私の願望
2020年1月25日。今、出てきた願いをただ羅列してみる。
私は、私の周りの人にもっと幸せになってほしい
好きな人の喜ぶ顔が、幸せな姿が、私の幸せなのだ。私が見える世界があたたかいと私もあたたかい。
1人でいても孤独ではない、血の通った付き合いをしたい。
それをちゃんと感じられるゆとりのある生活をみんなしてほしい。
仕事、お金、健康、対人関係…色んな不安を少しでも解消して安心できる家みたいな空間を広げたいのだ。
私は、人と深く話したい
楽しい話も辛い話も、その人を作った一部。
まるでその人の構成成分のような、ストーリーを話して、聞いて、シェアする時間が大好きなのだ。
私の知りたい欲はたぶん、人を知りたい。人は常に変わる。その裏側に隠されてる理由がストーリーなのだ。
私は、結婚して幸せな家庭を築きたい
超個人的(笑)。私は、子どもを育てたいし、家が1番安心できる場所としてあたたかい家庭を築くと昔から思っている。
絶対にできると信じて疑わない、根拠のない自信を持っている、人生で唯一の子どもの頃から全く変わらない夢なのだ。
私は、大好きな人たちに囲まれて生きていたい
好きな人とくだらない話をする時間、一緒にご飯を食べる時間、好きなアーティストのライブに友人と行く時間、木々や花、滝や海、山…自然を誰かと一緒に感じる時間、大好きな人と何か共有する時間がとても幸せなのだ。
派手なパーティーや高級料理でなくていい。ワンコインの牛丼屋やファミレスだって、好きな人と一緒なら最高の空間に変わるのだ。
私は、自分も周りも大切にしたい
誰かの頭をそっとなでるとき、小さなひよこをなでるかの如く、とにかく優しく触れる。
壊れないように、でも気持ちが伝わるようなよしよしって安心する。
心もそんな感じ。
日本人にハグはそんなに必要ないのかも。たまにだから、特別な人だから、深く深く沁みこむものがあるかもしれない。
たとえ甘いと言われても、自分にも他人にもよしよしできる心を持っていたいのだ。
私は、みんなが着飾らずにいられる世界になってほしい
人はみんな違う。仕事で発達障害や精神障害の方々と接してきて、みんなそれぞれ得意不得意価値観全て違って、それなのに無理して合わせようとするから痛くなるのだと思った。
パズルのピースが違うのに、無理にはめ込むような。
多様性を認めるとは、色んな食べ物があってそれぞれ好きな人がいていいということ。
野菜が好きな人は野菜を嫌いな人を否定する必要はないし、野菜が嫌いな人も野菜の存在を否定する必要はない。海外の食事を好きになる必要はないけど、その食事はあっていい。
存在するものは苦手でもなんでも、有ることを肯定する。いちいち否定しなければいいのに。いちいち更生しようとしなければ、みんな良さをそのまま持っていられるのに。
みんな自由な考えで自由に生きれる社会であってほしいのだ。
私は
ゆるく、余白のある心があるからこそ、どんな深い話でも聞けるのだ。
誰かに力を注ぎたいときだけ、キュッと力を入れる。
でもそれは、キツさじゃなくて。ゆるさから生まれるトランポリンの一瞬のジャンプみたいなものでいい。
風の向くまま幸向くまま、ゆるさを持って自分と周りの幸せに貪欲に過ごしたい。
大切な人と幸せの循環をして、生きていきたい。
いただいたサポートは人のケアに使える勉学に使って周りに還元させます!