わたしのなまえ
#名前の由来 というnoteのお題があったので。
先日ことだまを勉強したばかりの私には、いいテーマ!
ちなみに学んだときの話↓
この勉強するまで私は、自分の名前がそれほど好きではありませんでした。
ちょこっと好きになってきたけど、それほどではなく。
と言っても、ちょこっと好きになったのもここ半年くらい前。
それまでは、みんなにも呼ばれない。ありふれた名前。画数も多くて習字で書くと潰れるし、フルネームを漢字で書くとなんか堅いな。
と不満も多かったです。
そんな私の名前は『瞳』です。
子どもの頃は大抵クラスにもう1人「ひとみちゃん」がいて、名字が特徴的(くまざき)で『くまちゃん』とあだ名が付けやすかった私。
「ひとみはいいよ、あなたに譲るよ」とよくわからない寂しさを感じながら「ひとみ」は家族くらいしかほとんど呼ばれずにいました。
じゃあ名前の由来は…
生まれる前「わかな」という名前が候補だったらしいです。その時期だったから。
けど、生まれた私を見た両親は「この子は目が大きいから瞳しかない」と思って、
「世界の中心」
という意味も含めて『瞳』と名付けたとのことでした。
この話を聞いた時
(いや私より目が大きい人いくらでもいるし、そこまで大きくないし…)
(世界の中心とか規模でか!なんでそんな期待値高い名前、バカみたい)
と思いました。
そういえば、親の期待にすら応えられないのに「重い」という重圧感も勝手に感じていたかも。
由来で言ったらもう終わりになっちゃうので、ここからは好きになるまでの話。
2019春。実家に戻って半年経った頃。
自分の家族が狭い考えに偏ってるなあと気づいて悩んでいたのですが、自分が言っても伝わらなくて。
私ができることって何だろう?といつも思いながら、その頃はTwitterで仲良くなった友人に会いに都内へ何度か行きました。
都内に行く度に、高校から家を出た兄の家に泊めてもらい、その話を兄にしました。
すると、今まで実家のことに興味がなかった兄が少し興味を持ち出して気にかけてくれるように。
そういえば私、昔も親と兄の間に入って繋いでいたなあ。って。
世界の中心って、もしかして間に入るってことなのか?
家族以外にも、無意識で人と人を繋ぐのことが多く、世界って地球規模じゃなくて1人の世界とか、家族の世界、目の前の人と自分の世界、その場の空間の世界…よく考えたら世界ってたくさんあるってことに気づきました。
だからもしかして、私は家族と別の世界を繋げたり、人と人だったり、間という中心、真ん中に入るのが役目なのかなぁなんて思い始めました。
そうだとしたら素敵な名前だな、とも思えて。
ついでに、今年はなんだか占いに縁があるようで、手相、占星術、四柱推命、数秘、マヤ暦…みんな偶然やっていただきました。笑
その中で知ったのは私はバランスを取りたがる人間であること。中庸的考えを好むんですね。
無意識に人と人を繋げること。人との繋がりが多いこと。
それらを知って、ますます自分ってそういうモノを持っているんだと思ったり。
そして、私が勉強したことだまでは、名前もバランスをとっていて「なんでもできるからやることが多くて大変」「最強ネーム(笑)」「家族にとって必要」とか色々教えてもらったのですが意味を知るうちに「いい名前だなあ」と自然と思えるようになりました。
言われる機会が少ないけど、LINEはフルネームにしたり、「ひとみ」と昔から呼んでくれる唯一の友達(1人だけ笑)がすごく愛おしくなったり、名前を大事に扱うようになりました。
「世界の中心」
最初に聞いたこの意味。私はあたたかい世界の中心にいたいな、それをつくっていきたいな、なんて思って。
この名前ならできるのかもな、そのくらいのパワーを持っているんだなって思えるようになりました。
「目が素敵だね」「目が印象的だね」そんな言葉も嬉しくて。
単純な由来だったけど、案外必要な名前が付くものかもと思います。
私は今、自信を持って自分の名前が好きだと思えるし、この名前を付けてくれた両親に感謝してます。
これからはもっと『瞳』を大切にして、自分が見たい世界の中心になりたいな、と思います。
最後に、ことだまの考えでなくて聞いた話ですが「名前は生まれる前に自分で決めてくる」というのを前に聞きました。
「この名前にしてくれ〜」って気を発して、誰かがキャッチしてそれを名付けるそうです。
生まれる直前まで違う名前だった私は、なんとなくそれってあながち嘘じゃないかもって思います。
もし自分の名前が好きじゃない人、好きでも嫌いでもない人がいたら、ことだま鑑定受けてほしいな。どの名前も素晴らしい才能があるから。
それを上手く伝えられるよう私は修行中です。頑張ります!
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