『シン・エヴァンゲリオン』感想

最初に断っておくと、俺のエヴァンゲリオン遍歴は特に深くもなければ熱くもない。

7年前くらいにTVアニメ版を一気見して以降はノータッチ。時を経て、最近の『シン』公開を知ってから新劇の序・破・Qを一気見して追いついた次第。その他の媒体のエヴァ系列作品については触れたことがないあとはせいぜい、リツコさんが太鼓を叩く元ネタの切り抜きと、ゲンドウがヒゲを剃ったCMを見たことあるくらいだ。

なので本当にエヴァンゲリオンというコンテンツの表層しか追えていないし、真新しい発見とか深い考察なんてできるはずもない。なんせ『Q』を見終えたその日中に劇場へ足を運び『シン』を観賞したという、長年『シン』を待ち続けた『エヴァンゲリオン』ファンの皆様とはまるで作品に向けて蓄積した情念が比ぶべくもないので、深遠なエヴァ世界の浅瀬で素人がちゃぷちゃぷ遊んでいる様を生暖かく見守ってくれる人だけ読んで欲しい。解釈違いどころか、単純に俺の思い違い・記憶違いも散見されると思う。あったらごめん。いや、本当に映画を見て思ったことを徒然なるままに書き散らしただけなんでね。

*以下、本編ネタバレに触れるため、観賞済みの方だけ読んで欲しい。









“綾波レイ×猫” これね。

天才の組み合わせだと思う。え?今までに綾波レイと猫を組み合わせた画って見たことあったっけ?本編の派生作品とか二次創作ではあったのかな?でも俺はシンで始めて見たからすごい感動した。なんというか、『ぐっ』ときた。サイモンに対するガーファンクル、ウッチャンに対するナンチャン、綾波レイに対する猫。

もうひとつ感動といえばやっぱ何と言ってもアレね、田植えする綾波レイ。いやもう感動というか衝撃だったわ。『視界が拓けた』とでも形容すれば良いのだろうか。マジで福本漫画みたいな衝撃の受け方しちゃった。

ううっ・・・!
まさに天啓・・・!
圧倒的・・・!悪魔的・・・!革命的・・・!
落ちていた・・・! 俺達の預かり知らぬ内に・・・! 庵野秀明という・・・平成最後のニュートン・・・! その眼前で・・・! 枝から・・・リンゴ・・・知恵の実が・・・!
そう・・・! プラグスーツは・・・!
弾くんだ・・・水・・・!
LCL溶液・・・!
それはつまり・・・向いている・・・ということ・・・!
農業・・・第一次産業・・・!

とどのつまり・・・・・・田植えにっ・・・!


でも真面目な話、第三村での生活パートは心洗われたというか今までエヴァに足りなかったものをジャストミートで公式が提供してきた感があった。

“エヴァンゲリオンのキャラに必要だったのは田植え”

なんつう説得力だよ。

精神的に不健全な奴らが多すぎるエヴァのキャラにとっては、お天道様の下で汗水垂らして土をいじることが何よりも必要だった。確かにこれ以上に欠けた心を満たしてくれる行為はない。ゲンドウも冬月先生もユイさんも田植えしてりゃあ今頃こんなことにはなっていなかったと断言できる。

そういう面では、加持さんはまさに『立派な大人』だった。土いじりできる大人は立派だよ。死んじゃってましたね、加持さん。サードインパクト止めるために。どうやって止めたんだよ。加持さんはエヴァにおいては貴重な責任感ある大人だったんだけど、責任感が強すぎるが故にシンジくん個人への救いにはなれなかった。責任感のスケールが地球規模だった。その辺、加持さん(敬称)はゲンドウ(呼び捨て)と徹底的に対比されて描かれたキャラだったと思う。それから急にカヲルくんとの繋がりが提示されてビックリした。公式からの供給じゃなかったら『顔カプ』の誹りを受けるのは免れないところだった。

そしてミサトさん。序盤の流れを見返すとまさにミサトさんこそシンジくんに『家族』を教えてあげられる役割を課せられていたと思うんだけど、Qでは浦島太郎状態のシンジくんを徹底的に冷たく当たっていてどうして・・・と思っていたら(個人的には)実に納得いくアンサーが用意されていた。そもそも自分の実の子供に対して『家族』であることを捨ててしまった女性が、シンジくんにとっての『家族』でいられるはずもなかったのだ。それにしてもQの時点でもうちょっとは説明しろよ!という指摘はごもっともだけど、仮に1から10まで説明したとして大人しくしてろと言われたシンジくんが大人しくエヴァに乗らんといてくれるかというと、甚だ怪しい。というか無理だと思う。シンジくんがそれで大人しく引き下がる性格だったら、そもそも『破』ラストからニアサーみたいな流れにはなっていなかったわけで、シンジくんに何も教えなかったQ序盤の対応も完全な悪手だったと切り捨てたくはない心情になる。でも最後の最後で優しいミサトさんに戻ってくれて良かった。やっぱりあの変なサングラスは無理したキャラ付けの副産物だったんだね・・・!

村での暮らしといえば、アスカとケンケンが仲良さそうな感じでしたね。『シン』ではシンジくんとアスカの関係にも決着がついて、アスカの口からは『かつてはアンタのことが好きだったんだと思う』という答えが吐き出された。失恋。結構なことじゃないですか。健全な失恋こそが人間を成長させる。主人公と結ばれなかったヒロインが他の男とくっつく流れ、俺は全然アリだと思う。むしろずっと失恋を引きずって独りでいろって考えこそ不健全だし非人間的でしょう。とはいえ、今のアスカがケンケンという良き理解者を得られたことは察せられるけど、それがそのままイコールでアスカとケンケンが恋仲だと断定するのもちょっと早計な気がする。というか生々しい話するけど、肉体年齢14歳の女性とセックスするケンケンは見たくない。いや精神年齢(というか実年齢)は28歳だし問題ないっちゃないんだけど。でもケンケンにはどちらかといえばエヴァ弐号機の関節部分とかに興奮する変態であって欲しい

それからトウジ・・・!お前本当に立派になって・・・!エヴァシリーズで一番真っ当に成長した男なんじゃないだろうか。というかエヴァって徹頭徹尾子供が大人に振り回される話だったけど、その反面、シンジくんを救ってくれたのはいつだって同世代の子供たちとの友情(あるいは恋愛)だったよなぁ~!って点は一貫していた。

あと、その、妹さん。鈴原サクラちゃん。何だコイツ。終盤、ピンク髪のギャルオペレーターがシンジくん撃とうとしたら横からサクラちゃんに割り込まれて先に撃たれてドン引きするまでの一部始終は、所詮ちょっと荒んだ程度の常人ではマジモンには敵わない感があった。いや、わかるんだよ?事情が事情だから。恩人にして親の仇だから。シンジくんに対して並々ならぬ愛憎渦巻く激情を抱えているのはわかるんだけど。でもヴィレに帰還したシンジくんを覚醒即ビンタしてから女房面して泣きついた時は(あ゛あ゛!?何だこのアマ!!?)と驚愕してしまった。物語の本筋からは一歩も二歩も離れた立ち位置にいる癖に面白過ぎる。なんならシンジくんに「乗らんといてくださいよ」を言うためだけにヴィレに入隊したんじゃないかこの女。

それからゲンドウ。実質的な本編のラスボス。シリーズ最終章ではついにプラス宇宙のダメ大人代表としてマイナス宇宙に殴り込みをかけた男。これが京大理系男子の末路である。エヴァ放送開始から25年間、「もうちょっとまともに息子とコミュニケーションとれや!」と視聴者に突っ込まれ続けた反動なのか、最後の最後にめちゃくちゃ喋った。その1/10程度でも『序』か『破』の時点で心情を語ってれば絶対にここまで状況が拗れることはなかったと思うけど、ここまで状況を拗らせるのが目的だったんだから仕方ない。あと最後のシンジくんとの対話シーンから電車を降りる流れ、俺はてっきりあそこで元の世界に帰ったんだと認識していたけど、ネットの感想を見るとどうも普通に死んだ?マイナス宇宙に留まり続けた?っぽいね。ちょっと寂しいというか、空しい気もする。無論、あれだけのことをやらかして、顔の上半分ひび割れた状態で戻ってきてもどうするんだって話ではあるんだけど。元の世界に戻ってきたところで、絶対に再就職はできないけど。

そんなゲンドウの相棒を最後の最後まで務め上げた男、冬月先生。強すぎるだろ。もう使徒とか全部アンタが倒せよ。いや、あくまでシンジくんをエヴァに乗せて覚醒させて云々が狙いだったから、使徒撃退はオマケみたいなもんってのはなんとなく察せられるけど。でもゲンドウ、ユイを亡くした悲しみで拗らせまくったけど、これほどまでにお前を想って尽くしてくれる男がこんなにも近くにいたんだぞ。何か思うところはなかったのかゲンドウ。

そして新劇におけるヒロインレースの勝利者、真希波・マリ・イラストリアス。振り返ってみれば、物語の最後にシンジくんと結ばれるヒロインとしてはこれ以上なくふさわしい、最適解だったと思う。

まず、アスカとくっつくのはまずい。少なくとも本編においては、2人とも精神的に不安定過ぎて、破滅へと向かう未来しか見えない。メンヘラ同士付き合ってもロクなことにならないのは主人公のご両親が証明している。とはいったものの、ゲンドウはユイさんに依存しまくっていたけど、ユイさんも同じようにゲンドウに執着していたかというとかなり怪しい。突き詰めればマイナス宇宙に留まり続けた理由も『シンジを助けるため』だったわけだし・・・。あと、夫と子供を放置して勝手にエヴァ実験に参加しちゃったあたり、どちらかといえば加持さんに近い精神性の持ち主だったのかもしれない。

ヒロインレースの件に話を戻すと、シンジくんがレイと結ばれるのも、また別の意味でまずい。いや、エヴァンゲリオンという物語におけるヒロインとしては誰を差し置いても綾波レイなんだけど。シンジくんに癒やしと苦悩を与え、成長を促す役目を担ってはいたけれど。でも母ちゃんのクローンだぞ。どんなに若くて美人でも、母ちゃんのクローンとちゅっちゅするのはヴォエッ!ってなるだろ。

だからこそのマリ。新劇で颯爽とシンジくんの前に現れた運命の・・・否、“運命じゃない彼女”真希波マリなのだ。彼女は『エヴァンゲリオン』という物語の根幹にこそ関わってはいても、『碇シンジ』の物語からは常に距離を置いていた。そして破でも語っていたように、既に自分の生き方/在り方に答えを出しており、最も『葛藤』と無縁だった。これまでの劇中での立ち回りとしても、物語の進行上必要な、舞台装置のような役割を担うことが多く、だからこそ、物語を終えたシンジくんを迎えに行く存在、新しい居場所を作る存在になり得たのだと感じた。その件とは矛盾するけど、今思えば空から振ってきた女の子と結ばれるのって王道だしな。あと、乳がデカイって要素も結構大事だと思う。いやマジで。ほら、エヴァのヒロインってみんな少なからず『母性』がテーマになっていたところがあるから。プラグスーツなんていうドスケベ戦闘服を身に纏い、やたらムネとケツが強調したアングルが多かったことも、『母性』を追求する新世紀エヴァンゲリオンにおいては必然だった。決してアンノがちょっとスケベなひねくれ者だったからではないのだ。

あと根本的な話していい?マリってめちゃくちゃ可愛いじゃないですか。良いじゃん最高じゃん真希波マリ。どんなに若く見積もっても父ちゃん母ちゃんと同年代なのに語尾が「にゃー」であることぐらい多めに見よう。

あとはまあ、『碇シンジ』の物語から一歩引いたヒロインといえば鈴原サクラちゃんもそう言えなくもないんだけど、仮に彼女と付き合ったところで、『ミザリー』みたいになる未来しか見えない。とりあえず全てを終えた彼女に必要なのは色恋ではなく、兄ちゃんの診療所でカウンセリングを受けながらゆっくり療養することだろう。田植えしろ田植え。

あ、そうそう。EDの『One Last Kiss』、素晴らしかったね。 なんか聞くところによると『Beautiful World』と同じく ゲンドウ視点の歌なんじゃないかって意見をちょくちょく見るけど。

初めてのルーブルは
なんてことは無かったわ
私だけのモナリザ
もうとっくに出会ってたから

じゃあこれはアレか、ゲンドウがユイさんとデートでルーヴル行ったけどイマイチだったってことか。もうゲンドウがバカ丸出しでノロケているようにしか聞こえない。自分の嫁さんを持ち上げるために世界一美しい名画をこき下ろすなよ。いや、実際ゲンドウとユイさんがルーヴル行ってもそりゃ楽しめないと思うよ。しながわ水族館とか行った方がまだ楽しめそう。

でもシンジくんとマリがルーヴル行ったら2人ともノリノリで楽しめそうだし、つまりそういうことなんだと思う。

そして物語の最後。25年間にわたり電車の中でガタンゴトン揺られながら悩みに悩みまくっていたシンジくんは、ついに電車を降りて、駅の改札を出て、実写・・・現実の世界へと歩き出していった。このラスト、俺は特に『夢から醒めろと言われた』とか『突き放された』とか感じることなく、ただエヴァという物語から、やっとシンジくんが『解放』されたのだと受け取った。(付け加えるとTVアニメ版の最終回とか、本編だとマイナス宇宙に取り残された状態でシンジくんが下書き状態になっていたのは、まさに物語の『破綻』を表現していたのかな、と)(関係ないけどあのエピローグ、駅のホームでレイとカヲルくんは何を話してたのかな?「シンジくんいいよね」「いい・・・」みたいな会話かな?)

実を言うと『シン』を観賞する前に、個人的に『あるかな?』と予想していた演出があって、その演出というのは、「ここぞという山場で『残酷な天使のテーゼ』が流れてくる」というベッタベタなものだったんだけど、でも結局、そんな演出はなかった。大前提として、「エヴァはそんなわかりやすいコンテンツじゃないだろ」って意見についてはその通りだ。反論のしようもない。だからって、ここぞという山場でユーミンが流れる令和上映のロボットアニメ映画って何だよと思わなくもないけど。何はともあれ、「『残酷な天使のテーゼ』が流れなかった理由」をこじつけて良いなら、きっとあの『シン』のラストはそれまでのエヴァに対するアンチテーゼだったからなのだ、と俺は思った。

少年は『神話』にならず、ただ『日常』に帰っていったのだ・・・・・・と。










ところでエピローグのシンジさん、あの落ち着き具合からして夜のファーストインパクトはとっくに経験済みだろうな・・・。

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