもしれませんが、人には「大事にされている感覚」って必要だと思っています。
特に子ども時代にその感覚を沢山経験することが、その後の自尊心や自信、人を思いやる力、共感する力・・・色々なことへ繋がっていくのではないかと感じています。
また、困ったときにSOSを出すという力にも繋がると思っています。

少なくとも私は、父が自分の気持ちを否定せず聞いてくれたこと、評価ではなくありのままの自分を認めてくれたことによって「自分」を保ってこれました。(それだけが全てとは言いませんが)

私はプレーワーカーという立場で子どもと関わっていることもあり、こんなことを改めて考えます。

くだらないことでも、些細なことでも、子どもの話に耳を傾けること。
「ん?」ということや「いやそれは違うでしょう」と思っても、まずは話を聞く。待つ。寄り添う。簡単なようで難しい「聞く」ということは、とっても大事なことですね。
そして「あなたのことが大事だよ」というメッセージは関わりの中で伝わるといいなぁと思います。

つらつらと書いてしまいましたが、改めて私の父は偉大だと感じました。
父ちゃん、いつもありがとう。そして定年おめでとう。
父ちゃんからもらった優しさ、これからも大事にしていきたいと思っているよ。ずっとあなたは私の世界で1番尊敬する大事な父です。

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