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私のサイドブレーキはひいたままだった⑥

元同僚と会ったあの日から約1ヶ月して、私は新しい会社の社長と面談をした。



「このグループを盛り上げてほしいのはわかっていましたが、自分1人では無理です。」
「利用者さんに悪口を言われていることは気にしていません。私自身が毎日嫌だと思いながら仕事をしていたので当然です。そういうのは伝わると思うので、むしろ利用者さんに失礼なのは私の方です。」
「竹中さんは支援員に向いていないと聞きましたが、そもそも何も教えてないんじゃないですか?」

思っていたことをみんな言ったが、全く力はなかった。
不満も疲れも溜まっていた。



この1ヶ月の私の状況はざっと以下のような感じだ。
・経験者ということでスタッフの竹中さんとグループを組みリーダーに任命されたが、竹中さんはいつも別室対応の子の元へ行っており、新しい職場で実質1人だった。
・やっていることは出勤から退勤まで文房具の箱詰め。ミーティング時すら箱詰め。下向いて苦手なルーチンワークばかりで鬱になるか発狂するかと思うくらいの日々だった。
・自分がやる意味がない作業、帰りたい、帰りたい、と毎日思っていた。
・それでもみんなと雑談しなきゃと話しかけても、元々話すのが苦手な子も多く毎日同じメンツ同じ作業の5〜8人くらいでは会話もストレスだった。
・竹中さんは支援に向いていない、とは聞いていたし転職する予定だった。とはいえそんな目線で見られてたらやる気失せるんじゃないの?と思っていた。
・竹中さんは初日はニコニコ話してくれたが以降はあまり目も合わなかった。なぜかは知らないが、避けられている気はした。
・利用者さん数名に自分への不満が出ていた。期待していたのに話さないと。
・会社は低賃金なのに効率が悪く手作業が多いし話し合いもスムーズでなく毎日のように残業していた。福祉あるある。


色んな要素から自分がこの仕事をやる意味がない、今の自分は支援員じゃなくて箱詰め職人だ。と思っていた。



なぜこんな話を社長にぶつけたかというと、前回とはまた別の元同僚に会ったからだ。

そこで今の状況や想いを話して、帰り際に
「毎日毎日、早く帰りたいって思いながら行ってるんだよね」
と言ったら

「それって辛くないですか」
と言われた。

「辛いね」
と笑って別れた。その場は笑ったけど、気づいてしまった。


「私、辛い」と。



こんな単純な言葉だったのに、ぴったりハマってしまって泣きながら運転した。

次の日の朝、体が鉛のように動かない。
私はこの感覚を知っていた。

「体が拒否している」

体調不良にして休んだ。次の日も、その次の日も。



けど理由も言わず休み続けて辞めるのは失礼だし自分も嫌なので会社に行って面談をした。

「入社したばかりなのに何も気遣えなくて申し訳ない」
と言ってくれた。この会社の人は良い人だと思っていた。

「竹中さんはね、何度も指導したんだ。でも、彼プライド高くてPCが得意な利用者さんがいれば自分のほうができるとなぜか言い出して利用者さんをバカにしたり、社長のことも飲みの席で『お前デブだなー!痩せろよ!』とか大声で言ってお店にも迷惑かけるくらいの人で。このまま何もなく辞めてくれたら、と思っていたんだ」


あ、そうだったんだ。やっとここで、なぜ自分が避けられているのかわかってむしろスッキリした。
プライドが高い彼は急に来た女が簡単に上のポジションを持っていったことが面白くなかったのだろう。
よくある話だが、そんなことで無視するとか本当にあるんだと初めて知った。



ただ、この話で私は信じられなくなった。
竹中さんのことではなく、他のスタッフを。

なぜ、同じグループを組むのにそういう人であることを誰一人言ってくれなかった?
なぜ、そういう人と新入社員のグループの様子を気にしなかった?
新入社員が日に日にエネルギーをなくしているのに、誰も気づかなかった?



私は『対人援助』という仕事に誇りを持っている。少し潔癖なくらいだと思う。
同僚の変化にも気づかない、スタッフを大切にできない会社がどうやって利用者さんを大切にできるの?なんて思ってしまう。


いつもの悪い癖だが、自分はこれ以上話してももう同僚を信じることができないと思ってしまった。
そもそも、前と同じ仕事をしているとどうしても前の職場と比べて戻りたくて苦しくなる、自分自身の問題もかなり大きかった。
最初から私はズルかった。雇用に必要な書類も提出しなかった。毎日持っていたけど、相手も忘れているからいつでも辞められるようにしていた。



「もう無意味だな」

そう思って、後日退職した。


そして次の日から家にこもった。
1人では食事もしないので実家に帰った。


消えたくて、死にたくて、税金の督促状やら来ると、生きてるだけでお金がかかる自分が嫌になった。
それでも、私が死んだら悲しむ人がいるから、生きるという親孝行をしようと、ただただ生きていた。

何度泣いても毎日いつ涙がこぼれるかわからない日々を過ごした。

私はただ「解雇されてよかった」と早く言いたくて、ずっとそこから目を背けていただけだった。



そう、私はやっと気づいた。
サイドブレーキを引いたままアクセルを踏み続けていたことに。

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