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【感情紀行記】シグナル

 最近は時間がないわけではないが、色々な課題やタスクに日々追われている。毎日、やる気を出して課題に立ち向かうのは容易ではない。しかし、時間がないわけではないので、それなりに心の余裕はある。

 以前、本当に忙しい時になにも手をつけられずに図書室に行ったことがある。毎日自習している友人に会い、久々に話した。近況を話していた時に、「最近忙しすぎる。」と言ったら、「確かに、髪の毛が整っていないもんね。」と言われた。自分は特に髪の毛を整えている意識はなかったが、よほどボサボサで、手入れがされておらず、時間に追われているのが伝わったのだろう。日々行なっている何気ない最低限の身なりの整いができていないというのは危機感を抱いた。

 そんなことを話した友人に、図書室で再会した。すると今回は、「最近どう?余裕ある感じ?」と聞かれた。今日はよっぽど髪の毛が綺麗に整っていたのだろうかと邪推したくなってしまう質問である。近況を話しつつ、色々と力を入れていることとか、頑張ろうと思っていることを数分の立ち話の中で伝え、後日ご飯を食べに行く約束までこじつけた。

 身なりというのは、人間の属性とか状況、身分を表す、非言語コミュニケーションの一種である。足元を見られるという言葉を使い、よく靴屋さんは靴の手入れや高級靴を勧めてくる。強引な手法だなと感じる一方で、ことわざになりうるくらいのインパクトというか、伝統的人間の心理なのであろうと思う。しかし、髪の毛の具合で見られるとは思ってもみなかった。自分がイギリスの元首相、ボリスジョンソンではないかと錯覚する。いつもボサボサでノーセットな彼でも、政治的に追い込まれていたり、新型コロナウィルスに罹患し、命の境目を彷徨ったりした時などには、明らかにボサボサ具合が異なっていた。これからは彼を見習い、髪の毛で体調や時間のなさをアピールしていく手法を使っていこうと思う。

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