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「個性」と「自己表現」は別物のはず

小学校→個性は認めない
中学校→個性は認めない
高校→個性は認めない
大学→個性的な人かっこいい
就活→あなたの個性を見せて
社会人→個性は認めない
が日本社会。

って定期的にSNS で話題になるけど、私は違うと思います。

上記のようなことを言う人は、自分の意見や表現したいものがないことを社会のせいにしているだけじゃないのかな? なんか、「日本社会神話」というか、誰がどこでそう思ってるのか...。少なくとも、私個人も周辺も全然そんな感じじゃないけど、そこまで「一般社会」と隔離された環境ではないと思うのです。単に集団でそう思い込んでいるだけという可能性はないのでしょうか?
学校生活を振り返っても、集団生活/行動に重きを置いた指導を受ける事は確かにありましたが、生徒の個性を尊重しない先生は見たことありません。
生徒以上の個性をぶつけてくる先生は沢山いましたが。

そもそも、個性って出そうと思って出すものではなく、各々生まれ持っているものだから、個性的であろうっていう表現自体がおかしいですよね。単にその人にとって自然に生きるというだけのこと。「見せる」とか「出す」とか、そういう能動的なのは、「自己表現」だもの。

「個性」と「自己表現」がごっちゃにされているのがよくないのかも。「個性」と「自己表現」がごっちゃに語られると、
個性的であるのが良い=自分勝手な自己表現いつでもどこでもok
と誤解するおばかさんが増加するので、結局それは誰のためにもならないと思います。
個性的って、「その人がその人として普通」ってこと以上でも以下でもない。だから、誰もが「自分にとって普通」であればそれが「個性的」で、何かをして「個性的」になろうという発想は必要ないはず。
それなのに、就活でも個性的な人材が求められていると言われると、周りと違うことしなくちゃ、という発想になって、挙げ句の果てに「個性的になりたいです」と相談してくる学生が現れるという.....。

日本社会では自己表現=self expression はたしかに暗黙のお約束があるけど、程度の差こそあれ、それはどの国も同じ。日本て実は個性=identityに対して寛容だと思うけどなあ。

というようなことを言うと、「それはあなたの周りの環境が特殊なだけ」と返されてしまうことも。たしかに幼少期から個性も自己表現も認めてくれる環境と人々に恵まれて生きてきた自覚はありますが、それはそんなに特殊?そう言われると、それ以上深い議論ができなくなってしまうのがモヤモヤしちゃう。

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